民衆史研究会2019年度シンポジウム「民衆の視点から「天皇」を考える」(2019年12月21日(土)、早稲田大学戸山キャンパス33号館3階332教室)

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研究会情報です。

●公式サイトはこちら
https://minshushi.hatenadiary.org/entry/2019/10/31/151858

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日時 : 2019年12月21日(土)13:00-
会場 : 早稲田大学戸山キャンパス33号館3階 332教室

  報告

   ・西山剛氏 「民衆史からみる中世の駕輿丁と行幸」
   ・上田長生氏「幕末期の天皇・朝廷権威と民衆ー山稜修復・管理・勅使参向からみるー」
   ・加藤祐介氏「皇室と「国民」―上川御料地争議(1920-1924)再論―」(近現代史)

  コメント

   ・仁藤敦史氏(古代史)


2019年度民衆史研究会シンポジウム趣旨文

民衆の視点から「天皇」を考える

 2019年4月30日、明仁天皇が退位し、翌5月1日には徳仁天皇が即位した。この代替わりは2016年8月8日に明仁天皇が表明した退位(譲位)の意向を受けて事態が大きく動き、実現したものである。しかしながら、同時に問題となっていた皇位継承問題(女性天皇、女系天皇、宮家創出、譲位などの是非)そのものの解決はいまだ先送りにされたままで、今後の議論が急がれている。2004年に政治問題化された皇位継承問題は、その後悠仁親王の誕生(2006)により一時落ち着いた。そうした中での明仁天皇の退位表明は、皇位継承問題について国民が再び関心をいだくきっかけともなり、その後に展開した退位の特例法制定(2017)、2019年5月1日の徳仁天皇の即位と続く一連の「天皇」(個人としての天皇だけでなく、天皇をめぐる制度なども含む)にまつわる事柄は、現代においても「天皇」という存在が民衆に様々な面で少なからず影響を与えていることを示していよう。

一方で、平成以降の「開かれた皇室」では国民が皇室に何を求めるのかといったことが重要となっており、国民の声が「天皇」のあり方を規定する側面が大きくなっている(近くは皇族の結婚話などがそれにあたる)。皇位継承などに代表される「天皇」に関する問題を解決するためには、国民の理解が一定程度必要とされており、国民一人ひとりの意識のあり方が「天皇」に関する問題の行方を左右していくと言っても過言ではない。こうしたなか、今改めて民衆に視点を据えて、「天皇」という問題について歴史を振り返ってみることも必要とされていよう。

 戦後歴史学は、戦前の皇国史観からの脱却を目指し、おもに近現代史の分野で精力的に天皇制のイデオロギーや社会編成の研究が進められた。中近世の天皇・朝廷研究はやや立ち後れたものの、1960年代から70年代にかけて権門体制論や幕藩制国家論が提起され、「天皇」の位置づけについての議論が始まった。だが象徴天皇制が社会に定着し、戦争の記憶が薄れゆくにつれ、近年、前近代史においては実証研究の進展に反して問題意識の希薄化が指摘されている。一方、近現代史においては90年代以降、国民国家論や表象論の影響を受け、視覚的イメージや史跡、観光地などを媒介として、民衆や地域社会が天皇権威を受容していく過程が盛んに論じられるようになった。こうした研究は、眼前の象徴天皇制を念頭に、政治から切り離されていながらなお天皇が権威を維持し続ける、その構造を問うた成果であると言える。

ただし、「天皇とは何か」という問いを鋭く突きつけられた現在の状況においては、一人ひとりが自らにとっての「天皇」の意味を主体的に考えていくことが求められている。その場合、わたしたちが参照すべきは、世間に流布する一般的なイメージや観念ではなく、自らの日常的な生活世界であるだろう。「天皇」が古代から現代にいたるまで、各時期においてかたちや性質は異なりつつも存在していたということは、紛れもない事実である。そのような「天皇」は、民衆の日常生活とどのような影響関係を有していたのだろうか。このような視点から「天皇」を見つめ直し、現代の関係性を考える視角を研ぎ澄ますことこそが、今後の「天皇」の方向性を議論していく上でも重要となると思われる。

そこで本シンポジウムでは、民衆の生活や社会的実態に焦点をあてて、民衆にとって「天皇」とはいかなるものであったのか、通時代的に検討してみたい。中世・近世・近代の各時代より1人ずつ登壇していただき、実際に「天皇」と具体的な関係をもった人びとが、それぞれの場面で「天皇」をどのように捉え、どのような行動を取ったのか、論じていただく。コメントには古代史の立場から、他時代との比較だけでなく「天皇」全体も踏まえた上で論点を提示して頂く。

 こうして振り返られる民衆の歴史的経験が、わたしたちが今後「天皇」を考えていく糧になれば幸いである。活発な議論を期待したい。