アルバイト日誌「850年前を見つめて」(2020.7.10、れい)

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 この前のアルバイト日誌で、文系理系分かれていない高校に通っていた話をちらっとしたかと思うのですが、今日はこんな私の高校時代のことを書こうと思います。

 私は、実は中学生のころから理系に進むぞ!と思っていました。というのも、国語も苦手ではなかったのですが、一番に数学が得意だったためです。なんとなく、一つの公式から応用させていく過程が好きだったんですね。特に難しい問題は、解けた時に達成感がありました。そして高校に入り、次は数学よりも物理が好きになりました。数学は机上のものだけれど、物理は自分の生活と繋がっていく感触がして、この世の中はこんな規則で成り立っているのだと、感動した覚えがあります。特に印象に残っているのが、天文学、宇宙のことを学んだ時でした。小さい頃から、プリキュアやセーラームーンではなくて、宇宙の始まりとか、地球の始まりとか、そんなものに興味を持っていた不思議な子だったので、その時のわくわく感と学びが繋がっていくように思いました。だから、このまま私は理系に行って、宇宙科学とかを勉強するんだ、と思っていました。しかし、それと同じくらいに好きになっていたのが、古典でした。高校二年生の時に、『万葉集』『古今集』『新古今集』を学んで、31文字の中にあれほどまでに深い世界を表出できることへの驚きと感動がありました。

 私は迷った末に、日本文学を選びました。本当にぎりぎりまで迷い、決めた後も、これで良かったのかと、1か月ほどは思い返していました。

 今でも、私はどちらの道が合っていたか、それは分かりません。けれども、理系と文系というのは、遠いようで近くにあるようにも思うのです。例えば、オリオン座のリゲルは、約850光年(正確には860光年くらい、だそうですが諸説あるようです)離れていると言います。今からちょうど850年前というと1170年です。清盛が力をふるっていた時でしょうか。確か翌年の1171年には、高倉天皇に徳子が入内しましたよね(徳子のことを調べていたので印象に残っています)。そのまさに平安末期に、遠い遠い宇宙から放たれた光を、私たちは受け取っているのだなぁと思うと、神秘的な気がしませんか。和歌や日記でも物語でも、星の光でも、時を超えて私たちは受け取ることができるのだと思うと、とても幸せなことだと思います。そして、とんでもなく広い宇宙の中、奇跡の星と呼ばれる地球で、これほどまでに豊かな文化が発達したのは、言葉では表せないくらいの偶然が重なってこそです。近い時代でいえば、定家の『明月記』には天文学の記事がたくさんあると言いますし、『建礼門院右京大夫集』には星空を「花の紙に、箔をうち散らしたるによう似たり」と表現します。その頃の人々が見上げていた星空には、更にずっと昔に放たれた光がキラキラと輝いていたはずです。

 あまりにも色々なことを繋げて考えるのは、あまり良くないことだと思います。けれども、長い年月を経て今の私に「繋がっている」感覚こそが、文理を超えた私の学びの原点なのかな、と最近思うようになりました。