秒殺する信長、母のような帰蝶(堀 新)―『信長徹底解読』刊行記念エッセイ

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『信長徹底解読』刊行記念エッセイとしてお届けいたします。ご一読ください!
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秒殺する信長、母のような帰蝶

堀 新

▶︎信長による光秀への暴力(パワハラ)説

鳴かぬなら殺してしまえホトトギス

これほど織田信長のイメージを言い得たものはないが、もちろん信長の自作ではない。初出は文化11年(1814)の根岸鎮衛『耳囊(みみぶくろ)』である。この頃には、短気ですぐに暴力を振るう信長イメージが定着していたことになる。これは真実の姿なのだろうか。

近年の本能寺の変研究では、明智光秀の謀叛理由として信長の暴力(パワハラ)説が注目されつつある。大河ドラマは、細かなディテールでは意外と最新の研究成果を取り入れる。例えば2020年大河ドラマ『麒麟がくる』(以下『麒麟』)では、帰蝶は信長と再婚だったとしている。それでいけば、『麒麟』も信長の暴力による怨恨説(ないしは武道の面目説)になる可能性は高い。染谷将太演じる信長は狂気に似た凄みがあり、長谷川博己演じる明智光秀をしたたかに打ち据えるシーンは、ホラー映画のような恐ろしくも見応えのあるシーンになるだろう。

▶︎信長の暴力を記録した林羅山とルイス・フロイス

しかし、信長が光秀に暴力を振るったという記録は、寛永18年(1641)成立、明暦4年(1658)刊行の林羅山『織田信長譜』が最初である。江戸幕府の御用学者である羅山は、客観的な歴史叙述の一方で徳川家康と征夷大将軍職を持ち上げた。将軍になれなかった信長・秀吉は偽の天下人とでも言いたいのだろう。秀吉は足利義昭に養子入りを断られて将軍になれず、仕方なく関白になったというエピソードも羅山の創作である。羅山の理屈で言えば、平氏である信長は最初から将軍になれない(実際は、将軍を含む三職を朝廷は信長に打診し、信長はそれを辞退していた)。その信長をさらに貶めるのが、この暴力説である。

羅山以前に、信長の暴力を記録しているのは、文禄3年(1594)頃に成立したルイス・フロイス『日本史』である。しかしフロイスは、信長が光秀を足蹴にしたという噂を記したものの、それには懐疑的である。フロイス『日本史』を日本人が知るのは20世紀に入ってからなので、本能寺の変後に生まれた羅山はどこからかその噂を聞いたのだろう。それまで日本人が誰も取り上げなかったこの怪しい噂を『織田信長譜』に記録し、将軍に献上したのである。その後羅山の著作を参照した軍記作者たちは、信長の峻厳・粗暴な性格が敵を作り、家臣の裏切りを招いたと暴君信長像を増幅した(『信長徹底解読』12章虚像篇・井上泰至「信長と天皇・朝廷」)。そして寛政11年(1799)初演の「絵本太功記」などの演劇作品がそれを決定づけた。こうしてホトトギスを秒殺する短気な信長のイメージが確立し、現在に至るのである。信長の肖像画は概ね面長で神経質そうだから(コラム「信長の肖像画」)、信長暴君説は妙な説得力がある。『麒麟』がこれに沿ったストーリーになるのも当然だろう。

▶︎「やばいヤツ」の唯一の理解者だった帰蝶

『麒麟』では、この危険な「やばいヤツ」である信長の唯一の理解者が帰蝶である。信長は父信秀や母土田御前に褒めてもらいたいと切望するが、松平広忠(家康の父)を暗殺してその首を父に届けるような狂気の沙汰で、かえって疎まれる。しかし、「帰蝶だけは何をしてもワシを褒める」「あれは母親じゃ」と信長は語る。秒殺する信長も、帰蝶の前では無邪気で可愛いということらしい。

帰蝶の父斎藤道三との聖徳寺での会見は、帰蝶がすべてを手配し、信長は「今日の自分は帰蝶の手の上で踊らされている」と告白する。ここで信長は「戦さも世の中も変わり、自分たちも変わらねば」と主張し、道三を感心させる重要な局面である。

信長はこのまま帰蝶の操り人形になるのかと思いきや、桶狭間の戦いでは独断で出陣する。信長は最初から「狙うは今川義元ただ1人」と宣言し、塗輿を目印にせよと命ずる。圧倒的少数の信長軍の勝因は、松平元康の今川軍への非協力的な態度と、善照寺砦から山沿いの道を通る作戦(迂回奇襲説?)、そして大雨で今川義元が山上から谷間の岩陰に移動したという偶然である。史実でも、桶狭間の勝因には偶然の要素があると考える。『麒麟』では迂回奇襲説に回帰しているが、正面攻撃を基軸に勝因を考えなければならない。その際、当時の合戦の常識、太田牛一「信長公記」の記述、想定外の武将の動き、これらが整合的に説明されなければならないだろう(2章実像編「今川義元と桶狭間の戦い」)。

▶︎司馬遼太郎と林羅山が決定づけた「本能寺の変」像

帰蝶に話を戻そう。これまでの『麒麟』の流れからすると、帰蝶は本能寺で勇敢に戦い、信長とともに散るのではないか。史実では帰蝶の死期は諸説あり、一定しない(11章実像編・桐野作人「信長と女性」)。本能寺で戦う女性の初出は、安永9年(1780)成立の『太閤真顕記』だが、それが帰蝶(濃姫)になるのは司馬遼太郎『国盗り物語』である(11章虚像編・網野可苗「信長と女性」)。

最後に想像をたくましくすると、光秀謀叛の原因は、「麒麟」をめぐる信長と光秀の食い違いか。「新しき世」を作るという信長が、「麒麟を連れてくる」と光秀は期待する。しかし、それは同床異夢だった。それを悟った光秀は、信長と帰蝶に向かって「敵は本能寺にあり」と宣言する。このセリフも林羅山『織田信長譜』が初出である。林羅山と司馬遼太郎、われわれはこの2人の創造力と影響力からどれだけ自由になれるだろうか。

※引用文献は、すべて堀新・井上泰至共編『信長徹底解読』(文学通信、2020年)所収である。

【書いた人】

堀 新(ほり・しん)

1961年生まれ。共立女子大学教授。著書に『信長公記を読む』(吉川弘文館、2009年)、『天下統一から鎖国へ 日本中世の歴史7』(吉川弘文館、2010年)、『織豊期王権論』(校倉書房、2011年)、『戦国軍記・合戦図と古文書・古記録の学際的研究』(科研報告書、2019年)、共編著に『近世国家 展望日本の歴史13』(共編、東京堂出版、2000年)、『消された秀吉の真実 徳川史観を越えて』(共編、柏書房、2011年)、『岩波講座 日本歴史 第10巻 近世1』(共著、岩波書店、2014年)、『秀吉の虚像と実像』(共編、笠間書院、2016年)などがある。

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●『信長徹底解読』の詳細はこちらから
文学通信
https://bungaku-report.com/books/ISBN978-4-909658-31-9.html

堀 新・井上泰至編『信長徹底解読 ここまでわかった本当の姿』(文学通信)
ISBN978-4-909658-31-9 C0021
A5判・並製・400頁
定価:本体2,700円(税別)

本書の概要紹介はこちらです!
https://bungaku-report.com/blog/2020/07/post-785.html
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