伝承文学研究会:名古屋・京都例会 令和3年3月例会(令和3年3月28日(日)13時~14時30分、Zoomミーティング)※要申し込み
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※申し込みは上記サイトをご確認ください。
日 時 令和3年3月28日(日)13時00~14時30分
※Zoomミーティングで開催します。
研究発表 二本松康宏(静岡文化芸術大学)
発表論題 松本城の怪異-二十六夜神の神秘―
【発表要旨】
松本城の5層6階の大天守の最上階には天井板が張られていない。重厚な井桁梁の上に放射状に組まれた桔木が剝き出しになっている。桔木のさらに上部にもやや細い梁が組まれ、その梁の上に「奉鎮祭二十六夜神」と書かれた小さな祠が安置されている。昭和八年(1933)に刊行された『松本市史下巻』(旧市史)には、二十六夜神の祭祀の由来として次のような逸話が載せられる。
元和四年(1618)年正月二十六日の夜に、持筒頭川井八郎三郎清良が御殿に宿直して在りしに、恰も月の出ずる時、何人とも知れずその名を呼ばれし故、立ち出たるに、緋の袴を召したるあでなる女の人ぞおわしけり。八郎三郎恐れ畏みて平伏せしに、錦の袋をお授けなされ、以来二十六夜を祀り、米三石三斗三升三合焚きて祝いなば、御勝手元繁昌になりなん、且此の袋の口はゆめ開きそと仰せありて、天守閣の方へまかられける。八郎三郎、件んの趣を藩主へ言上せしかば、即ちに之を天守六階の頂上に斉き祭り、翌月の二十六日より毎月の例として祭祀をなすこととなれり、その後程経て余り
不思議の事に思い、誰やらがその袋を開いて見たるに、莨の葉が三本ありしのみなりしとの事なり、かくて川井家は後の世まで二十六夜の御秘儀に参列して饗宴に頂るを常例と為せりと云う。而して享保十二年の火災に天守閣の免れしは、此の神の加護なりとも信ぜられたり。
今回は「京都例会 令和元年12月例会」での研究発表を進展させ、松本城における二十六夜神の信仰と祭祀の経緯を解き明かしてみたい。