草の根歴史学の未来へ(黒田智)を全文公開★黒田智・吉岡由哲編『草の根歴史学の未来をどう作るか これからの地域史研究のために』(文学通信)

このエントリーをはてなブックマークに追加 Share on Tumblr

間もなく刊行する、黒田智・吉岡由哲編『草の根歴史学の未来をどう作るか これからの地域史研究のために』(文学通信)より、草の根歴史学の未来へ(黒田 智)を全文公開いたします。本書の趣意を明確に示すものです。ぜひお読み頂ければと思います。

------------

●本書の詳細はこちらから
文学通信
ISBN978-4-909658-18-0 C0021
A5判・並製・カバー装・304頁
定価:本体2,700円(税別)

------------

草の根歴史学の未来へ

 
黒田 智


〈史料学の時代〉の歴史学

 二一世紀の歴史学は、設計図を見失っている。かつての歴史学の巨人たちの多くが鬼籍に入り、近代化という「大きな物語(グランドセオリー)」の終焉がさけばれ、言語論的転回以降の物語り論からの攻勢にさらされ続けている。日本の歴史学者たちは膨大な史料の森に迷い込み、おのおのがより細分化されたテーマの個別実証研究に忙しく、そこここで無手勝流の森なき植樹をくり返してきたようにさえみえる(▼注[1])。
 それでも、こうした史料への埋没は、あらゆるものに歴史をみようとする八〇年代の社会史の落とし種でもあり、歴史学における〈史料学の時代〉への扉を押し開くことになった。ここ三〇年ほどの歴史学では、古文書・古記録のみならず、石造物や木簡・木札・埋蔵文化財・絵画・地名・景観といった多様な対象へとその関心を広げ、さまざまな方法論が模索されてきた。古文書・古記録への偏愛から多少なりとも解放された新しい歴史研究は、乱雑で一筋縄ではない、データベース化された新しい歴史像を構築してゆく可能性を秘めている。
 史料学的冒険と開拓を進めてきたのは歴史学だけではない。ほぼ同時期に文学、美術史、芸能史、宗教思想、民俗学といったさまざまな分野で進展をみている。歴史学とこれらの隣接諸分野とが相互に多大な影響を与えつつあり、その境界はますますあいまいになりつつある。周囲にそびえていた縦割りの学問の垣根はより低く薄く、透明なものになりつつあり、此岸と彼岸をへだてているのは小川か伏流にすぎず、両者はさしたる違いをもってはいないかのようにさえみえる。こうした史料学的開拓を押し進める諸分野の学際的協同は、今後もますます求められてゆくだろう。
 既成の学問への脱領域的な問いが、国民国家のごとき単一の物語に還元されない、多様な新しい語りを生み出しつつある。近い将来、ふたたび国家ではなく社会・民衆へ、統合ではなく多元性への、小さくとも新しい設計図を描き直さなくてはならないと考えている(▼注[2])。民衆や境界、マイノリティーといった「小さな歴史」や集合的記憶(長期的持続)を明らかにするために、自由な着想で大胆に挑戦し、研究の沃野を切り拓き、新しい種をまき、独自に大切に育んでゆかなくてはならない。そのひとつの主戦場こそが地域史である。

〈草の根歴史学〉の地域史へ

 ところが、近年の地域史研究は危機に瀕している。かつて地域の歴史学は、在野の研究者たちによって担われていた。彼らのほとんどは、地方国立大学出身の高校・中学校の社会科教員であった。郷土史家を任じる在野の研究者たちは、学校教育のかたわらで地域の史料を掘り起こして語り部となり、自治体史の編纂を実質的に担い、博物館や埋蔵文化財センターといった公共の研究機関で史料編纂から史料アーカイブ、講演、観光案内まで、実にマルチな活躍を一手に引き受けていた。しかし、学校現場の多忙化は、教師から地域史研究の芽を着実に摘みとってきた。博物館をめぐる文化行政の効率化・採算化は、学芸員から個人研究のための時間も体力もむしばんできた。
 本書は、金沢大学学校教育学類社会科教育専修日本史ゼミ、および同大学院教育学研究科教育実践高度化専攻カリキュラム研究コース(社会科コース)の卒業生・修了生、さらには同大学院人間社会環境研究科の修士・博士後期課程の在籍者・修了者らが執筆した日本史に関する論文集である。
 本書の執筆陣のほとんどは、北陸・東海地域の小・中・高校で学校教育に携わっている現職教員である。彼らは、大学の学部の教員養成課程を修了しただけで、研究職を生業としている者ではない。そして、今もそれぞれの職場で教員として多忙な日々を過ごしている。その仕事の合間を縫うようにして、各自がもっていたテーマにさらなる成果を盛り込み、きわめて高い水準の研究論文をつくり上げた。
 本書所収の諸論文が対象とする史料は実に多岐におよんでいる。第一部であつかう絵画史料や第二部でとり上げる寺社の縁起、近世の奇談・怪談のみならず、古文書や帳簿、系図、聖教(しょうぎょう)、天候、地名まで多種多様な史料を射程に入れている。若い執筆者たちがさまざまな史料と格闘して生み出した本書の成果こそは、新しい〈史料学の時代〉の地域史の担い手による〈草の根歴史学〉の胎動といえるであろう。
 地域史研究は、たしかに歴史学の未来を切り拓く道なき森のしるべとなるだろう。ほの暗い草陰で風雪にたえながら、豊かな土壌の栄養を吸い上げ、大地に深く根を張る名もなき雑草のように、地域史研究がむせかえるほどの草いきれのなかで新しい風を吹きおこす。地域から新しい史料学を立ち上げ、新しい地域史研究の担い手を作り出してゆく試みを〈草の根歴史学〉とよんでおきたい(▼注[3])。
 ひとつは、史料学の成果を地域史研究に生かしてゆくこと。地域には、これまで縦割りに区分され、歴史史料としてみなされることのなかった手つかずの史料が膨大に眠っている。急速な過疎化とあいつぐ災害のなかで、これらの多様な史料を再発見し保全しながら、地域の新しい史料学を構築してゆく試みである。
 もうひとつは、地域史にかかわる人の輪をつなぎ、広げてゆくこと。新しい人材を育成しながら、ほんの少しだけ地域の歴史文化に興味をもつ人から、歴史を研究することの愉しさを知る人、地域のエキスパートまで、人から人へと地域史の輪を広げてゆく試みである。
 そのとき、あらためて学校教員が重要な役割をはたすはずである。本来、学校教員とは、幅広い知識と実践的な教育方法について琢磨されているのみならず、教員自身が深い専門テーマをもち、学問のおもしろさを身をもって語ることができる者であるべきである。それは、教育方法の研究に偏重することなく、たしかな教育内容研究、歴史の探究そのものこそが子どもの心を揺さぶると考え、地域の歴史文化の語り部たる学校教員の養成を実践してきたわたしの職場、金沢大学学校教育学類社会科教育専修の信念でもある。
 本書は、大学教育の現場においても、学生の日本史論文の執筆などの際に参考図書となるだろう。各論文がもつ斬新な切り口は、研究視角や方法を見つけるための何らかの糸口になるやもしれない。本書はまた、学術的使命をもつ日本史論文集であるとともに、小学校から大学までの学校教育の現場に還元される教材でもあり、地域に根ざした郷土史研究、地域学習の教材としても活用されることを願っている。これから教師を志す若い人たち、学校教育の現場で悩んでいる教員の方々に、あらためて学ぶこと、教えることの楽しさを実感してもらいたい。さらに、教員養成のあり方、あるべき学校教員像に一石を投じる書となれば望外の幸せである。

絵画史料を読む

 「絵画史料を読む」とした第一部は、絵画史料・歴史図像から読み解く日本文化史である。
 〈史料学の時代〉の一翼をになう絵画史料論は、一九七〇年代末ごろから開始され、絵巻物や肖像画、絵図、懸幅(かけふく)絵画、屛風絵、絵本、写真といった、列島各地に膨大かつ多種多様に現存する図像群を分析・読解する試みが続けられてきた(▼注[4])。〈カタドラレタ歴史〉の解明は、これまで古文書や古記録によって描き出してきたものとは別種の文化的営為や心性を明らかにするための新しい挑戦である。本書には、中世肖像画や絵巻物から、やがて新メディアの登場とともにマスカルチャー化する職人絵、近代の肖像写真、漫画まで、多様な視覚史料論がちりばめられている。
 山野晃「鎌倉公方(かまくらくぼう)の天神像」は、一五世紀の関東鎌倉公方のもとで制作された新出の天神像に関する研究である。山野さんは、金沢大学学校教育学類、同大学院教育学研究科を修了して、現在は石川県の小学校教員をしている。コツコツとたしかな成果を積み重ねてゆける研究者気質の人である。大学院に入って金沢市内の菅原道真像の悉皆調査をするなかで、なかば偶然に出会ったのが西方寺の「鏡天神」であった。加越能地域には、まだまだ多くの絵画史料が眠っていることをあらためて実感する。第五八回北陸史学会大会報告(二〇一六年)をもとにしており、関連論文に「中世鎌倉の天神像」(『北陸史学』六六号、二〇一七年)がある。
 中世手取川(てどりがわ)流域の信仰圏を考えるのが、市河良麻「『遊行上人縁起絵』の手取川」である。室町時代の絵巻物に描かれた時衆一行の渡河を助けた神仏たちの正体を追いながら、この地の白山信仰が時宗という新興の信仰を承認してゆく物語を読み取っている。みずからも手取川扇状地で生まれ育ち、石川県で中学校の教諭をしている市河さんは、バレーボールで鍛えた長身に、気配りの行き届いた繊細な一面を併せもつ。
 一六世紀に突如として登場した「蔵回(くらまわり)」と呼ばれる職人の実像に、風呂敷を背負う現代の泥棒の原像を追ったのが、木村直登「なぜ泥棒は風呂敷を背負うのか」である。新潟生まれの木村さんは、今では石川県の高校日本史の教員である。三年次の演習でとり上げたテーマを卒業論文にまとめたもので、文学作品から漫画まで執拗な史料の調査収集と博捜をくり返して完成させた力作である。本論文は、『北陸史学』六四号(二〇一五)に掲載された論文「盗賊と古着」に加筆したものである。
 金沢市卯辰山麓(うたつさんろく)にある真成寺の木造鬼子母神像を論じたのが、岡田彩花・鳥谷武史「前田利常(まえだとしつね)の鬼子母神」である。鬼子母神・十羅刹女像(じゅうらせつにょぞう)の像背墨書銘(ぞうはいぼくしょめい)を手がかりに、加賀前田家三代利常と生母寿福院(じゅふくいん)の信仰と伝承をたどっている。現在、岡田さんは愛知県の小学校教員で、成稿にあたって鳥谷武史さんが大幅な修正を加えている。二〇一四年春に行なった金沢真成寺の調査は、同期の学生総出で行なった最初の本格的な寺院調査になった。
 髙澤克幸「新発田(しばた)藩主の肖像画」は、越後新発田藩主溝口氏の肖像画論である。歴代藩主肖像画の制作・修復の背景に、藩主溝口家と新発田藩政の歴史を読み解いている。歴史好きで、驚くほど博識の髙澤さんは、現在では新潟県の中学校教員として活躍している。同期の学生たちとはるばる新発田まで調査に出かけたことは思い出深い。
 吉岡由哲「肖像写真の胎動─久田佐助(ひさださすけ)コレクション」は、日露戦争前夜にロシア船と衝突、沈没した青函連絡船東海丸の船長であった久田佐助の新発見の古写真をとり上げる。吉岡さんは、名古屋学芸大学で写真を学んだのち、金沢大学大学院教育学研究科にやってきた。当初は郷里の福井県で社会科教諭になる予定であったが、文化財撮影の道を志し、科研をはじめとする内外の各種の研究プロジェクトや学生・院生の調査にも随伴し、歴史史料や文化財の撮影を精力的に行なっている。調査の丁寧なコーディネートと創意工夫に満ちた質の高い撮影技術は、今ではわたしや学生たちの調査研究に不可欠の存在となっている。彼がいなければ、本書が刊行されることもなかっただろう。第五八回北陸史学会大会報告(二〇一六年)をもとにしている。

縁起と奇談の歴史学

 本書のもうひとつの柱となるのが、寺社縁起と近世奇談である。
 文化や表象・言説をめぐる新しい文化史が生み出され、知(エトス)や心性(マンタリテ)をめぐる研究はめざましい進展をとげつつある(▼注[5])。新しい文化史が対象とする問題群の射程はきわめて広範におよび、その最前線では「人が生きてゆくこと」という倫理的で、根源的な課題に肉薄しつつある。すべての史料は、事実の欠片ではなく、テクストにすぎない。「歴史は物語られる」ことに目を向け、物語る行為を出発点に表象の歴史的変化を浮かび上がらせる。それは、古文書・古記録を一次史料とする実証史学から離れて、偽文書や編纂史料、物語といった主観性やフィクションを認める詩学へと向かう。この〈カタラレタ歴史〉をめぐる研究は、とりわけ環境文化史のなかで目覚ましい成果が蓄積されつつある。
 縁起研究や怪異学は、こうした新しい文化史の一翼をになう役割を期待されてもいるのである。寺社縁起の研究は、一九七〇年代後半を嚆矢として、九〇年代に美術史研究や各地の博物館・美術館でもとり上げられるようになった。文学でも早くから説話研究や唱導(しょうどう)・絵解き研究の蓄積があり、歴史学でも古代の資材帳や中世の勧進(かんじん)、近世の由緒論が進展をみて、寺社調査による多様な史料群の再発見や絵画史料論の深化がこれを後押している。今や縁起研究は、関連する人文諸分野が協同した総合的研究を推進すべき新しい段階に入っている(▼注[6])。
 第二部「寺社縁起と奇談」では、縁起に隠された寺社や家の由緒、奇談・怪談のなかで在地社会に語り継がれてきた知られざる歴史を論じている。北陸地域(富山・石川・福井県)は、堀麦水(ほりばくすい)『三州奇談(さんしゅうきだん)』や『咄随筆(はなしずいひつ)』、『北国奇談巡杖記(ほっ こくきだんじゅんじょう き)』、『聖城怪談録(せいじょうかいだんろく)』など、全国屈指の近世奇談集・怪談集を伝える地域でもある。これらの物語もまた、新しい地域史を描く格好の素材となることがわかるであろう。
 越前の戦国大名朝倉義景がつくった『赤淵大明神(あかぶちだいみょうじん)縁起』を読み解いたはじめての専論が、木村祐輝「『赤淵大明神縁起』の誕生」である。義景による一連の縁起制作の背景に、鎌倉将軍源頼朝のイメージが浮かび上がる。研究熱心な木村さんは、現在、福井県の高校の日本史教員として活躍している。本論文は、寺社縁起研究会関東支部第一一七回例会報告(二〇一六年)をもとにしている。
 竹内央「「大野湊(おおのみなと)神社縁起」の誕生」は、一七世紀の大野湊神社縁起の成立背景に、ふたつの神主家の争いがあったことを論証している。竹内さんは、金沢大学大学院教育学研究科を修了。笑顔の奥にある情熱は、現在では石川県の小学校教員として子どもたちに注がれている。第五五回北陸史学会大会報告(二〇一四年)をもとにしている。
 『三州奇談』を鮮やかに読み解いたのが、土居佑治「夜の悪鳥・悪獣と女」である。「応籟(おうらい)」「妖籟(ようらい)」と呼ばれる怪異が、送り狼や空声を発する梟の所業と推測し、謡曲世界と結び合っていることを明らかにしている。史料の読み解きの楽しさ、仕掛けの巧みさを味わっていただきたい。なんでも器用にこなす土居さんは、石川県内の高校で勤務した後、教育コンサルタントとして新しい一歩を踏み出している。
 髙澤由紀「忘れられた秀郷」は、『北国奇談巡杖記(ほっ こくきだんじゅんじょうき)』をはじめ加越国境周辺で語り継がれてきた雨乞い伝承と俵藤太(たわらのとうた)伝説から、この地域に生き続ける藤原秀郷(ふじわらのひでさと)流武士団の痕跡を見いだしている。なんでも呑み込みの早い大西(髙澤)さんが、時間をかけて膨大な昔話や伝説、系譜史料を渉猟した労作でもある。
 能登半島の付け根に位置する「羽咋(はくい)」の地名伝承の起源を探ったのが、河合柚「水犬の怪鳥退治─羽咋地名考」である。気多社縁起(けたしゃえんぎ)の影響を強く受けながらも、怪鳥を退治する三匹の「水犬」の登場が、意外にも一九世紀後半にまでしかさかのぼれないことに驚かされる。また、羽咋の川渡し神事や唐戸山(からとやま)の相撲から、この地で育まれた七夕伝承についても指摘している。羽咋で生まれ育った河合さんは、現在は金沢市内で小学校教員となり、子どもたちとともに日々研鑽を続けている。
 鳥谷武史「『江島五巻縁起(えのしまごかんえんぎ)』と仏牙舎利請来譚(ぶつげしゃりしょうらいたん)─慈悲上人良真と実朝の夢」は、江島縁起の悉皆的調査と類型化をほどこし、仮名本系が新たに付加した良真(りょうしん)遷宮譚に注目し、源実朝の渡宋計画や仏牙舎利請来譚との関係を探っている。鳥谷さんは、金沢大学人文学類の卒業生で、大学院進学前からわたしの授業の聴講に来て以来、今では吉岡さんとともに欠くことのできない研究仲間となった。ほどなく博士論文としてまとめた中世の弁才天信仰、とりわけ江島弁才天信仰研究の嚆矢となる本格的論考が公表されることになるだろう。

さまざまな歴史史料

 「歴史史料の可能性」と題した第三部では、上記以外の多様な史料を手がかりに、中近世北陸の地域史をひもといている。
 公用銭状と呼ばれる一五世紀後半に膨大に残存する荘園の支出用途を記した帳簿の分析・読解に真正面から立ち向かったのが、山科建太「能登土田荘公用銭状の研究」である。多様な文書様式をもち、複雑な支出項目・支出額が羅列されたこれらの帳簿を数量分析した結果、「廿人寄合(にじゅうにんよりあい)」や「神事用途」のなかに村の自立的なはたらきかけを見いだしている。卒論発表会で絶賛されたこの論文を書き上げた山科さんは、土田荘故地である志賀町の出身であり、現在は能登で小学校教員として教壇に立っている。
 小川歩美「石動山(せきどうさん)史料と祈雨(きう)の記憶」は、聖教調査を実施した羽咋正覚院に残る水天供関係史料に着目し、中央の大寺院である高野山から地方寺院である石動山へと史料が集積されてゆく歴史的過程をたどっている。小川さんは、金沢大学大学院博士前期課程を修了後、学術資料の保存・活用をすすめる合同会社AMANEの社員として活動している。着実に仕事をこなす若手研究者で、早くから石動山史料や雨宝童子像に着目し、仏教図像や聖教のもつおもしろさを引き出すことに成功している。本論文は、第五九回北陸史学会大会報告(二〇一七年)をもとにしている。
 一六世紀末、織田信長亡き後の後継の座を羽柴秀吉と争った柴田勝家は、なぜ賤ヶ岳合戦に敗れたのか。中山貴寛「賤ヶ岳合戦の雪」は、その背景に天正一一年(一五八三)の春の大雪の可能性をみる。一六世紀の古記録のなかから春の降雪日数をピックアップして、小品ながら環境史、気候変動論の試みとして貴重である。野球部監督を務める中山さんは、福井県の中学校・高校の社会科教員として校種をこえて活躍している。第五四回五学会連合発表会報告(二〇一四年)をもとにしている。
 加護京一郎・黒田智「「額氏系図(ぬかしけいず)」を読む─金屋彦四郎(かなやひこしろう)家の記録」は、近世金沢屈指の豪商金屋の系図を丹念にひもといた好論である。一向一揆で倒れた富樫氏を祖先とする一族が、金沢銀座役を務める家柄商人金屋として近世を生き抜く激動の歴史が叙述されている。加護さんは石川県の高校教員で、金沢市額町の出身。自分が生まれ育った土地の歴史をとり上げたいと、長文の系図の読解にいどんだ。成稿にあたって黒田が大幅に改稿している。
 林亮太「加賀前田家年寄の後見制─本多政和(ほんだまさかず)を事例に」は、加賀八家と呼ばれる加賀藩年寄の世襲制を存続させるために生み出された後見制という独特のシステムについて論じている。林さんは、わたしの着任以前に金沢大学大学院教育学研究科の修士課程を修了し、金沢市立玉川図書館近世史料館等で勤務するかたわら、博士号を取得した。近世加賀藩の年寄の研究に邁進し、職制論だけではない新しい藩研究を切り拓こうとしている気鋭の若手研究者である。
 西田夏希「東山の成立」は、金沢の「東山」という古くて新しい地名を手がかりに、遊郭の盛衰と地名の歴史的変容との関係を丹念に追った論考である。執筆者の西田さんは、わたしが金沢に来てはじめて担当した学生のひとりである。石川県の小学校教員となり、今は特別支援教育の現場で日々、子どもたちと向き合っている。
 森石顕「橋本左内(はしもとさない)の建儲(けんちょ)」は、幕末の動乱期に福井藩のイデオローグとして生きた橋本左内の思想をとり上げている。左内の発給文書に登場する膨大な語彙を腑分けして、「建儲」という一風変わった言葉を見つけ出した。本論文は、この「建儲」という言葉に込められた橋本左内の国家構想を読み解いたものである。これも金沢大学で最初に指導した卒業論文で、二〇一一年秋の第五三回北陸史学会大会報告をもとにしている。森石さんは福井県の高校教諭をへて、現在は福井県職員として勤務している。
 そのほか、本書にはこれまで地域史研究・歴史教育にたずさわってきた三名を加えて、六本のコラムを収録している。また、各論文の冒頭に短い紹介文を収録している。これは、二〇一八年度金沢大学学校教育学類の開講科目「日本史B」での書評会の成果であり(コラム①参照)、受講した同学類社会科教育専修三年生(当時)と小川歩美さん、大学院人間社会環境研究科博士前期課程の米田結華さんによる執筆である。さらに、本書でとり上げたいくつかのテーマについて簡単なブックガイドを付した。地域史研究、地域史教育に関心をもった方は、お手にとっていただければ幸いである。
 なお、本書は、二〇一七〜一九年度文部科学省科学研究費基盤研究(C)「中近世加越能地域の村落と宝物」(研究代表 黒田智)の成果の一部である。

【注】
[1]キャロル・グラック「戦後史学のメタヒストリー」(『歴史で考える』岩波書店、二〇〇七年)、黒田智「あたらしい文化史の跫音」(『民衆史研究』八〇、二〇一〇年)。
[2]中世史では、八〇年代の網野史学と社会史という祭りの後で、ゼロ年代にはその関心が国家に向かったといわれている。「日本中世史における社会史的関心とは、あえて極論すれば社会の分裂的、多元的側面への関心にほかなら」ず、「政治史・国家史の方向へと大きく舵を切った」のは、「分裂から統合への関心の移動にほかならなかった」と指摘されている。桜井英治「中世史への招待」(『岩波講座日本歴史』中世1、岩波書店、二〇一三年)。
[3]地域の多様な史料の保存・アーカイブスをめぐるうごきが活発である。近年の地域の史料学に関する優れた成果として、馬部隆弘『由緒・偽文書と地域社会』(勉誠出版、二〇一九年)をあげておきたい。
[4]黒田日出男『姿としぐさの中世史』(平凡社ライブラリー、二〇〇二年)、藤原重雄「中世絵画と歴史学」(石上英一編『日本の時代史』三〇、吉川弘文館、二〇〇四年)、黒田智「絵画にかくされたもうひとつの日本文化」(秋山哲雄・田中大喜・野口華世編『日本中世史入門』勉誠出版、二〇一四年)。
[5]リン・ハント編『文化の新しい歴史学』(岩波書店、一九九三年)、ピーター・バーク『文化史とは何か』(法政大学出版局、二〇〇八年)、倉地克直『「生きること」の歴史学』(敬文舎、二〇一五年)参照。
[6]黒田智「縁起を物語る力」(『アジア遊学』一一五、二〇〇八年)。