古代文学会:夏期セミナー(8/19(水)~8/21(金)各日13:00~17:00、Zoom)※要申し込み

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研究会情報です。

●公式サイトはこちら
http://kodaibungakukai.sakura.ne.jp/wp/kenkyuuhappyoukai/sympo-semi/

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※申し込みは上記公式サイトをご確認ください。

日時:8/19(水)~8/21(金)各日13:00~17:00
会場:Zoomによる遠隔開催(参加者には参加リンクを開始30分前に送信)


発表者・題目:

大塚千紗子「「豊葦原水穂国」──『日本霊異記』冥界説話と神話のコンテクスト──」
 『日本霊異記』中巻第七縁は、智光法師が行基を誹謗した罪により冥界に堕し、そこでの責め苦を通して行基へ懺悔をする内容である。『霊異記』の「冥界説話(冥界遊行説話)」は説話の中心人物が、閻羅王の主宰する冥界へと赴き、そこで見聞した様を語るという一定の形式を持つ。当該説話もこの形式に当て嵌まるものの、他の冥界説話と比した場合に特徴的なのは、閻羅王の侍者が智光のもと居た場所を「豊葦原水穂国」と呼ぶ点であろう。言うまでも無く、記紀神話を初めとして上代文献に見られる「豊葦原瑞穂(水穂)国」また「豊葦原千五百秋水穂国」は、日本国の呼称であり、その土地の豊饒なることを褒め称える意を持つ。本発表では、「豊葦原水穂国」という固有名が仏教説話集に表れることで創出される新たなコンテクストについて検討したい。

谷口雅博「葦原中国平定神話における地名の役割」
 神話に現実の土地の名が記載される意味を、主として『古事記』の葦原中国平定神話を対象として検討する。
 葦原中国平定神話では天上界から三度神が派遣されるが、そのうち、失敗に終わる二度目までについては、具体的な地名が記されることは殆ど無く、唯一記されるのが「美濃国の藍見河の河上に在る喪山」である。一般に葦原中国平定の神話は出雲を舞台とすると考えられているが、少なくとも二度目の派遣の話までは、舞台を出雲と限定する具体的要素は無い。一方で三度目の派遣、即ち平定が果たされる場面になると、出雲国などの具体的な地名がしばしば記載されるようになる。まずはこの前半部と後半部との相違について考える。その上で、具体的な地名の記載が神話文脈にどのような意味をもたらすことになるのか検討し、それら地名が神話世界と現実世界、天上界と地上界、ヤマトと出雲といった二重の視点や認識を重ね合わせる役割を果たしていることを論じる。

小橋龍人「古今集歌にまとわりつく固有的な像」
 中古の和歌では往々にして、詠作者の実作か否かが問題にされている。同一歌が諸書で詠作者名を異にする場合、勅撰集の表記などを根拠とし、それへそぐわないものは誤りとみなされることがある。「ほのぼのと明石の浦の朝霧に島隠れ行く舟をしぞ思ふ」を例にとれば、『古今和歌六帖』(一八一八)や『三十六人撰』(六)には明確に人麿の「名」をもって掲げられており、その名を負った歌として伝わっていたとみるべきだろう。しかし、『古今和歌集』ではあくまでも羇旅部(四〇九)に収載される「この歌は、或人の曰く、柿本の人まろが歌也」という左注がついた読人知らず歌である。このような詠作者像の問題を、歌表現と関わらせて考察する。

池原陽斉「平安時代前中期の和歌集における「萬葉歌人」の像」
 平安時代前中期における「萬葉歌人」のコンテキストのありようを探り、その実態がどのようなものなのか、あるいは、いかに形成されたと考えることができるのか。以上が本セミナーの趣旨を踏まえた、本発表の概要ということになる。
 とは言っても、現存する歌学書が多く著された院政期以降とは異なり、平安時代前中期には、「萬葉歌人」が登場する文献こそいくらか存するものの、「ある歌の作者である」という以上の情報を読み取ることは困難な場合が多い。いきおい、限られた範囲の文献の中から、特定の歌人を取り上げ、検討していくほかないように思う。
 具体的には、有間皇子、石上乙麻呂、柿本人麻呂の、三名の歌人を検討の対象とする。前者二名のうち、有間皇子は『日本書紀』に謀反事件、乙麻呂は『続日本紀』に配流についての記述のあることが知られ、それと関連するらしき歌もそれぞれ『萬葉集』に残されている。また、人麻呂が『古今和歌集』の両序において「歌聖」として遇され、この「厚遇」が以降の説話化の発端となったことは、人口に膾炙しているように思う。
 理由は異なるが、いずれの歌人も上代以降においてもコンテキストを形成する事情に事欠かないと思しく、実際にその痕跡を認めうる。『古今集』成立の十世紀前半から、十一世紀前半の『拾遺和歌集』の時代を対象に、後世の歌学書とも対比しつつ、彼らのコンテキストのありようの一端なりともを明らかにすることが、本発表の目的となる。