『中日新聞』(2023年7月21日夕刊)にて紹介された望月昭秀編『土偶を読むを読む』記事の全文を掲載します

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2023年7月21日『中日新聞』夕刊文化5頁にて掲載された『土偶を読むを読む』の記事を全文掲載いたします。

※この記事・写真等は、中日新聞の許諾を得て転載しています。

 縄文時代の土偶について、考古学史上の謎を解き明かしたとし、サントリ一学芸賞などを受賞した書籍『土偶を読む』(晶文社)が、内容に疑義があるとして出版界で波紋を呼んでいる。同書は、土偶の形には木の実やイネといった摘物などの姿がかたどられている、と説くが、考古学者らは、論証が不足し成り立たないと主張。反証本も刊行された。(林啓太)

 『土偶を読む』の著者は竹倉史人さん。法律や映像、宗教史、神話などの研究を経て、〈人類学の独立研究者〉を自ら任じ二〇二一年に同書を出版した。縄文時代が題材の書籍としては異例の八刷、三万部が出た。同書を子供向けに編集した『土偶を読む図鑑』(小学館)も、類書として刊行され、全国学校図書館協議会の選定図書になった。
 土偶の形が何を表すのか、考古学界で定説はない。竹倉さんは『図鑑』で、〈「縄文脳インストール作戦」の実行により、土偶が縄文人の植物利用と関係があることを確信した〉と表明。「縄文のビーナス」の異名がある国宝の土偶はトチの実に着想を得て、ハート形土偶はオニグルミの実の断面を写したと断定。椎塚土偶、星型土偶、みみずく土偶は、それぞれハマグリ、オオツタノハ、イタボガキという貝類の姿をかたどった、と言い切った。
 これに対し、複数の考古学者が、異論を表明。縄文時代をテーマに雑誌「縄文ZINE」を発行する望月昭秀さん=静岡市出身=は今年、竹倉さんの説を検証する書籍『土偶を読むを読む』(文学通信)=写真=を企画・出版した。趣旨に賛同する考古学者らが執筆した。
 盛岡大の吉田泰幸准教授=愛知県一宮市出身=は、縄文のビーナスの時代にトチの実が利用された形跡が確かめられないことなどを念頭に「土偶が食用の動植物をモチーフ(主題)にしたとは考え難い」。横浜ユーラシア文化館の高橋健・主任学芸員は、土偶は一説に女性の姿だとされることを挙げて「土偶は身近にある物を写したという旧来の見方を踏襲し、女性説に別の物を対置しただけ」とみる。
 岩手県立博物館の金子昭彦・学芸第三課長=静岡県磐田市出身=は、椎塚土偶、星型土偶とみみずく土偶が別々のモチーフを写したという見方に対し「先行研究では、星型はみみずくの一種だとされる。椎塚からみみずくへ、前の時代の表現を少しずつ変えていったと解釈される」と反論する。
 『土偶を読む』に対し、考古学界の大半は静観を貫く。それでも同書が広く読まれる理由について、高橋さんは「慎重な考古学者らと違い、土偶の正体をずばっと言う。この快感が受けたのでは」と推測する。
 同書は第四十三回サントリー学芸賞に選ばれ、新聞各紙の書評欄などでも政治学者や脳科学者、文芸評論家らが「専門知」に挑んだ快著だと紹介した。金子さんは「学芸賞や有識者の書評が竹倉さんの主張を保証した。考古学者を論破した学術書としても読まれている」と、問題点を指摘。「考古学者も研究成果を分かりやすく発信していかなくては」と自省する。
 作家のいとうせいこうさんは『土偶を読む』を〈衝撃的に面白い〉とほめる書評を本紙に寄せ、活発な議論を期待していた。『土偶を読むを読む』を「ぐうの音も出ない、素晴らしい反論書」だとたたえる。
 竹倉さんは『土偶を読む』で、同書を晶文社から出す際に、考古学者の〈お墨付き〉が必要かどうかを編集者に問うと〈笑いながら「不要です」と即答〉されたと回想する。本紙は、考古学者らの異論について担当編集者に見解を尋ねたが、期限までに回答はなかった。

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白鳥兄弟(高橋健)さんの中日新聞のインタビューに同席し、記事に掲載されなかった話を一部抜粋し、以下に掲載します。(文学通信編集部)

・そもそも「土偶」とは何か?
 例えば土偶と動物形土製品というものを我々考古学者は分けています。動物の形をしているものは動物形土製品、人間の形をしているものを土偶と呼んでいます。ですが、土偶の中にもたとえば山猫みたいな顔をしていて、ちょっと動物っぽいものもある。どこで人間と動物を分けるかについて絶対的な基準があるわけではなく、主観的なところがあります。

 また、土器の表面に人間のモチーフがついていると人体文と言ったり、口縁部の突起に顔がついていると顔面把手と言ったりします。さらにこれが立体的になって上半身ぐらいまで表現されると土偶装飾付土器と言うこともあります。ただ、土器の表面のモチーフでも、土偶をそのまま貼り付けたものだとして、土偶装飾と呼ぶ人もいます。つまりどこで土器と土偶とを区切るのかというのは、実はかなり主観的なところがあるのです。もし今の考古学の研究を根底からひっくり返す新研究をしたいと考えるならば、土偶が植物の精霊であるという話をするよりも、そういう主張はすでにあるので、そもそも「土偶」というカテゴリーは成立しているのかという点を問題にした方がいいかもしれません。

 ただ、根底からひっくり返すと言いましたが、実は考古学者の中でもそういうことを問題にしている人はいて、そういう研究もあります。いくつかは本の中でも紹介していますけれども、おそらくそういうアプローチの方がより根本的というか、個別の土偶が何に似ているとか何をモチーフにしているとかの話よりも、「土偶とは何か?」といった、より深いところをつける可能性があるのではないのかなと思います。

・ひこにゃんは横から見るとネコではないのはなぜ?
 『土偶を読む』の問題意識に則って、似ている似ていないの議論をするのであれば、まずどこに注目するかの基準に一貫性がない点が問題だと考えます。例えば「顔である」「顔の正面の形だ」と言うなら、それはそれで別の問題がありますが(次にのべる立体性)、少なくとも一貫性はあります。ただ、この本では注⽬するポイントが時に⼿⾜のこともある。では、顔の類似で説明された他の⼟偶の体の形や模様はどうなっているのかという疑問が出てきます。これも何らかの客観的な理由、例えば、北の⽅に⾏ったら⼿⾜が植物のモチーフになるんだとか、何でもいいとは思いますが、そういった説明があれば良いのですが、そういうものはない。竹倉説によれば美学的アプローチにより主題の優先順位がわかるということらしいのですが、これだと、結局竹倉さんの感性を信じるか信じないかということになってしまいます。

 また、多くの場合は植物や貝の写真を図鑑で見て正面観を比べているようです。ただ、縄文時代の人は基本的に動物や植物の種なども立体で見ると思うんですよね。土偶も立体で作っているので。ただ、こういう意見に対して、何日か前にTwitterで「そんなことを言ったら、彦根市のひこにゃんだって横から見たらネコとは全然違う。ネコに見えないんだから」と、だから正面だけ似ていればいいんだということを書いている人がいました。これはなかなか面白い意見ですが、ちょっと惜しいと思います。

 問題は、なぜひこにゃんは横から見たときにネコに似てなくても許されるかというところですよね。ひこにゃんは元々平面のイラストで作ったものを立体の着ぐるみにしているので、側面がネコに似ている必要はないわけです。同じように土偶の場合も、本来平面で作ったものを立体化したのが土偶であるということが示せれば、正面から見た平面形だけが植物に似てればOKと言える可能性があるわけです。でもたぶん土偶の場合はなかなかそうはいかなくて、おそらく本来立体のものとしてずっと続いていたのではないか。中部高地などに土偶と似たようなものがペタっと器面に張り付いてる土器もありますけれども、そこから立体化したということは、おそらく竹倉説も考えてはいないんじゃないかと思います。

・届いていなかった土偶知識
 土偶をテーマにした考古学の本は他の遺物よりも多いと思うんですよね。私の専門である骨角器などは何冊もありませんが、もっとメジャーな遺物である土器や石器よりもずっと多いと思います。土偶は一般向けから専門向けまで、さらに写真集なども色々刊行されているので、「土偶関連はちょっともう十分だろう」くらいに関係者は思っていたと思うんですよ。しかし、それが意外に届いてなかった。

 私も発売前からネットで感想を見ていると、1番意外だったのが「『土偶を読む』を読んで面白かったから、『土偶を読むを読む』も読んでみよう」といったものですね。

 土偶については散々発信されてきていて、そうした中で『土偶を読む』にはまってしまった以上はもうなかなか取り返せないだろう、その読者の人たちには届かないだろうと思っていたけれど、意外に「じゃあこっちも読んでみよう」と読んでくれる人がいて、中には「こっちも読んだらやっぱりそんな気がしてきたな」と思う人もいるわけなんですね。

 その人たちが『土偶を読む』を読むまでは縄文や土偶に対して真っさらなキャンパスの状態でいたということは、それまで我々の側、考古学の人たちがやってきた発信がその人達まで届いていなかった。我々は教育普及とか普及啓発と呼ばれるようなことを繰り返し繰り返しやっていて、もう十分に伝わっただろうと思いそうになるけれど、実はそれは博物館に来る人や考古学の講座に来る人以外には届いていなかった。そうは言っても一生興味ないという人ももちろんいていい、私も一生興味ないだろうことはいっぱいあるので、別にそれは全然構わないけれど、興味を持ちさえすれば面白いと言ってくれる人もまだまだいるんだな、というところは感じていますね。