アルバイト日誌「普遍性と固有性と」(2020.10.09、れい)

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 時々、とてつもなく自分にしっくりくる文章に出会うことがある。

 中学生の時、最後の国語の授業で先生が紹介してくださった、吉野弘の「I was born」 今でも読後の感想が言えないほど、私にとっては衝撃的な詩だった。あまりにも生死に向き合いすぎていて、今でも読んでいて怖い時がある。けれども詩の中にある感覚というものはきっと誰にでも持っているはずで、生死が繰り返された遥か遠くを見るような、自分の心の奥深くを見るような、正反対の不思議な気持ちにもなってくる。この詩には、確かに普遍性と固有性の二つが、共存している。

 普遍性と固有性というのは、対になるような言葉であるのに、同時に存在していることが度々ある。私が一番人間関係に悩んだ時に、真っ先に思い出したのが『伊勢物語』「梓弓」だった。男女のすれ違いにとどまらない、人間にはどうしようもない運命の悪戯の淋しさに共感した。「梓弓」とは全く違う状況であったけれども、固有の、一つの歌物語を超えたところにリンクする場所があったのだと、今は思う。違う時空にある別の事象や感情というものが、不意につながっていく時は必ずあって、それが自分にとって文学を学ぶという原動力の一つなのかもしれない。

 一年ほど前、あまりにも感動して、出会えたことに嬉しくなった文章がある。堀静香さんという方のご著書『せいいっぱいの悪口』。前からツイートを拝見していて、素敵だなぁと遠くから眺めていたところ、本を出されるとのことで早速購入して読んだ。読んだ瞬間、不思議な感覚がした。自分が経験していないことなのに、自分の生きてきた中の景色と重ね合わせて読むことができる。一つ一つの文字から、色や感覚が見えてきて、堀さんと気持ちを共有できているような気がした。まさに、普遍性と固有性が共存していた。最近の連載「第6回、クリスマスがやってこない」(http://s-scrap.com/4129)も、あまりにも私が伝えたい、形にならない不安が代弁されていて、胸が締め付けられた。こんな文章を書けたら、と切実に思う。

 ありのままでいたい気持ちと、もう少し成長できたらと思う自分が交差して、迷っている自分がいる。私の体験や感情が、誰かの心の中にも響いてくれたらな、と感じる今日この頃のことです。