今度刊行する『デジタル学術空間の作り方 仏教学から提起する次世代人文学のモデル』について(岡田圭介)
Tweet今度刊行する『デジタル学術空間の作り方 仏教学から提起する次世代人文学のモデル』について
岡田圭介
●2019.12月刊行
下田正弘・永崎研宣編
『デジタル学術空間の作り方 仏教学から提起する次世代人文学のモデル』
A5判・並製・384頁
定価:本体2,800円(税別)
伝統的な専門出版社ほど、デジタルに取って代わられる領域が迫ってくるのは早いだろう。もう大分前からそう感じてはいて、文学通信を立ち上げた時から、それはわかっていたことだった。我が社は今後、学術の世界でどうふるまい、どんなプレイヤーになればいいんだろう。最近では苦し紛れに、学会のインターネット中継を業務レパートリーに加えてみたりしたが、答えはそこにはもちろんない。
『デジタル学術空間の作り方 仏教学から提起する次世代人文学のモデル』は、学術出版社の人間から見ると、いままでの「出版」というシステムが陳腐に見えてしまうほど興奮できるものだ。「学術情報流通」という観点からみると、現在の学術出版社の限定的な役割はレトロに思えてきてしまうところがつらい(独り言である)。
それはさておき、本書の冒頭に据えたのは、編者二人による共著「デジタル学術空間の作り方─SAT大蔵経テキストデータベース研究会が実現してきたもの」である。全130ページで、本書全体の1/3を占める。大正新脩大藏經テキストデータベースは、「デジタル学術空間」を作るトップランナーであり続けてきたことは誰しも認めるところだろうと思うが、その秘密が赤裸々に語られている。戦記といっていいものだ。
情報通信技術をめぐって社会環境が激変する前世紀末から現在に至るまで、四半世紀を超えて継続してきたSAT研究会は、従来の人文学の預かり知らぬ世界で起こり続ける変化に対し、当初の計画を持続的に変更していかざるを得なかった。その意味で、SAT研究会のアイデンティティは、その維持のために、絶えざる変容を繰り返すことによって成り立ってきた。(P.20)
計画を持続的に変更する。絶えざる変容を繰り返す。まさにサバイバルであるが、突如出現したライバルの登場で国際連携へと舵を切り、人文学と情報学をつなぐ新たな学問領域、デジタル・ヒューマニティーズで新規分野を開拓するということになる。どの章も具体的に書かれているが、細かな部分ひとつひとつにSATのアイデンティティが宿っていることが面白く、夢中になって読みすすめてしまった(特にUnicode、TEI、IIIF等の国際規格への積極的な関与など)。じっくり読んでいただきたいが、末尾はこう結ばれていた。
...これまで取り組んできた規格をより深く活用した本格的なデジタル学術編集版は今後近いうちに構築したいと考えている。これを研究に関する情報の循環を成立せしめるエコシステムの中心として、ほかの研究上の要素とリンクするようになっていけば、デジタル上で信頼の置ける研究情報のネットワークが成立していくことになるだろう。そのようなネットワークは、やがては仏教学の世界のみならず、ほかの分野の研究者や一般の人々に対しても、そして、世界各地の多様な歴史文化資料データにもさらに開かれたものになっていくだろう。高校生にもわかるような現代日本語のテキストから、1000年以上前に書かれた写本や800年前に刷られた木版本に数クリックで至り、そこから同時代の人が触れていたテキストや図像の世界に入り込んでいき、しかし同じ対象を、時代が変われば少しずつ違う見え方をしていき、その周囲も少しずつ変わっていくような、そして、日本やアジアの歴史、さらに、同時代の世界の歴史を自由にたどっていけるような、そのような世界をデジタルネットワーク上に実現できるところまで、あと少しのところに来ている...(P.133)
本書は次世代人文学のモデルを説く本だ。計画を持続的に変更し、絶えざる変容を繰り返すことを、「デジタル学術空間」にかかわる各プレイヤーは姿勢として、恐れてはならないのであろう。この論考以外の本書の各篇は、そのことを実践しているものであるとも言える。
下田正弘・永崎研宣編『デジタル学術空間の作り方 仏教学から提起する次世代人文学のモデル』は12月18日発売です。同時にオープン・アクセスでも全編公開いたします。ぜひお読み下さい!