古代文学会:4月例会(第772回)(2024年4月7日(日)14:00〜17:00、Zoom)

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研究会情報です。

●公式サイトはこちら
https://kodaibungakukai.sakura.ne.jp/wp/kenkyuuhappyoukai/reikai

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※詳細は上記サイトをご確認ください。


日時:2024年4月7日(日)午後2時より5時まで(例会終了後委員会を開きます)

※Zoom開始時刻は発表開始の15分前となっています。

※今回は日曜日の開催ですのでご注意ください。

場所:Zoom

発表者 :出口 七海 氏

題目 : 『常陸国風土記』テキストから見る夜刀神像

要旨 :『常陸国風土記』行方郡記事に継体天皇時代と孝徳天皇時代に跨がり登場する「夜刀神」は、割注に「俗云謂蛇為夜刀神」と蛇であるとされながら、その姿は「頭角蛇身」と頭に角を持った特異な蛇と記される。同時代文献の中でも、時代を跨いで同じ神を並置した記事は珍しく、また相対する人物の言動にも同書内で類を見ないものである。

 前半の継体天皇時代には、葦原の開墾を行う「箭括氏麻多智」という人物が登場するが、彼は開墾の阻害をする夜刀神に対し「大起怒情、著被甲鎧之、自身執仗、打殺駈逐」と怒りを顕わに武装し、その神を打ち殺し山へと追い払う。その後「吾為神祝、永代敬祭」と自らが「祝」となることを宣誓することから祭祀を行う者であったことは汲み取れるが、「怒情」や「打殺駈逐」という言葉は神と祭祀者の間で滅多に見られない表現である。後半の孝徳天皇時代には「壬生連麿」という国造が池の堤の築造を指揮していると退いたはずの夜刀神が「昇集池辺之椎株、経時不去」と再び現れ開発の邪魔をするが、今度は「何神誰祇、不従風化」という言葉によって夜刀神は「神蛇避隠」と姿を消す。

 前半と後半の関係を先行論は断層と捉え、時代的推移のなかでの蛇神信仰の没落過程や在地に対する編纂者の意識の表れを見てきた。しかし、「怒情」を以て神と相対することで「風化」を前に姿を消すことや、更にそれぞれの末尾に語られる「今」の「麻多智子孫、相承致祭、至今不絶」と「所謂其池、今号椎井也。池西椎株」とは、夜刀神の「今」における顕現の余地を間接的に語っているのではないだろうか。前半と後半での神との関係の質は大きく異なるが、そこには一貫した蛇の捉え方がうかがえるのではないか。

 夜刀神説話において『常陸国風土記』が夜刀神をどのように捉え、夜刀神と人との関係をどう描こうとしているかを解き明かすことで、『常陸国風土記』における蛇が持つ立ち位置を探る第一歩としたい。

(司会:兼岡理恵氏)