黒田智・吉岡由哲編『草の根歴史学の未来をどう作るか これからの地域史研究のために』(文学通信)

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1月下旬刊行予定です。

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黒田智・吉岡由哲編『草の根歴史学の未来をどう作るか これからの地域史研究のために』(文学通信)
ISBN978-4-909658-18-0 C0021
A5判・並製・カバー装・304頁
定価:本体2,700円(税別)

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草の根歴史学の未来へ(黒田智)を全文公開★黒田智・吉岡由哲編『草の根歴史学の未来をどう作るか これからの地域史研究のために』(文学通信)

歴史学の新しい主戦場は、地域史だ!
地域には、これまで縦割りに区分され、歴史史料としてみなされることのなかった手つかずの史料が膨大に眠っている。史料学の成果を地域史研究に生かすということを軸に、若い執筆者たちがさまざまな史料と格闘して生み出した書。金沢大学の卒業生・修了生、大学院の修士・博士後期課程の在籍者・修了者らが執筆。執筆陣のほとんどは、北陸・東海地域の小・中・高校で学校教育に携わっている現職教員である。
これからの地域史研究の参考になることを目指すべく、史料撮影、教材研究、教材の作り方、郷土史研究と地域学習、卒論指導に関するコラムも備えた、かつてない日本史論文集。
編集は研究活動と同様、文化財調査・地域史研究に積極的に取り組んできた、黒田 智、吉岡由哲。執筆は、黒田 智、山野 晃、市河良麻、木村直登、岡田彩花、髙澤克幸、吉岡由哲、木村祐輝、竹内 央、土居佑治、木越隆三、髙澤由紀、河合 柚、鳥谷武史、村井淳志、山科建太、小川歩美、中山貴寛、宮下和幸、加護京一郎、林 亮太、西田夏希、森石 顕(執筆順)。

【本書は、大学教育の現場においても、学生の日本史論文の執筆などの際に参考図書となるだろう。各論文がもつ斬新な切り口は、研究視角や方法を見つけるための何らかの糸口になるやもしれない。本書はまた、学術的使命をもつ日本史論文集であるとともに、小学校から大学までの学校教育の現場に還元される教材でもあり、地域に根ざした郷土史研究、地域学習の教材としても活用されることを願っている。これから教師を志す若い人たち、学校教育の現場で悩んでいる教員の方々に、改めて学ぶこと、教えることの愉しさを実感してもらいたい。
 さらに、教員養成のあり方、あるべき学校教員像に一石を投じる書となれば望外の幸せである。】......「草の根歴史学の未来へ」より

【編者紹介】

黒田 智(くろだ・さとし)
1970年、埼玉県生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学、博士(文学)。現在、金沢大学人間社会研究域学校教育系教授。
単著『藤原鎌足、時空をかける』(吉川弘文館、2011年)、『なぜ対馬は円く描かれたのか』(朝日選書、2009年)、共著『天皇の美術史』3 乱世の王権と美術戦略(吉川弘文館、2017年)、共編著『里山という物語』(勉誠出版、2017年)。歴史図像学と環境史を両輪とする中近世日本文化史の研究とともに、学校教員をめざす学生たちと加越能地域の文化財調査・地域史研究を進めている。

吉岡由哲(よしおか・よしあき)
1990年、福井県生まれ。金沢大学大学院教育学研究科修士課程修了、修士(教育学)。現在、金沢大学大学院人間社会環境研究科客員研究員。公益財団法人 岩手県文化振興事業団 埋蔵文化財センター職員。
単著「盛岡松尾神社所蔵『杜氏職由緒』を読む」((公財)岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センター『紀要』38、2019年)。東日本大震災の復興事業などで出土した十数万点にのぼる考古遺物を撮影するかたわら、加越能地域を中心に国内外の文化財の撮影をおこなっている。そのほか、美術雑誌(『聚美』ほか)や博物館・美術館図録に、撮影した文化財の写真が数多く掲載されている。

【目次】

口絵

草の根歴史学の未来へ(黒田 智)
〈史料学の時代〉の歴史学/〈草の根歴史学〉の地域史へ/絵画史料を読む/縁起と奇談の歴史学/さまざまな歴史史料


第一部 絵画史料を読む

第一章 再発見された「天神さま」
鎌倉公方の天神像(山野 晃)

[現代日本でも、厚く信仰されている学問の神様、菅原道真。その姿を伝える図像は数多く存在する。金沢市西方寺に残る「鏡天神」もそのひとつである。またの名を「怒り天神」。その形相からつけられた呼び名である。本稿では、「鏡天神」作成の歴史的背景を探る。いつ、どこで、誰の指示でつくられたのか。そこにみえてきた室町幕府と鎌倉府の対立。絵は、時としてわれわれの心を奪い、時としてわれわれに歴史を語る。]
一 西方寺所蔵「鏡天神」/二 鎌倉の天神像/三 梵淳と帰才/四 制作時期の同定/五 発注者としての足利持氏/六 応永三〇年の東西緊張と鎌倉五山/七 鎌倉公方と室町将軍の天神信仰

第二章 絵巻に描かれた信仰圏
『遊行上人縁起絵』の手取川(市河良麻)

[人は、自分の力ではどうにもならないとき「神様、仏様......」と祈願してきた。神仏の加護により人びとが救われる。日本では、このような話が数多く残っている。本稿でとり上げる『遊行上人縁起絵』もそのひとつである。激しい雨風のなか、荒れ狂う川を渡る時衆たち。彼らを救ったのは不動明王と毘沙門天だった。舞台は、石川県白山市の手取川。なぜ二体の仏は、この地にあらわれたのか。時衆との関係とは。当時の信仰を手がかりにこの伝記の謎を解き明かす。]
一 手取川を渡る/二 石立という龍宮/三 他阿ゆかりの加賀一一ヶ寺/四 加能地域における不動信仰/五 毘沙門堂領能美荘/六 白山権現の本地仏としての不動明王・毘沙門天/七 渡河の系譜/八 信仰の交差点

第三章 職人図像の変容
なぜ泥棒は風呂敷を背負うのか(木村直登)

[「七十一番職人歌合絵」に突如あらわれた大袋を担ぐ「蔵回」という職人。剥ぎ取りが横行していた時代、蔵回は、盗んだ古着を売りさばいて利益を得る盗賊であった。本稿は、この特異な職人の実像を明らかにしていく。それは、現代のわたしたちが知る〝唐草風呂敷を担ぐ泥棒〟の誕生の歴史へとつながるのだった。]
一 蔵回と大袋/二 「剥ぎ取り」の歴史/三 中世京都における盗賊行為/四 蔵回の正体/五 近世における盗賊と古着商/六 盗人イメージの変容─大袋から風呂敷へ

[コラム1]イントロダクションができるまで(黒田 智)

第四章 像背墨書銘を手がかりに
前田利常の鬼子母神(岡田彩花・鳥谷武史)

[鬼子母神。鬼のような形相をした恐ろしい神様を想像するかもしれない。金沢市内の卯辰山の一角にある真成寺。そこには微笑みをたたえた優しい表情をした鬼子母神が存在する。寺伝によると、丹羽長重が小松城主であった時期に天守に祀ったとされている。それが後に加賀藩二代藩主利常に渡った。鬼子母神と利常。そして、その母である寿福院。彼らをとりまく加賀藩の重臣、真成寺にゆかりのある人びとの思いをみていこう。]
一 真成寺所蔵「鬼子母神像」「十羅刹女像」/二 丹羽長重と前田利常/三 寿福院の日蓮宗信仰/四 利常ゆかりの施主たち/五 藩主の寺・庶民の寺

第五章 肖像画の制作と修復
新発田藩主の肖像画(髙澤克幸)

[今に伝わる数多くの肖像画。過去の人物の姿かたちをわたしたちに伝えるそれは、ただ鑑賞するためにつくられたわけではない。本稿では、新史料である箱書をもとに、新発田の肖像画の制作意図にせまる。越後国内において、一度の転封もなく、同じ地を治め続けた新発田藩、溝口家。彼らは何を思い、何を願って藩主の肖像を描いたのか。肖像画は歴史を語る。]
一 溝口秀勝と新発田藩/二 新発田藩主肖像画の誕生/三 新発田藩主の肖像画/四 もうひとつの秀勝像/五 稀代の文芸君主/六 新発田藩中興の祖/七 藩主肖像画の終焉

第六章 古写真のなかの英雄
肖像写真の胎動─久田佐助コレクション(吉岡由哲)

[一九〇三年、東海丸沈没事故。そこには、使命を全うし、沈みゆく船と運命をともにした船長・久田佐助の姿があった。彼の勇姿は多くの日本人の心をつかみ、政治的・軍事的な色を帯びつつ時代を超えた盛り上がりをみせた。この社会現象の裏で重要な役割をはたしたのは、当時新たなメディアとして登場した写真であった。本稿では、久田の肖像をもとに、胎動期における写真技術の変遷をたどる。そこから見えてくる、彼を英雄たらしめた要因とは。]
一 久田佐助の肖像/二 史料紹介 久田佐助コレクション/三 久田を撮った写真師/四 理想化された肖像

[コラム2]史料撮影の五つのポイント(吉岡由哲)

第二部 寺社縁起と奇談

第一章 再現される武家の故実
『赤淵大明神縁起』の誕生(木村祐輝)

[激動の戦国時代。生涯のすべてを朝倉氏の存続のために尽くし、志半ばで倒れた武将、朝倉義景。赤淵神社の来歴のみならず、朝倉氏の祖先である日下部氏の由来を書いた『赤淵大明神縁起』。外題を添えたのは正親町天皇。本縁起にちらつく頼朝の影。義景は、何を思って『赤淵大明神縁起』を作成したのか。争いが絶えない時代に、一乗谷の地で文化の花が開花する。]
一 『赤淵大明神縁起』の諸本/二 縁起を読む/三 異国征伐譚と九穴の貝/四 左衛門督義景/五 後嗣問題/六 犬追物/七 宸筆縁起の成立/八 曲水の宴/九 幸若舞曲「浜出」/一〇 滅亡の先に

第二章 由緒を創り出す家々
大野湊神社と縁起(竹内 央)

[一三〇〇年の歴史を有し、加賀藩主である前田家の保護を受けてきた大野湊神社。導きの神を祀るこの神社は、今でもさかんに祭事や行事、神前結婚式をおこなっており、地元の人びとに愛されている。ところが、「大野湊神社」という名は、平安時代から江戸時代までの約八〇〇年間史料から姿を消す。一七世紀末、ふたたび大野湊神社として史料に登場した背景には、神主の地位をめぐる激しい同族間抗争と悲劇があった。筆者は、この知られざる大野湊神社の歴史に光をあてる。]
一 大野湊神社と佐那武社/二 「佐那武社」から「大野湊神社」へ/三 享保縁起と『信田』・『笈捜』/四 神主河崎家の分立

第三章
奇談にひそむ怪異の正体
夜の悪鳥・悪獣と女(土居佑治)

[夜に声だけが聞こえてくる妖怪「妖籟」と「応籟」。堀麦水『三州奇談』の「空声送人」に登場するこの妖怪たちは、何を暗示するか。「秋の夜に水をかける」といった妖怪の特異な行動にみる暗喩。物語中の謡曲に登場するふたりの女性との関係。江戸時代における「梟」と「狼」の象徴的意味。そして月と松の風情。それらが、われわれを一種独特な美しき幻想の世界へと誘ってくれる。]
一 「空声送人」/二 送り狼/三 空声の梟/四 「松風」「村雨」と天狗

[コラム3]教材研究と史料学の役割(木越隆三)

第四章 在地に生き続ける英傑の記憶
忘れられた秀郷(髙澤由紀)

[「勝者」は、みずからの歴史を高らかに語るだろう。では、「敗者」は。越中砺波地方には、藤原秀郷に関する伝承が多くある。秀郷の百足退治譚にまつわる縄ヶ池の龍蛇伝説もそのひとつである。「火」と「水」とが対立するこの地の龍蛇伝説には、語り手側の現実の戦いの記憶が込められている。「敗者」となった語り手は何を語るのか。彼らは負けた後、どう生きていけばいいのか。]
一 縄が池の物語/二 蛇と百足の民話と伝承/三 越中の藤原秀郷/四 秀郷流と利仁流
/五 秀郷流井口氏と石堤西光寺縁起/六 秀郷流波多野氏と野尻時光/七 越中の南北朝内乱と桃井直常

第五章 地名に秘められた神仏のよすが
水犬の怪鳥退治─羽咋地名考(河合 柚)

[わたしたちの名前に由来があるように、地名にも由来がある。本稿では、石川県の羽咋に焦点をあて、その地名の歴史的背景にせまる。謎をひもとく鍵になるのは、羽咋神社の神事。多くの史料に残された悪鳥退治の伝承は少しずつ姿を変え、語り継がれてきた。「矢根三本」から「三犬」へ。現在に伝わる伝承には、昔の人びとの水神信仰が隠されていた。羽咋地名に隠された謎を今、解き明かす。]
一 「羽咋」の昔話/二 「気多社由来記」を読む/三 邑知潟の大蛇と怪鳥/四 矢根三本から三犬へ/五 水犬塚の誕生/六 七夕伝説と川渡し神事

第六章 変容する聖地の夢と霊験
『江島五巻縁起』と仏牙舎利請来譚─慈悲上人良真と実朝の夢(鳥谷武史)

[中世の弁才天信仰における重要な霊地のひとつであった江島。この地の由緒を語った「江島縁起」には、仮名本系と呼ばれる一群がある。これらの縁起には、良真という僧を主人公とする独自の物語が含まれる。その背景には、鎌倉幕府三代将軍・実朝が抱いた夢が大きくかかわっていた。良真の物語は、どのような意味をもつのだろうか。本稿では、「仏牙舎利請来譚」をキーワードに、仮名本系の成立過程をひもとく。]
一 良真遷宮譚/二 江島の遷宮と『吾妻鏡』/三 良真と仏牙舎利請来譚/四 変容する仏牙舎利請来譚

[コラム4]歴史教材の作り方(村井淳志)

第三部 歴史史料の可能性

第一章 帳簿にみる民衆のたたかい
能登土田荘公用銭状の研究(山科建太)

[激動の戦国時代の最中。武士同士だけではなく、領主とそこに住む人びとの間にも争いがあった。ことの発端は年貢収納。本稿では、「能登土田荘公用銭状」の発給数と記載を分析し、領主と村人の関係の変遷を探っていく。公用銭状が残っていない大きな空白期、その前後で年貢の納め方は変化していた。鍵を握るのは、京都の有力者である野洲井氏の介入。それに対抗して、惣的な結合である寄合によって公用銭を獲得するようになった土田荘民。野洲井氏と土田荘民との間でくり広げられた公用銭をめぐるせめぎ合いとは。]
一 土田荘公用銭状/二 貴船社神事用途─α1 野洲井以前(一四八五年〜九〇年)/三 野洲井分─α2 第一次野洲井期(一四九一年〜九七年三月)/四 十五人寄合─α3 野洲井失脚期(一四九七年六月〜一五〇一年)/五 公用銭システムの崩壊─α4 第二次野洲井期(一五〇二年〜〇四年)/六 公用銭状の終焉─空白期とβ期

第二章 近世寺院史料の集積過程
石動山史料と祈雨の記憶(小川歩美)

[石川県羽咋市にある真言宗寺院・亀鶴蓬菜山正覚院。八世紀の開基とされ、長い歴史を有するこの寺院には、石動山関係の史料が大量に収められている。筆者は正覚院所蔵の水天供関係史料に着目し、書写・転写の過程から、それらが生成・集積されていく歴史的過程にせまる。近年の中世寺院史料論の深まりの一方で、近世寺院史料はほとんど放置されてきた。本稿は、近世寺院史料に光をあて、新たな研究の道を探るものである。]
一 寺院史料としての正覚院史料/二 祈雨法の歴史的展開/三 水天供故実の誕生/四 水天供関係史料の集積過程

第三章 合戦の勝敗を分けた天候
賤ヶ岳合戦の雪(中山貴寛)

[織田家屈指の猛将柴田勝家。天下統一をめざす豊臣秀吉を前に賤ヶ岳合戦で敗北した。なぜ勝家は敗北したのか。その理由を「雪」という新たな面から探る。遠い過去を思うときには忘れてしまいがちだが、今も昔も変わらず、人間は自然に左右される運命にあるのだと痛感する。季節が違えば、日本の歴史は変わっていたのかもしれない。]
一 柴田勝家文書の古文書学/二 前田利家文書の季節性/三 羽柴秀吉文書の季節性/四 天正一一年の勝家文書/五 天正一一年の積雪/六 木ノ芽峠越え/七 賤ヶ岳合戦の雪

[コラム5]郷土史研究と地域学習(宮下和幸)

第四章 系図という一族の物語
「額氏系図」を読む─金屋彦四郎家の記録(加護京一郎・黒田 智)

[戦国時代、さかんに起こった下剋上。加賀一向一揆もそのひとつである。富樫氏が滅びたなか、金沢商人としての特権的地位を保持した一族がいた。彼らは、代々金沢銀座役をつとめ、さまざまな業種を手広く経営した。それが額氏である。一向一揆で倒れた初代額景春の「景」の一字。これを受け継ぐ「額」の復姓に秘められた思いとは。]
一 一向一揆の落とし子/二 柳ヶ瀬の砲弾/三 金屋彦四郎家の特権/四 金屋と油紙屋/五 額氏の復姓

第五章 「家」を支えた互助システム
加賀前田家年寄の後見制─本多政和を事例に(林 亮太)

[年寄として加賀藩の藩政を支えた八家。彼らによる世襲制は、元禄期から幕末までの長きにわたり、変わることなく存続してきた。この体制を支えたのは、幼くして家督を継いだ年寄家の当主を、別の年寄が後見役としてサポートする後見制であった。本稿では、年寄本多家九代政和の事例をもとに、加賀藩年寄家における後見制の実態を明らかにする。そして、その世襲制の維持に大きく貢献したシステムについて考察する。]
一 加賀前田家年寄の研究状況と課題/二 本多政礼の遺書/三 後見役の実態/四 後見制の意義

第六章 茶屋街の近世と近代
東山の成立(西田夏希)

[歴史的景観がひしめき合う小京都金沢。本稿は、その一端を担う〝ひがし茶屋街〟に焦点をあてる。茶屋街をとりまく土地利用、成立までの過程、そして、そこに暮らす美しい遊女たち。この街は、風紀の乱れを理由に政府から弾圧され続けた。それにもかかわらず、今もなお艶やかな文化が花開いている。町名の変遷から、「東山」成立の過程にせまる。]
一 卯辰地域をとりまく空間秩序/二 茶屋町の成立/三 町名の変遷からみた茶屋町/四 東山の成立

第七章 書簡にあらわれた国家構想
橋本左内の「建儲」(森石 顕)

[外圧で動揺した幕末日本。開明思想家・橋本左内は、一橋慶喜を次期将軍にしようと奔走した。左内は、どのような国家を夢見ていたのだろうか。本稿では、書簡の語彙を丹念に調べ、その思想の真髄にせまった。今こそ日本国は、「建儲」の下にひとつになるべき─。ひとり未来を見すえ、統一国家の形成をめざして駆けぬけた二六年。「建儲」「儲君」というふたつの言葉から知られざる左内の思いが浮かび上がってくる。]
一 橋本左内の国家思想/二 橋本左内の古文書学/三 ふたつの国家観/四 橋本左内の国家論/五 橋本左内の「建儲」

[コラム6]大学における卒論指導(黒田 智)

■「草の根歴史学」の未来を考えるためのブックガイド
絵画史料論を学びたい人へ(黒田智)
地域の由緒と記憶をたどりたい人へ(黒田智)
縁起・奇談のなかの真実を知りたい人へ(黒田智)
環境史の最前線を知りたい人へ(黒田智)
古文書・聖教調査をしたい人へ(藤巻和宏)
史料撮影に挑戦したい人へ(吉岡由哲)
歴史教育を一歩前に進めたい人へ(村井淳志)


おわりに(吉岡由哲)

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