民俗芸能学会 第186回研究例会(2021年9月4日(土)午後2時~、早稲田大学演劇博物館6号館3階レクチャールーム&zoom)※オンラインは要申し込み
Tweet研究会情報です。
●公式サイトはこちら
https://www.minzokugeino.com/
--------------------
※申し込み等は上記サイトをご確認ください。
《第186回研究例会》
若衆歌舞伎「大小の舞」と琉球宮廷舞踊「若衆特牛節」
―「型」と近世初期風俗画から解く初期歌舞伎舞踊の変遷と琉球芸能の成立 ―
発 表 者 : 児玉 絵里子
司 会 : 鈴木 昂太
コメンテーター: 武井 協三
日 時 : 2021年9月4日(土)午後2時~(午後1時30分開場)
会 場 : 早稲田大学演劇博物館6号館3階レクチャールーム
(東京メトロ東西線早稲田駅下車)
オンライン会場でも併用開催(zoom予定)
【オンライン会場に関しては、要・事前申込み】
※新型コロナウイルス感染拡大防止のため、本研究会はオンライン会場も併用開催となっております。
オンライン会場での参加希望の方は、お申込みください。
(早稲田大学会場での参加希望の方は、事前予約する必要はございません)
※非会員の方も参加できます。
発表要旨 :
従来、「男色の対象としての少年の容色本位」で「芸といったようなものはまだ成り立たなかった」(小笠原,2011 )と見なされた 若衆歌舞伎は、実は、明確な「型」を意識して元禄歌舞伎の方向性を決定づける重要な試みの時期であったのではないか。本仮説に基づき本研究は、若衆歌舞伎を中心に、阿国歌舞伎から野郎歌舞伎にいたる初期歌舞伎舞踊の変遷と琉球舞踊成立の契機を、明らかにしようと試みるものである。若衆・野郎歌舞伎は資料も乏しく、初期歌舞伎の歴史の中でもいわゆる「暗部」(武井,2000)とされてきた。発表者は舞踊体験を土台に先学の芸態研究に基づく芸態比較研究に着手したところ、先学による従来の文献研究を裏付ける、以下の具体的様相と新知見が明らかとなった。
まず具体的舞踊の手(所作)を描く「舞踊図屏風」は「遊女歌舞伎」の可能性 がある。阿国・遊女歌舞伎の舞踊は「振り」に近い「型」、すなわち「型」の萌芽期であったとみられる。恐らく初期歌舞伎舞踊における明確な「型」の成立は、若衆歌舞伎時代であった。綾子舞の小歌踊と琉球宮廷舞踊「若衆特牛節」は、初期歌舞伎舞踊の重要な所作を継承する(拙稿,2019)が、興味深いことに「若衆特牛節」には近世初期「大小の舞図」と同一の所作がある。すなわち、型の考察と画証研究からこれは偶然の一致でなく、「若衆特牛節」がより複雑な型に発展した「上り口説」とともに、若衆歌舞伎・野郎歌舞伎を代表する「大小の舞」・道行
物「海道下り」の芸脈を引くことを示している。また、老人踊「かぎやで風」と女踊り「綛掛」も、初期歌舞伎舞踊の芸系にある。つまり従来、若衆歌舞伎「大小の舞」は、「歌舞伎舞踊の一種」として「のち変化舞踊などの一曲として舞われた」(山路,2011)とされたが、初期の若衆歌舞伎時代においては「若衆特牛節」「かぎやで風」同様、幕開け祝儀舞踊に該当する演目であったとみられる。芸態比較研究の成果は、琉球宮廷芸能が従来語られてきた能楽の影響以上に、初期歌舞伎舞踊と密接な関係にあったことを示している。なおその背景として、徳川家光周辺の上覧風流踊の存在も考慮すべきであろう。
遊女歌舞伎で曲彔に座し三味線を弾く太夫は、なぜか和尚と称された。従来これを問う指摘は無かったが、実は三味線が遊女歌舞伎に登場する時期は、琉球に念仏踊を伝えたとされる袋中上人の上洛、慶長13年(1608)に重なる。翌14年の薩摩藩による琉球侵攻後、琉球国王尚寧王は在京の袋中に螺鈿の曲彔とクバ団扇等を贈ったのである。唐団扇は先学の指摘通り慶長期の舞台に頻出する。一方、団扇を持つ猿若は、組踊やエイサーにおける間の者やサナジャーに通じる。若衆歌舞伎の小袖は、王国末期の楽童子着用との伝承が残る紅型踊衣裳と同じく白地が主で、踊衣裳などの扮装に共通点も多い。元来、異国の希少を目玉としたかぶきである。初期歌舞伎舞踊と琉球宮廷芸能はその由来と系譜を、舞踊の「型」に残していたのであった。