古典籍文理融合シンポジウム(第2回古典籍文理融合研究会)の、磯部洋明氏による感想tweet【国文研名誉教授の寺島先生が、片岡さんたちとやった明月記のオーロラ記録を使った研究の文学研究的意義についてご講演下さいまして...】
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今日は古典籍文理融合シンポで、もともとは京大の文理にまたがる学際研究について、という発表を明日する予定だったのですが、国文研名誉教授の寺島先生が、片岡さんたちとやった明月記のオーロラ記録を使った研究の文学研究的意義についてご講演下さいまして、 https://t.co/jU7IaK6bAG
— 磯部洋明 (@isobehiroaki) 2018年1月30日
漢文日記は文学と見なせるか、という文学研究上の論争を参照しながら、記録として、文学として、定家自身の自己発露として、歌道の継承や息子に対するメッセージとして、などの明月記の多面性についてお話下さり、その中で、自然科学者との共同研究によって、
— 磯部洋明 (@isobehiroaki) 2018年1月30日
オーロラの色彩や形状を定家が正確に描写していたこと、そしてその現象の特異性を明確に指摘していたこと(天文現象も多く記録している明月記の中で「奇にしてなお奇なるべし」と「奇」を連ねる評言はオーロラについて書いた箇所一例のみだった)が、定家の観察力、判断力の卓越を示すものだと
— 磯部洋明 (@isobehiroaki) 2018年1月30日
いうことを指摘されました。寺島先生はその上で、再び日記=記録は文学であるかという問いに立ち戻って、記録は単なる史料を超えた一つの文化であり、何ものにも替え難い、書き手の個性を深奥に秘めた個人の一回的な表現であるという、井上宗雄の言葉(明月記研究,2001)を引用されました。
— 磯部洋明 (@isobehiroaki) 2018年1月30日
その話を聞いて、もう京大の研究の紹介は適当でいいから、長島愛生園の天文・気象観測の話をメインに持って来ようと決めて、明日の発表のスライドを内職で作り始めたら、司会の片岡さんが「今日の講演にキャンセルが出たから30分後に話せる?」と言ってきて(笑)ほぼ即興で愛生園の話をすることに。
— 磯部洋明 (@isobehiroaki) 2018年1月30日
寺島先生の話がなぜ愛生園につながったかというと、愛生園の気象観測所員の方々が残した、膨大な気象観測データの数値の記録が、まさに「単なる史料を超えた一つの文化」と呼ぶに足る、「何ものにも替え難い、書き手の個性を深奥に秘めた個人の表現」に思えたからです。
— 磯部洋明 (@isobehiroaki) 2018年1月30日
長島気象観測所の初期の歴史を綴った「長島気象十五年報」において、気象観測所主任だった横内武男さんは、年報のあとがきに「この書を手にせらるる方々は、その諸表が単なる数字の羅列ではなく、その一つ一つに観測者の命が刻み込まれていることを知っていただきたいのであります」と書いています。
— 磯部洋明 (@isobehiroaki) 2018年1月30日
なお横内さんを含む観測所の所員の方々は、全員が当時は不治の病と見なされていたハンセン病の患者であり、一生を園の中で暮らすことを覚悟していた愛生園の入所者でした。その辺の事情はこちら https://t.co/oyt3N0Y6cN を参照ください。
— 磯部洋明 (@isobehiroaki) 2018年1月30日
愛生園の気象観測所は昭和10年に始まりました。1976年にアメダスが設置されるまで、長らく岡山の地方気象台の正式データを提供する重要な観測所でした。実は今も愛生園に暮らす元観測者の方が、アメダス設置後も2010年まで観測を続けており、昭和10年からの気象観測の記録が全て保管されています。
— 磯部洋明 (@isobehiroaki) 2018年1月30日
言葉による記録ではありませんが、観測者たちが残したこの膨大な数値の表は、定家の歌に勝るとも劣らないメッセージを語りかけて来ると思ったわけですよ。ごくごく一部ですけど、ガリ版印刷の長島十五年報に載ってるその表がこちら。写真は載せられませんが手書きの日報も大量に残ってます。 pic.twitter.com/ZF4nfofxWq
— 磯部洋明 (@isobehiroaki) 2018年1月30日
かつ、気象観測所主任の横内さんは、歌人・依田照彦として、アララギの同人であり、短歌も多く残しています。その中には天体観測や気象観測についての歌もあります。太陽物理学者的にグッとくるのは黒点観測に関する歌。
— 磯部洋明 (@isobehiroaki) 2018年1月30日
天空に気流の乱れあるらしくゆらゆらとしぬ陽の映像は
— 磯部洋明 (@isobehiroaki) 2018年1月30日
(↑大気乱流(かげろう)によるシーイングのゆらぎ!)
分裂し環礁のごと散りばへる黒点群を克明に写す
(↑かなり大フレア起こしそうな黒点群か)
前にも書いたことあるけど僕が一番好きな歌は
— 磯部洋明 (@isobehiroaki) 2018年1月30日
自記気圧線鋭く墜ちぬ刻々の台風来を告ぐる夜更けに
これは、自動で気圧を記録する装置が出力する気圧のグラフの線が急激に下がり、嵐が近づく台風前夜の緊迫した空気を詠んだ歌なのですが、
これって、訓練された科学者が五感ではなく観測装置のデータから自然を感じる歌なんですよね。科学者としての横内さん(依田さんの本名)と、文学者としての依田さんが見事に融合した歌だと思います。ここに、自然観察者・記録者でありかつ歌人であった定家を重ねた、というわけです。
— 磯部洋明 (@isobehiroaki) 2018年1月30日
横内さんは多くのハンセン病患者の方と同じように、日常生活と短歌の発表においては「依田照彦」という名を使っていましたが、気象・天文観測に関する記録だけは「横内武男」を使っていました。この事実を明らかにする上では、故人である横内さんを知る愛生園自治会長さんに相談して承諾を得ています。
— 磯部洋明 (@isobehiroaki) 2018年1月30日
最後はお約束で、今も愛生園にお住まいの元観測所員さんと自治会長さんから聞いた「望遠鏡で星を見るのも楽しかったけどなあ、それより看護婦さんの寮を覗くのが楽しかったなあ」という話を紹介して、おしまい。
— 磯部洋明 (@isobehiroaki) 2018年1月30日