「生徒とのやりとり1――発問に対する生徒の反応と声について」(第2章7)を期間限定全文公開○古田尚行『国語の授業の作り方 はじめての授業マニュアル』(文学通信)
Tweet間もなく刊行の、古田尚行『国語の授業の作り方 はじめての授業マニュアル』(文学通信)から、原稿を一部紹介していきます。刊行までの間、少しずつ小出しにしていきます。期間限定です!
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7月中旬刊行予定です。
古田尚行『国語の授業の作り方 はじめての授業マニュアル』(文学通信)
ISBN978-4-909658-01-2
C1037
A5判・並製・320頁
定価:本体2,700円(税別)
●本書の詳細はこちらから。予約受け付け中!
https://bungaku-report.com/blog/2018/06/post-185.html
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「生徒とのやりとり1――発問に対する生徒の反応と声について」(第2章7)
ここからは生徒とのやりとりの際にどのようなことが問題として挙げられるかについて詳しく述べていきます。
まずは発問に対する生徒の反応について考えてみます。確認発問にしても思考発問にしても、何らかの形で生徒は表現をします。この時に考えられるのは次の5点です。
1 わからない
2 授業者の想定した答えを言う
3 授業者の想定したものそのままではないが、かすっている
4 まったく見当違いの答えを言う
5 沈黙
1の「わからない」については、いろいろな理由が考えられます。①発問を聞いていない、②発問の意味がわからない、③それまでの授業の流れを聞いていないから答えられない、④それまでの授業の流れを聞いていても上手く答えが練られない等が挙げられるでしょう。
①「発問を聞いていない」場合は、他の生徒もきょとんとしていて聞いていないことがわかった時には再度言ったり、板書したりするのがよいでしょう。声は消えてなくなりますから、板書しておくとこの心配はなくなります。特にその発問が重要なものである場合には板書しておくと振り返る時にも有効でしょう。
②「発問の意味がわからない」場合は、そもそもの発問の言葉が多義的であったり不明確であったりして「何が問われているのかがわからない」ということが考えられます。これを防ぐためには発問の言葉が明確なものであるのか、複数の解釈ができる発問になっていないか等の事前の精選が必要です。また、発問の言葉が微妙にぶれていることによる「わからない」ということも考えられます。発問をした後に生徒が答えなかったら、同じ発問をしていきます。その時副詞や助詞のレベルで最初の発問とは微妙にずれていき、しかも何度も言い換えたりして、結果として生徒が混乱をしてしまいます。「なぜ」と問うていたものが、「どうして」に変わり、さらに「何が」となって、「どのように」になったりするといった場合です。これは実習生がよく行うことの1つです。発問の言葉は、明確なものにするにしても、それをそのまま言うか、できる限り骨格を変えない方がよいでしょう。
③「それまでの授業の流れを聞いていないから答えられない」場合は、生徒の責任でもあり、授業者の責任でもあります。生徒にもいろいろな事情があります。前の時間が体育の授業であったり、昨晩遅くまで起きていたりと、集中力が切れていることが考えられます。授業者の責任というのは、授業が単調であったり流れが不明瞭であったりする場合が考えられます。いずれにしても、一人の生徒だけが聞いていないのではなく、他にも同じような生徒がいることも考えられるので、それまでの流れを短く説明して、再度聞いてみるのがよいでしょう。
④「それまでの授業の流れを聞いていても上手く答えが練られない」場合は、発問自体が難しいことと、生徒の学力が原因として考えられます。この種の発問の場合は、他の生徒にも聞いてみることが有効です。他の生徒の意見を聞いて納得することもあるでしょう。その際には、最初に答えられなかった生徒に、「今の〇〇さんの意見を聞いてどうですか」と確認をしてみるとよいでしょう。それでも難しい場合は、やむを得ず授業者が述べることもあれば、ある程度先に進めて振り返る中で再度聞くことも効果的でしょう。「では、これを考えるために読んでいきましょう」という具合にです。
2の「授業者の想定した答えを言う」については、問題がないかというとそうでもありません。生徒が答えた場合の授業者の反応ですが、実習生は時に表情が明るくなっていることがあります。特に、この発問が複数の生徒を当ててもなかなか答えられないものであった場合、実習生としては当初の計画からすれば遅れているというプレッシャーがありますから、「やっと答えてくれた」という安堵の気持ちがそのまま表情に出てしまうのだろうと考えられます。
生徒は授業者の表情を見ます。私たちが思っている以上に生徒は授業者を観察しています。顔色を窺うといってもいいかもしれません。したがって、授業者の表情が明るくなってしまうと、「ああ、先生はこれが答えだと思っているんだな」と生徒は考えます。それが積み重なると、生徒は逐一授業者の反応を見ることにつながってしまいます。これとは逆に、授業者の表情に困惑の色が出てくると、「ああ、先生はこれは答えではないと思っているんだな」と生徒は考えるようになります。
生徒の答えがあらかじめ想定した答えと一致していたとしても、表情をそんなに崩さずに、しかも「それはどの表現からわかる?」や「どうしてそう考えたの?」のように聞き返していくと、授業者の表情を窺うという習慣化を防ぐことにつながっていくと思います。また、昔あったクイズ番組のように、グッと溜めてから「正解」などという小ネタを入れてみてもいいでしょう。あるいは「えっ?」という反応をすると、自信満々に答えた生徒が「あれ、違うのか」という反応をします。
3の「授業者の想定したものそのままではないけれど、かすっている」については、いろいろと考えさせられる問題です。たとえば、意見の根拠を求めて本文の内容を指摘する発問、「どこにそれが書いてある?」という時に、生徒は一文をそのまま読むか、不足した表現で答えることがあります。想定したところそのままというわけではなく、かといって全くの見当違いの答えではないところに、この問題の根深さがあります。
生徒がそのまま本文を読んでしまう問題は、生徒が適切な形で表現し直していないという点です。したがって、発問に合うように適切に答えるように指導をしていく必要が出てきます。これがもし定期試験や問題集であった時にはそのまますべてを書くわけではありませんから、授業でも同じように「今聞いたことに対する答えとして、あなたが言ってくれたことは適切だと思う?」などと、表現に対する意識改革をしていくことが必要でしょう。あるいは、「もっとコンパクトに答えてみてください」と指示を出すのも1つの手です。
生徒が不足した表現で答える問題は、これを授業者が容認してしまったり、言葉を先取りしてしまったりすることです。この場合の生徒の答えは、単語のように短い言葉で答えてしまうことがあります。
「先生トイレ!」→「先生はトイレではないぞ」という笑い話がありますが、これは単語で会話をしてしまうことから生まれる誤解のおかしさを象徴する話です。できる限り、単語ではなく文の形で答えるようにしていくことが大切になっていきます。これはTwitterやLINE等の発話に特徴的なのでしょうが、授業の場においては文レベルでのコミュニケーションが恒常的に行われるのが望ましいでしょう。
さて、生徒が不足した表現で答える場合の別の問題として、授業者が言葉を先取りしてしまうことがあります。先のように生徒が単語で答えてしまった場合に、授業者がそれを補ってしまうことがよく見られます。生徒の中には単語と単語とを結び合わせて1つの文を作り、意見を表明しようとしているのに、授業者の側はそれを遮ってしまう、もっといえば生徒が言葉を紡ぎ出そうとしている機会を授業者が奪ってしまうといえるでしょう。さらに悪いことに、「〇〇さんが言いたいことはこういうことなんだよね?」という勝手な同意を求めてしまい、生徒もなんとなくそういうことが言いたかったのではないかと考えて、「はい」と答えてしまう。あるいは授業者と生徒との権力関係の問題から「はい」と答えているのかもしれません。言葉の教育という点からいえば、このことは好ましくありません。したがって、授業者は単語で答えようとする生徒には、その単語から文レベルで答えさせるように支援をしていきましょう。単語でしか話さない生徒には、「『〇〇は、〜です』という形で答えてみてください」等の指示を出してみるのもよいでしょう。
4の「まったく見当違いの答えを言う」については、いわゆる生徒の予期せぬ答えというものです。冗談で言っているのか真剣に言っているのか、判断が難しいものもあるのですが、1の「わからない」のところにもあったように、発問の意味を理解していないことが原因として挙げられます。
とはいえ、教室に笑いを提供してくれる場合もあって、緊張した空間を和ませる効果もあります。もちろん、教育実習生からすれば予期せぬ答えは想定外であり、焦ってしまう状況に追い込まれてしまうこともあります(一方で、こちらが想定していた答え以上の素晴らしい答えを言う場合もあります)。
この時には、なぜ見当違いの答えを言ってしまうのかを明らかにしていき、その生徒に丁寧に聞いてみることが大切なことのように思います。発問が悪かったのか、聞き間違いや勘違いだったのか、笑いを取りにきたのか、様々な理由があると思いますが、どの段階で何が原因として起きてしまったのかを分析して理解するようにしてみましょう。誤解のプロセスを明らかにしていくことにも意味はあるのです。
また、予期せぬ答えに対する時間稼ぎをするために、その場では「うん、なるほどね」と言った後、「もう何人かの人に聞いてみようか」と言って、かわすという手もあります。その際に他の生徒が適切な答えをしたら、最初の生徒に「今の〇〇さんの答えはどう思う?」と聞いてみてもよいでしょう。
5の「沈黙」についてです。沈黙も1つの表現です。多くの実習生は沈黙状態に耐えられずに、つい沈黙中の生徒に声をかけ続けることがありますが、この時に生徒の中では何が起きているのでしょうか。生徒が内的に思考を活性化していたとしても、それを外部から眺めることはできません。一見すると、何も考えていないように見えますが、何か考えているのかもしれない可能性を最初に考えてみることが大切です。そのためには待ってみましょう。10秒、20秒と待ってみましょう。重要な発問である場合には特に待ちたいところです。さすがに1分以上待ち続けてそれでもなお沈黙状態であったら、他の生徒のモチベーションにも関わってきますから何らかの授業者の働きかけが必要となります。「考えがまとまらない?」や「上手く表現できない?」と確認をしてみて、「それでは別の人に聞いてみるので、あなたにはまた後で聞くから考えていて」という指示を出してみるとよいでしょう。
以上、生徒の声を聞くということを発問を中心に考えてみましたが、生徒の声が聞き取れなかった場合とつぶやく場合についても考えてみましょう。
授業中、生徒の声が聞き取れない場合があります。しかも、実は適切な意見や応答であったのに、授業者が「えっ? 何?」と聞き返したり、首をかしげたりすると、生徒は間違ったのかと思い、黙ってしまうか「わかりません」と言うことがあります。「聞こえなかったからもう一度言ってください」と言っても、不思議と何も言わなくなってしまうことがあるのです。これに対しては、すぐ近くの生徒に聞いてみて、「今、〇〇さんが言ったことを言ってください」のようにするとよいかもしれませんが、上手くいかないこともあります。
もう1つの生徒のつぶやきは私語という形で受けとめることが多いのですが、こうした生徒の私語は一概に否定されたり指導されたりするものでもありません。中には生徒の素朴な声によって授業に変化を生じさせることがあるのです。「今のどういうこと?」という声が聞こえたら、もう少し説明した方がよかったと思うかもしれませんし、誰かの意見を聞いて「今のって本当は〇〇なんじゃない?」という声が聞こえたら、「今の意見、ちょっとみんなにも紹介してみて」と教室全体に広げていくこともありえます。
授業というのは授業者の意図がなければ成立しませんが、かといってすべてが意図通りになるわけではありません。生徒のつぶやきを取り入れることによって、授業者の強い意図が緩和されて授業が生徒のものであるという意識を生み出すことにつながっていくことがあるでしょう。
もちろん、私語の中には授業とまったく関係のないこともありますが、その場合は「今何を話していたの?」と聞いてみると、生徒は黙ってしまいます。「そんなに話したいなら、〇〇さんの意見を聞いてみようか」などと挑発的に聞いていく方法もあります。
まったくの無言状態は緊張感のある空間になりますし、それが必要な時もありますが、多少は自由に発言できる遊びの余地は常に残しておきたいものです。