今度刊行する『古典は本当に必要なのか、否定論者と議論して本気で考えてみた。』について(岡田圭介)
Tweet今度刊行する『古典は本当に必要なのか、否定論者と議論して本気で考えてみた。』について
岡田圭介
この本、当初単行本化には後ろ向きでした。
勝又さんからシンポをやると聞いたとき、未だ実現出来ていない小社刊行予定の国文学研究雑誌『文学通信』の創刊号(2020年には絶対に出します)に載せてもらおうと、雑誌掲載をお願いしてみたのですが、帰ってきた返事は「書籍化」でした。
それを聞いて、シンポジウム開催の直前、編者の勝又さんにこんなメッセージを送っています。
【賛否両論でオチがつかない議論を単行本化するのがちょっと怖い感じがするのですが(=不要論者の拠り所にされかねない、かもと。政策に反映されたら怖いなとか)、その辺りどうでしょう。その辺を戦略的に考えたり、他の原稿を集めたりするのであれば、単行本化でOKと思います。雑誌であれば問題提起型で問題ないと思っていたのですが。私は現段階では、必要とする方が不利だと思っています。これは容易に覆せないだろうな、とも。当日の議論でも、納得できる説得力のある言葉が擁護派から出てくる期待を実はあんまりしていません(文学研究者にとって受けのいい言葉は出てくると思いますが、文学研究世界の外から見たらそれは通じない言葉になっているかもという「予想」なのです)。結局、「役に立たない」議論への満足の出来る解答は、今までけっこうな時間がかかっても誰からも出てはこなかったと考えています。たとえば一度雑誌に出してしまって、それに対する批評をもっと集めて、本にするとか、いろいろ戦略的に考えませんか??】
今回の本は「古典は必要なのか」に論点を絞ったものですが、根は「人文学不要論」と結びついています。「人文学の危機」について、さまざまな人がさまざま語ることになりましたが、個人的に、将基面貴巳氏の「人文学としての日本研究をめぐる断想」(2017年5月)を上回る議論は出て来ていないと感じていて、この論は前職で編集した『リポート笠間』63号(2017年11月)に再録させていただきましたが、国文学研究者からの言及を期待しましたが、反応はあまりなく、とても残念に思っていました。
続けてこうメッセージを送っています。
【「役に立たない」論争のときに、これ(将基面論文)を上回る発言が出てこなかったのがけっこうなトラウマになっていて、今回もあまり期待していないです。とても怖くて、対外的(学界以外)に大きな傷を負わないか、心配です。問いの設定の問題もあるとは思うのです(「必要か」「役に立つか」以外の問いの設定を探るのも必要な気がします)。確かに問題の細分化から議論を立て直すこともできるかもしれませんが、世の中はもっとあらゆる問題を単純化して語りたがるし、その方が流通しやすいしで、書籍化は、雑誌に掲載された時点でまた反応を募って、やっていきませんか。私が擁護派の視点からしか作れないのが問題かも知れません。】
そしてシンポは無事終了。
私自身は、勝又さんの意図をそこでようやく受け取ることになりました。私なりに、です。
当日は「高校生に古典教育は必要か」が主な論点となり、それに対する否定派の主張はどれも具体的かつ、説得力を感じさせるもので、息苦しささえ覚えるものでした(実際テープ起こしをして、編集するのはしんどかった)。肯定派からの反論は言葉で紡いで戦い合うという点では、むしろ負けてしまっていたかも知れない。そのこと自体をまずは露呈させたかったのかも知れない、と(穿ちすぎですかね)。
同時に、今この時間の世の中の事象に対して、どう興味を持ち、考え、判断するのか、文学研究者に問いかけているような気もしました。「現代固有の課題と対決する」ことなしには、議論をすることができない、という意味で。
否定派に反対する言葉はもっともっと紡いでいけるはずです。とても小さな問題から、大きな問題まで、自身に照らし、世の中とリンクさせ、否定派への言葉は紡いでいける。たとえば否定派が重視するプレゼン能力ひとつとっても、さまざまな見方があります。例えば、
●プレゼン能力(に関わるかもしれない何か)を入試で問うことに意味はあるか(誰がログ)
https://dlit.hatenadiary.com/entry/2019/09/06/081054
どうしてもこの本を、私は、人文系学問の存在理由というところまで結びつけたくなるのですが、その方面でも本書の議論は有効です。また、最後の勝又さんの32,000字の総括論考も見ものです。ぜひお読み下さい。そして続きの言葉を紡いでくださると嬉しいです。
と書きかけていたところに、梅田さんのこんなtweetが。
古典文学がなんで必要なのかって話に巻き込まれた時「『そんな自分で考えろ』」っていう発言は、その裏側では『考えれば必ず価値が自明であると分かる』という前提が隠れているか、もしくは価値自明を説得する必要が無いという立場が隠れてる」説をとなえたが賛同者はいなかった。
— 梅田径/UMEDA Kei (@cave_artists) September 10, 2019
価値が自明なものなど、何一つなく、反論するときには大量な言葉で相手に納得してもらわなければなりません。その時にこの本は味方になってくれるはずです。ぜひご一読ください。
●2019.9月刊行
勝又基編『古典は本当に必要なのか、否定論者と議論して本気で考えてみた。』(文学通信)
ISBN978-4-909658-16-6 C0095
A5判・並製・220頁
定価:本体1,800円(税別)