アルバイト日誌「 #こてほん 再考」(2020.6.26、れい)

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 この間のアルバイト日誌は、多くの方に見ていただき嬉しかったのと同時に、自分の紡いだ言葉が自分から離れていく怖さも感じました。そして#高校に古典は必要か #こてほん のタグを見ると、本当に様々な意見があって大変勉強になりました。改めて「必要か」という議題を眺めてみると、人によってどこまでが「必要」の範囲に入るのか違うようにも思います。私の場合、社会の営みにおいて殆ど不必要なものはないと考えているのですが、例えば、社会ですぐ活躍できる即戦力が必要だと考える人もいるでしょうし、古典から学ぶ生きる力を大切にする人もいるでしょうし...。先生方お一人お一人のご意見をもう一度読み直してみると、何を「必要」と考えるか、まずそこが違っているのだと思います。ただ、自分の「必要」と思っている事柄以外を、必要ないとするのはとても危険なことだと思います。社会には様々な分野で働く人がいますし、どこに価値を見出すのか人によって違うはずです。むしろそれを認め合うことが、今の私たちが目指すべきところなのではないでしょうか。今私は言葉というツールを使い自分の思いを伝えていますが、一口に「伝える」といっても、どのような言葉を選ぶかによって、相手の受け取り方も変わってきます。国語教育が、プレゼンなどのリテラシー能力や論理的思考を養うためだけに必要とされた時、私たちは先人が長い間かけて積み上げてきた言葉の引き出しの多くを、失うことになりませんか?自分が心に抱える葛藤や心情を伝達するための「言葉」を、人として絶対に枯渇させてはならないと感じます。

 さて、オンラインの授業が始まってもう2か月というところですが、段々と慣れてくると共に、自分の知識が実物と出会うことでより深く定着していたということにも気が付きました。昨年度受講した授業で、毎回先生が実物資料をお持ちくださったり、実際に書誌調査を行ったのですが、覚えたというより自然に知識が身に付いたという感覚がしました。オンライン授業の方が良いという意見もありますが、実物に触れる機会がないと、私たちは机上の学びと実生活を繋げにくいのが現状です。それから(私もその中の一人ですが)急な環境の変化で、むしろストレスがたまる人も多いと思います。オンラインは便利だけれど、オンラインでなんでも解決できる、というのは違うはずです。このコロナの流行を経て、対面とオンラインの良いところを取れる社会になれば良いなと感じています。

 梅雨のジメジメとした季節ですが、皆さまどうぞご自愛ください。

 もともと目が悪い私は、今回で更に視力が落ちたように思います...。ブルーライトカットの眼鏡が欲しいこの頃です...!