吉備路文学館:企画展「吉備路近代文学の7人展」(2024年9月8日(日)~11月17日(日)、吉備路文学館)

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展覧会情報です。

●公式サイトはこちら
http://www.kibiji.or.jp/installationinfo/22-plinstallationinfo/552-exhibition-146kibijikindaibungakuno7ninten-20240908-1117.html
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※詳細は上記サイトをご確認ください。

開館時間
  9:30~17:00 (入館は16:30まで)
休館日
 毎週月曜日(祝日は開館)、
 祝日の翌日(9/17, 9/24, 10/15, 11/5)

入館料
【1F・2F共通】
 一般 400円、大学・高校生 300円、中学・小学生 200円
*その他各種割引あり  

吉備路出身またはゆかりの文学者7人について展示紹介いたします。

◆ 展示文学者 ◆ 
正宗白鳥 明治12年(1879)~昭和37年(1962)
少年時代キリスト教に惹かれ、明治二九年上京。東京専門学校(現早稲田大学)へ入った翌年には洗礼を受け入信するが、四年後には棄教したという。

読売新聞記者を経て、作家生活に入り、冷徹な自然主義者として独自の作風をつらぬいた。評論・劇作にもすぐれ、近代日本の知性の頂点を示す一人として高い評価を受けている。日本ペンクラブ会長、芸術院会員、文化勲章受賞者。
  
内田百閒 明治22年(1889)~昭和46年(1971)
岡山中学時代、文芸誌の投稿家となり六高時代、志田素琴について句作、東大へ入ると夏目漱石の門下生となる。大正11年、幻想的な小説集「冥途」を世に問うが、あまりの独創性に文壇は冷やかであった。昭和9年、小説集「旅順入城式」、随筆集「百鬼園随筆」をもって改めて文壇に登場。ことに随筆は大いに迎えられて続々と刊行された。

戦後は、罹災体験の集成「東京焼尽」をはじめ、旅行記「阿房列車」シリーズは幅広い読者層を得た。「日没閉門」が最後の作品となる。その文才と人柄から、<摩阿陀会>が開催され、晩年まで続いた。
  
坪田譲治 明治23年(1890)~昭和57年(1982)
早大在学中から小川未明に師事。子供の登場する私小説を書き、大正15年小説『正太の馬』を出す。鈴木三重吉にも師事して「赤い鳥」に童話を発表。昭和10年『お化けの世界』で世に認められる。つづいて『風の中の子供』『子供の四季』で広く読まれる。

純真で天真爛漫な子供の世界を、大人の現実世界と対照的に描いた。ふるさと岡山を愛し続け、その風物を反映させながら、作家としての地位を確立した。
  
岡野直七郎 明治29年(1896)~昭和61年(1986)
関西中学時代、前田夕暮の白日社に入って作歌をはじめ、ついで六高時代、石井直三郎の紹介で「水甕」に加わる。大正15年「蒼穹」を創刊主宰。

平淡清明な歌風と評されているが、昭和10年代にはロマン派的抒情を唱えて新風をひらいた。また評論もよくし、13年刊の「短歌新論」は歌人協会賞を受賞した。歌集に「谷川」など数冊がある。

井伏鱒二 明治31年(1898)~平成5年(1993)
福山中学時代は画家志望だったが、長兄のすすめで早稲田大学文学部へ進む。昭和3、4年「鯉」「山椒魚」「屋根の上のサワン」を発表、井伏文学生涯の基盤というべき、温雅な感性とユーモアの裡に人間凝視の澄んだ眼光を示して文壇へ登場。昭和初期の左翼文学のさかんな中でも、戦時下、軍国主義の吹き荒んだ中でも、自己を見失うことなく独自の道を歩んだ。昭和12年「ジョン万次郎漂流記」直木賞、26年「本日休診」読売文学賞、31年「漂民宇三郎」芸術院賞、35年芸術院会賞、41年「黒い雨」野間文芸賞、同年文化勲章受賞。
  
住宅顕信 昭和36年(1961)~昭和62年(1987) 
岡山市立三門小学校、岡山市立石井中学校卒業。その後、下田学園調理師学校入学。同時に岡山会館に勤務。飲食店勤務後、市役所に臨時採用される。昭和57年中央仏教学院通信教育を受講。翌58年京都西本願寺で出家得度、浄土真宗本願寺派の僧侶となる。同年10月結婚。59年2月、急性骨髄性白血病のため入院、同年6月には長男誕生するが離婚。病室で長男を育てる。絶望の中で句作を始め「層雲」に入門。特に尾崎放哉に心酔する。60年6月市役所を退職。12月句集「試作帳」を自費出版。昭和62年白血病のため死去。享年25歳。

高嶋哲夫 昭和24年(1949)~
玉野市で育ち高校までをすごした。玉野高校から慶応大学工学部を経て、同大学院工学研究科修士課程修了。日本原子力研究所研究員、カリフォルニア大留学、学習塾経営を経験。40歳位で、「これでいいのか」と思い書いた短編で90年北日本文学賞、94年小説現代推理新人賞に。99年「イントゥルーダー」でサントリーミステリー大賞・読者賞をダブル受賞。塾を離れた今も全国学習塾協同組合の理事である。