【連載】研究者の履歴書〜それぞれの⼤学院時代〜 第2回 舘野文昭さん(埼玉大学大学院人文社会科学研究科准教授)

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第2回
舘野文昭さん(埼玉大学大学院人文社会科学研究科准教授)

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プロフィール
舘野文昭(たての・ふみあき)
1984年、栃木県に生まれる。2016年、慶應義塾大学大学院文学研究科(国文学専攻)後期博士課程単位取得退学。2017年、博士(文学)。国文学研究資料館情報事業センター学術資料事業部機関研究員などを経て、現在、埼玉大学大学院人文社会科学研究科准教授。『中世「歌学知」の史的展開』(花鳥社、2021年、第15回日本古典文学学術賞)などがある。

聞き手
・岡田貴憲(九州大学大学院人文科学研究院准教授)
・松本 大(関西大学大学院文学部准教授)
・文学通信編集部
→聞き手のプロフィールはこちら




学部から博士課程まで同じ大学で過ごす

松本:最初に、ご専門とご経歴をお願いします。
舘野:現在、埼玉大学大学院人文社会科学研究科の教員をしております。専門は日本中世和歌文学になりまして、いわゆる歌論歌学書と呼ばれるジャンルのテキストを主に研究の対象としております。単著で『中世「歌学知」の史的展開』(花鳥社、2021年)があります。歌学的な知識がどう展開していったかを研究テーマとして掲げております。
経歴を簡単に申しますと、慶應義塾大学文学部人文社会学科国文学専攻を卒業しまして、同大学院の修士課程に進み、修了後にそのまま同じ大学の後期博士課程に進学しました。博士論文を提出するタイミングで単位取得退学して、その後、学位を取得しました。
学位取得後は、国文学研究資料館の機関研究員などの有期の非常勤の研究職を経て、2022年の4月から埼玉大学に着任しました。
松本:埼玉大学、ちょうど1年終わったところですかね。
舘野:そうですね。1年目が終わって、2年目です。
松本:埼玉大学はいかがですか。
舘野:学生は優秀だと感じます。国立大学ということもあるんでしょうけれど。みんな真面目ですね。教育環境として、授業はやりやすい大学だと思います。「いつまでにこれをやってきてください」と言うと、ほとんどの学生がやってきますし。
松本:舘野さんはずっと慶應でいらっしゃいましたが、いろいろな勤務先を経験する中で、やはり慶應独自の面があると思いますので、後でぜひおっしゃっていただければと思います。

研究者を志したきっかけ──本で読める知識がすべてではないんだ

松本:まず、研究者を志したきっかけがあれば、教えてください。
舘野:あのときのあの体験によって研究者を志すようになったというようなきっかけは思い当たらないんです。最初は学校の授業ですよね。国語が比較的得意で、特に古文、漢文は試験で点数が取れたこともあって、興味を持つようになりました。あと、読書は好きだったので、自分で本を書くことに対する憧れはあったと思います。あと、「大学は就職予備校だ」みたいに言われがちですけれど、自分はちゃんと学問を修めたいという思いもありました。いろんなことが積み重なって、研究者を目指そうと思ったのかなと思います。
松本:本を書きたいというのは、創作活動ということですか。
舘野:そうですね。高校時代までは論文とか研究書なんてほぼ手に取ったことがなくて、読むのは一般的な娯楽小説が多かったです。とはいえ、結局漠然と憧れていただけで、作家になるために何か努力をしたという事実はありませんが。
松本:大学で人文科学研究に触れたときに、学問の面白さに気付いたかと思われるのですが、これが楽しい、というようなことはありましたか。
舘野:「すでに本で読める知識がすべてではないんだ」ということが、大学でいろんな授業を聞いて学べたことでしょうね。学問が楽しいというのはそこからだったと思います。
松本:本以外での知識を自分で探すといいますか、触れていくということですかね。
舘野:学問とはそういうものなんでしょうけれども、そういうことができるということを知ることができました。
文学通信:大学院に進学することを考えたときに、学問でこういうことをやっていきたいというイメージがあったのか、取りあえず学問というものをやってみたいと思っていたのか、その辺のスタンスをお聞かせください。
舘野:研究者を志した段階では、何を明らかにしたいかというところまでは、考えてはいなかったかな。最初に言ったとおり、いろいろな経験の積み重ねといいますか、例えば、就活生は自己分析をするのが定番だと思うんですけれど、要するに、自分の長所が生かせるのは何だろうと考えて、その一つとして研究職があるかなといった感じのイメージいたので、最初から何かを明らかにしたいというスタート地点だったわけではないです。

大学院の選び方──外に出る積極的な理由はなかった

岡田:大学で国文学専攻に進まれて、最初から大学院への進学は希望されていたんでしょうか。
舘野:進学は考えてました。幸い両親も応援といいますか、理解を示してくれたので。この点は大きかったと思います。
松本:大学は、どのような研究ができるかというところまで見越して選ばれたんですか。
舘野:慶應は2年生から専攻に進むんです。国文学専攻は第1希望ではありましたが、その段階ではどういう先生がどういう研究をしてるかまでは、ほとんど考えていませんでした。単に漠然と日本の古典文学をやりたいといった思いでした。慶應は折口信夫の伝統がありまして、「そういうのもいいな」みたいなことは思っていた気はします。ただ、そういう特色というか、国文学専攻はどういうことをやっているのかということは、入ってから知りました。
松本:2年生で専攻に分かれて、教員に付いてゼミのような演習をやるのは、3年生からですか。
舘野:普通は3年生からゼミに所属するんですけど、国文学専攻は4年生のみなんです。3年生までは幅広く学ぶということだと思うんですけれど。
松本:そういった環境の中で、中世和歌、もしくは、小川剛生先生のところに行こうと思った理由ですとか、大学院も同じ慶應を選んだ理由があれば、教えてください。
舘野:大学院まで同じ大学だったのは、簡単に言えば、外に出る積極的な理由はなかったということです。小川先生は私が修士2年のときに着任されたので、学部4年生の当時は前任の岩松研吉郎先生のゼミに入りました。3年間、国文学専攻で学んで、藤原定家で卒論を書きたいと考えていたんですけど、中世文学や和歌をテーマとする授業をしていたのが岩松先生だったこともあって選びました。そのまま慶應の院に進学しますが、学部の卒論のゼミとは別に、文学研究科委員の先生の中から指導教員を選ぶことになっていまして、佐藤道生先生に指導教員になっていただいたこともあり、授業には毎年出ていました。
修士の2年目に、小川先生が来たということで、小川先生の授業にも出るようになりました。後期博士課程に進んで論文を書くことになりますが、その書き方は小川先生に教えてもらいました。あと、附属研究所斯道文庫に学生研究嘱託という形で籍を置かせていただいたのですが、そこでは佐々木孝浩先生が担当の教員で、いろいろとご指導いただきました。もちろん岩松先生も、定年退職の後もことあるごとにアドバイスを下さいました。ずっと慶應ではあったのですが、いろいろな先生に教えていただいたんです。結果として、それも良かったのかなと思います。
松本:ゼミ同士が交流したり、院生や学部生が共同で使える研究室はあったのですか。
舘野:主に院生が共同で使う研究室はありました。私が修士課程に入った時はちょっと使いづらい部屋だったのですが、新たに着任された小川先生の主導のもとに整理されて、院生が使えるようになったという経緯があります。
松本:他の研究室の先輩・後輩や、違う研究分野の方と接することは、あまりなかったですか?
舘野:授業で一緒になったりはして交流はありました。ほかに岩松ゼミが中心になって開催していた慶應義塾中世文学研究会(以下、中世研)という研究会がありました。中世文学と言いつつ、それ以外の研究発表もされる場だったので、そこで他のゼミの院生や先輩が、「こういう研究をしてるんだ」っていうのは知ることができました。岩松先生の定年退職で会は閉じるのですが、そこで知り合った方々とはその後も交流は続いています。
松本:切磋琢磨できるような環境が整っていたという感じですか。
舘野:いちおう、そういってよい環境はあったと思います。修士課程に入った当時は古典の院生、特に後期博士課程の院生は多くなかったので、中世研は貴重な場でした。もちろん同時期在籍した院生同士でも勉強会をしたり、というのはありました。その後古典の院生は増えていきました。
松本:そのまま大学院の博士まで行って研究者になる、というプランが見えている雰囲気だったというわけですね。
舘野:中世研には、すでに大学の専任教員になっている先輩、これから専任教員になってゆく先輩もいたので、そういった道は割と見えやすかったと思います。

藤原定家で卒論を書いたきっかけ

岡田:いろいろ授業を受けた中で定家に行き着いたのかなと思うんですけど、何でそこが面白いと思ったのか気になります。
舘野:最初は、大学2年生のときに必修の「原典講読」という崩し字を読む授業がありました。授業は佐藤道生先生が担当だったのですが、どういう状況だったかは忘れてしまったのですが、何かの折に佐藤先生から、最新の研究成果は論文で発表されるので、「論文を読むといいよ」と教えてもらいました。当時は論文という形で研究成果が発表されるなんて全然知らなかったので、ああ、そういうことなんだと思ったんです。それで、例えば授業で興味があったものを調べて論文を読むようになりまして、そうしているうちに和歌で藤原定家を中心として卒論を書けたらいいなと思うようになりました。
岡田:そんなに早くから論文を読まれていたんですね。その段階ですでに研究の道に入っていこうという感じが出ていたのかなと、うかがいながら思いましたけれど。
舘野:大学院には進学したいと思っていました。そのくらいから研究者を目指したいと思っていた気はします。そういう感じを出していたので、先生もそうしたことを教えてくれたんだと思います。
岡田:自分で卒論を書くことによって研究職を意識することはあると思うんですけど、その前から意識されてたのは、結構早いと思いました。
舘野:そうですね。
松本:大変やる気のある学生だったのですね。僕の周りには、2年生や3年生のうちから論文を読むような学生は、いることにはいますが、かなり珍しいです。
舘野:でも、内容をどれだけ理解できたかとは思います。ほとんど理解出来ていなかったのではないかなとは思いますが、そういう論文っていうものがあるんだっていうところからですかね。
松本:早い段階で研究の世界に触れているのは、結構大きなきっかけだったのではないかなと思いました。
文学通信:定家というとビッグネームのイメージがあるんですが、研究対象の有名、無名はあまり関係ないかもしれないですが、やはり有名な歌人を研究するところで、名前に負けるというか、くじけそうになったりすることはありましたか。
舘野:ビッグネームだと、研究も多いわけですよね。そういうものほど、自分ならではの研究といいますか、新しいことを言うのはなかなか難しいと思います。卒論では定家を選んだんですけど、その後は定家以外のほうが中心になりつつはあるんです。くじけるというか、やっぱり自分ならではの研究をするのは難しいところもあって、他のほうに行ってしまいがちなんですけれど、最初は有名なところをやりたいとは思っていました。でも、いつかは自分ならではの藤原定家研究を打ち出せたらいいなという思いはあります。

大学院の指導──個別具体的な事柄で注意を受けたことはいくらでもある

松本:舘野さんのような優秀な方はあまりないかもしれないですけど、怒られたこととか、先ほど佐藤先生のお話もありましたが、「こうしたほうがいいよ」と指導された、印象に残るような出来事があれば、教えてください。
舘野:印象的なものはないんですけれど、個別具体的な事柄で注意を受けたことはいくらでもあります。写本が見られるのに活字本を使ったり、論文の書き方、資料の持ち方とか、マイクロリーダーの使い方とか。
松本:非常に教育的ですね。慶應の学風は、やはり学問的なことを伝えることが多いんですか。
舘野:他と比較できないので、特別学問的だったかわかりませんが、先生に注意されたのは、そういうことが多いですね。今思い浮かぶのは。もちろんそういったことだけではないはずですが。
松本:慶應は斯道文庫もおありで、古典籍の扱い方はしっかりなさっているな、と他の方を拝見していても思っておりましたので、私は慶應らしいなと思いました。
岡田:指導は、初めから手ほどきをされるんですか。それとも、ある程度自分でやってみて、「それじゃ駄目だ」というふうに教わるとか。
舘野:大学院の授業で斯道文庫の書誌学講座がありまして、そこで基本的なことを教えてもらうのが最初です。授業内では受講生が古典籍を手に取って見るんですけど、とうぜん扱い方が悪いと、例えば本を持ち上げて見ていたりすると、注意、指導は受けます。
岡田:私自身の経験でも、そういう附属の研究所がない一般の大学だと、例えばマイクロリーダーの使い方一つにしても、触る機会がないので、最初は見よう見まねでやる感じなんです。最初に教わる機会があったというのは、慶應ならではかと思いました。
松本:原典に触れるのは、学部のころから徹底されているのですか。
舘野:学部の時点で原典資料を見て卒論を書く人はそんなにいないと思いますけれど、和本に詳しい先生が多かったので、先生の持ってる本を授業で見せてもらうことはありました。だから、資料は比較的身近な環境だったと思います。学部の時点から体系的に古典籍資料を使うようなシステムはなかったですが、触れやすい環境ではあったと思います(なお、当時は無かったのですが、今は斯道文庫の学部向け授業が開講されていますので、学部生が古典籍に触れやすい環境は整えられています)。
松本:資料が身近な環境であるというのは、魅力といいますか、大きな特色の一つかなと思いました。

後から生きてきたこと──自分とは関係がない授業も出ておけば良かった

松本:これまでのご経験で、その時は無駄だなとか、何の意味があるのだろうと思ったもので、後から生きてきたことがあれば教えてください。
舘野:例えば、大学院生が中心になって編集・刊行している『三田國文』という雑誌に関する業務とか、中世研の幹事とか、研究とは直接関係ないことを、無駄じゃないと思うようにしてたんですけれど、結果としてメールの送り方とか、そういったものが学べたかなと思いました。
修士課程のときは自分の専門以外の授業も受けるんですけれど、無駄だと思っていたわけではないんですが、今、埼玉大学で古代・中世文学担当として授業で幅広い時代を扱っていて、授業で自分の専門から外れた内容を扱う際にも生きてきますし、もちろん、自分の研究にも、そこで学んだことが生きてると思います。逆に自分とは関係がないので出なかった授業もあるんですけれど、出ておけば良かったなと思うことがあります。
松本:研究者になって授業を担当したときに、糧にできる部分でもありますね。
舘野:そうですね。学生時代に源氏物語の授業もあったんですけれど、結局出なかったんです。でも、いま古代・中世文学担当になって、毎年どこかで源氏物語を扱うので、源氏の授業といってもいろんな型があると思うんですけれど、ベースとなるような型を一つは知っておくために源氏の授業に出ておけば良かったみたいなことは、思います。
松本:埼玉大学は、古代・中世の先生が1人、近世以降で1人ですか。
舘野:近世文学担当と、近代文学の先生がいます。現在、教養学部の日本・アジア文化専修日本文化専攻での日本文学担当は、3人ですね。
松本:国語学と国語教育もあるのでしたっけ。
舘野:そうです。
松本:これからの時代は、「中古」や「中世」といった、時代で採用されることは少なくなっていくでしょうし、古いほうと新しいほうに分かれて、1人で何百年分も受け持たなければならないことはあると思うので、舘野先生がおっしゃったことは、今の大学院生たちには非常に有益な情報だと思います。これに加えて、学会業務なども出てきますしね。
舘野:そうですね。当時はまだ院生の数がいたんですけど、少なくなるとかなりきつくなっちゃいそうですね。
松本:でも、そういったところから得られるものもあったということですね。
舘野:どうなんでしょうね。結局、無駄だったこともあるかもしれないので、「無駄じゃないんで、やりましょう」って、積極的に言っていいのか。
岡田:でも、院生から急に大学教員になって社会に出るので、社会人的な知識が大学院時代に身に付けられるのは、それはそれで大事かもしれないと思いました。
舘野:確かに。学生時代、失礼のないようにメールを送るということをほぼしてこなかったので、その経験がなかったらほんとに何も分からないので、生きると言えば生きるんでしょうけど。
松本:社会常識を得られる貴重な場といいますか、事務についても若いうちから経験しておかないと、大学の業務は結構多くなってきています。「びっくりした」とか「こんなつもりじゃなかった」という方もいると思いますので、大事だと思います。それがメインになってしまうのはまずいのですが、研究でしっかり業績を残されている方がそういったことをおっしゃるという点には、重みがあるのではないかなと思いました。

研究が行き詰まったときは──自分の中のハードルを低くして乗り切る

岡田:傍目に見ると、舘野さんはずっとハイペースで論文を書かれていて、順調に見えるんですけれど、意外と本人にとっては行き詰まりがあったりするのかなと。行き詰まりがあるとしたら、どういうふうにそれを解消してこられたのか気になります。
舘野:正しいかどうかは分からないんですけど、なかなか論文が書けない、研究発表ができないときには、自分の中のハードルを低くするといいますか、確実にこれだけはこなせるということを目標として設定して、それを乗り越えられれば、取りあえずよしと思うようにします。「今年はこれをやって、あれをやって、あの論文を書いて」みたいにハードルを上げがちなんですけど、そうすると達成できなくなって、だんだん自分は駄目なんだと思ってしまうので、ハードルを低くして、「今年はこれを達成したぞ」と思う方がいいのかなと。もちろんハードルがないと、何も出来ないということになりかねないので、ハードル自体は設定しないといけないと思いますが。むしろ完全な停滞をふせぐための心がけでしょうか。
岡田:ご自身なりのハードルは、どれくらいから見えてきました? 大学院時代からある程度見えてましたか。「これぐらいのレベルの論文を書いていこう」みたいなターゲットが定まっておられたのか、それとも、もっといろいろ悩まれたのか。
舘野:大学院時代は、何がどれくらいのレベルかもまだ分からないですから、すぐにターゲットが定まったってことはないとは思います。
岡田:そもそも大学院時代は論文を書いていこうという雰囲気は前提としてあった感じですか。指導としてもそういうことを言われていたとか。
舘野:そうですね。これは大学院全体というわけではないんですけど、自分の周りの先生には、「研究者というのは論文を書くものなんだ」と。後期博士課程に入ってからですけど、そういうことは言われました。研究者は論文、書くもので勝負なんだと。
岡田:本数を重ねていくうちに、自分なりの基準が見えてきた感じでしょうか。
舘野:そうですね。
松本:「書くもので勝負だ」と言われていた中で、ハードルを下げるのもなかなかすごいなと思いました。
舘野:最初は「自分を過信する」ではないんですけど、あれもこれもできるみたいに思っちゃって。けれども、最初に立てた目標に遠く及ばないような1年だったみたいな結果に終わってしまうことがあって。
松本:軌道に乗ってきたと思ったのは、どれぐらいのときでしょう。
舘野:ドクターの3年目くらいでしょうか。軌道に乗ったといいますか、「論文が書ける」ではないんですけれども。
松本:『中世文学』に最初の論稿を投稿なさったぐらい?
舘野:そうです。それが雑誌に載った年あたりです。
松本:私すごく印象に残っております。舘野さんが最初にお載せになった『中世文学』のご論考、すごいものだと思って拝読した覚えがあります。
舘野:その年くらいから、自分はこんな感じで論文が書けるんだと分かりました。
岡田:博士に入られてから、論文を書くのが仕事だと教わりつつも、最初は難しかったですか。
舘野:そうですね。ドクターの3年目が、自分の論文が公になった最初なんです。今思うと、1、2年目ももうちょっと書けたかなとは思うんですけれど、結果的に形にすることはできなかったので。
松本:形にできなかったときの苦労ですとか、大変さはすごく分かるのですが、後進の方たちに励ましを与えるとしたら、どうアドバイスされますか。
舘野:査読のある雑誌に論文を投稿して、それが載らなかったからといって、その論文が悪いわけではないと言ってくれる人もいると思うんですけれど、とはいえ、載ったか載らないかで評価されてしまうので、そこがなかなか難しいと思うんです。どうやってモチベーションを保ち続けるかってことですよね。そういう時には、やはり論文を完成させたことで一つ目標を達成したと思うようにする。あと、論文がなかなか書けない場合は、質はともかく取りあえずできる範囲で一つ完成させてみることを目標にしてみるといいんじゃないかということは、言えるかなと思います。さっきのハードルを低くする、みたいな話ですが。
松本:できるものからということですね。
岡田:気負って大学院に来てしまうと、完成度の高い論文を最初の1本から出さなきゃいけない気持ちになって、書けない人って多いですよね。
舘野:そうですね。
松本:早い方だとD1とかD2、時には修士で全国誌に載った方もおられ、そういった方たちと比べてしまう時もかなりあると思います。それで卑下することなく、書くもので勝負だというところを信じてしっかりやっていくことの意味は、すごくあるなと。
舘野:卑下することなく、という訳でもないんですが、そうですね。確かに、早い段階で全国誌の査読に通れば自信にもなりますし、そこから勢いが付いて次々と論文も書けるとは思います。「最初の論文は査読のある雑誌に出したらいい」というようなことも言われていました。ただ、それが上手くいかなかった時の乗り切り方も持っていた方が良い気がします。その一つとして「自分のハードルを低くして乗り切る」というのはありなんじゃないかな、と思います。

同年代の院生との出会いが刺激になった

松本:大学院の外に出て、学会などで他大の院生さんたちと、どのような交流の機会があり、それがどれだけ影響していたのか、何かあれば、うかがいたいです。
舘野:研究会とか学会で、他大の同年代の研究者と知り合えたのは、非常に良かったと思います。似たような研究をやっていれば、いずれ論文は読むことになるんでしょうけれど、知り合うことによって、あの人、また良い論文を書いてるぞ、自分も頑張らなきゃってって、励みになります。
松本:慶應には、「外に出ていきなさい」というような指導はあるのですか。
舘野:ゼミによると思うんですけど、岩松先生は積極的に外に出ることは勧めてました。もちろん小川先生もそうだと思います。自分の周りでは、先生が院生を抱え込んだりする感じではなかったです。
岡田:関連してうかがいたいんですけど、研究者を志して博士まで進学されて、学会とか研究会で同世代と知り合う以前から、自分の立ち位置みたいなものって意識されたり、あるいは、同世代にどういう人がいるのかと調べたり、比較されたりされてましたか。
舘野:どういう人がいるか調べるというよりも、気になる論文を見つけた時に、この論文を書いた人は他にどういう論文を書いてるんだろうと調べて、「この人、同年代なんだな」と分かって、意識するようになったりはありますね。
岡田:そこは結構分かれるところですね。完全に孤高で誰とも比較せずに行く人もいて、一方で、私も人と比較するほうだったので。
舘野:藤原定家で卒論を書いたと言いましたが、『僻案抄』を扱ったんです。たまたま早稲田の兼築先生が授業で定家の『僻案抄』をやっていて、それが修士課程の1年目だったと思うんですけれども、それを聞きに行ったことがありまして、そこで同学年の梅田径さんと出会うことができました。そういう形で、早い段階から他大学の同分野の同年代の院生と出会えて、それが刺激になったのは間違いないですね。影響もかなり受けています。
松本:梅田さんはかなり早い段階からご活躍なさっているイメージがありました。D2やD3で学会のお仕事などをなさっていたイメージがあり、すごい方だなという記憶があります。

印象に残る一冊──川平ひとし先生『中世和歌テキスト論―定家へのまなざし』

松本:最初に買った研究書や、影響を受けた書籍、思い出深いものがあれば、エピソードなどをうかがいたいです。
舘野:最初が何だったか覚えていないんです。もちろん、さまざまな研究書に影響は受けてるんですけれど、「これがあったから、今がある」というような一冊は思い付かないです。ただ、思い出深いというところですと、ちょうど修士課程に入ったばかりのときに川平ひとし先生の『中世和歌テキスト論―定家へのまなざし』(2008年、笠間書院)という研究書が出ました。『僻案抄』を卒論で取り上げたとこともあって、その『僻案抄』の伝本研究の論文、もともとは紀要に載っていた論文なんですけども、それが割とその本の中心的なところに載ったということがあって。
もう一つ言うと、中世研では論文紹介をするコーナーがあって、その論文紹介の枠で、『中世和歌テキスト論』を取り上げたんです。自分に関係するところを中心に紹介しただけなんですけれど、それが初めての発表だったというか、他の大学の人とかも聞きに来てくれていた、ある程度外に開かれた研究会での最初の発表だったということもあって、印象深いです。本体に付属CD-ROMが付いてる本で、そこに多くの論文や資料の紹介が収められてるんですけど、その後も最近に至るまで、ことあるごとに参照しています。
松本:歌論歌学をやる上では、舘野さんとしては外せない本である、と、そのように位置付けていいのですね。
舘野:そうですね。研究に関してまねをしたいというのではないのですけれども。川平先生はその前に『中世和歌論』(2003年、笠間書院)という、まだご存命だったときに出た本があるんです。それを含めて、自分の研究を進めていくなかで、要所要所で参照しなければならなくなるので、そういう意味では、非常に重要な本であり、重要な研究者だと思います。

研究を続けるモチベーション──自分が最先端に立ったと感じることができる

松本:研究を続けるモチベーションですとか、これから目指していきたい大きなテーマ、先ほど定家論とおっしゃっていただいたんですけど、それでも結構ですし、他にもあれば教えてください。
舘野:テキストを読んだり、資料調査をしたりして、今まで誰も言ってないようなことを見つけたとか、考え付いたときの喜びといいますか、要するに、その瞬間、自分が最先端に立ったんだと感じることができるのが、一つあると思います。それから、書いたものを誰かが読んでくれるのも、論文を書くモチベーションになると思います。初めて会った人が、すでに自分の書いたものを読んでくれていたりすると、書いて良かったなと思います。モチベーションで言うと、そのあたりかな。
松本:ありがとうございます。新しいものを見つけたときの「最先端にいるんだ」というドキドキは、資料に触れたことのない学部生や院生だと分からないところもあると思うので、どのような感じか、もう少し具体的に例えていただけるとありがたいのですが。
舘野:「今、これに気付いてるのがこの世に自分だけなんだ」みたいなことですよね。実際、誰かが気付いていて論文になっていないだけだったり、思い違いだったりすることもありますが。
岡田:論文として形にされる前から、発見の喜びがある感じですか。
舘野:基本的にはそうですね。一方で、書きながら気づくこともあります。
松本:発見するということがとても大事だし、それが身近なところ、大学院のときから資料に触れている延長線上に出てくるということは、つながってるのだろうな、とうかがっていて思いました。

大学院に行こうか迷ってる方へ──楽観的じゃないと研究者になれない

松本:今までもいろいろなアドバイスをうかがったのですが、舘野さんなりに、大学院に行こうか迷っている方たちに対しての助言などがあれば、うかがいたいと思います。いかがですか。
舘野:前にも話しましたが、大学院生は自分の専門だけじゃなくて、いろんな分野の授業とか演習に積極的に出るといいと思います。自分の研究も深めることができますし、何より教員になって自分の専門以外のことも話さなければいけなくなったときに生きてくるので。自分の専門だけで卒業とか修了できちゃう大学もあるとは思うんですけれど。
あと、これから研究者を目指そうかっていう人に本当は言いたいところではありますが、これを言うと無責任なのかなと思っちゃって言うのは躊躇してしまうんですけれど、「楽観的になりましょう」って言いたいんですよね。研究者を目指すのは、将来に不安を感じてためらってしまうことが多いと思うんですけれど、「最終的には何とかなるか」っていうふうに楽観的になって、自分のやりたい研究にまい進したら良いと言いたいですね。自分は研究環境や家庭環境にも恵まれていたこともあり、幸い何とかなってはいて、そういう立場からものを言うのは無責任なのだともと思いますので、「楽観的になれる人は楽観的になるのもありなんじゃないか」くらいに留めておきますが。
松本:楽観的になるというのは、結構大きなアドバイスです。大学院に入るときに、自分の可能性や、将来のことを狭めないでほしい、という点は、励みになる気がいたします。
岡田:舘野さん自身は、博士課程を出られてから埼玉大学にご就職されるまで、6年ぐらいでしたか。
舘野:大体6年くらいです。
岡田:その間、楽観的に構えるようにされていたところはあるんですか。
舘野:そうですね。いま思い返して、常にそう思えていたかというと、そうでもなかったかも知れません。就職活動が上手くいかなかった時などは、楽観的にと言えないような思いを抱いたりはすることもありますけれど、基本的には、楽観的にならないと、研究者を目指すということはできないと思うんです。
岡田:どうしても深刻に考えてしまいがちで、私も就職する前は、自分が就職する枠がほんとにあるのかとか、不安になる瞬間は常にあったんですよね。でも、その中でも、継続している人が残っていくところもあるのかなと思っていたので。だから、そこで論文を書き続けるために、頑張ってでも楽観的になろうとして、それで成果を出していけば、いずれ認めてもらえるという気持ちはありました。
舘野:そういうふうに、「いつかは誰かがどこかで認めてくれるよ」っていうことを言ってくれる人が周りにいたので。確かな研究実績のある先生が評価してくれたりして、この人に評価されてるなら大丈夫かなと思えたことはありました。
岡田:自分なりの評価軸があると、少し安心感がありますよね。ここで認められていれば、きっと何とかなるんじゃないかという。
松本:ハードルを下げるというお話にもつながってくる気がしますが、自分をどのようにケアするかが大事になってくる、「楽観的じゃないと研究者になれない」というのは、最後にすごいパワーワードが出てきたと思います。すぐに院生さんたちに伝わるか分かりませんが、こういったことに何かの際に触れて、これでもいいんだと思ってもらえるというか、「研究者になるには、いつもずっと死に物狂いでやってないと駄目なんだ」と思わなくていい、「そうじゃなくてもいいんだよ」ということですね。
舘野:そうですね。ただ、もちろんずっとストイックにやっていくというのはすごいと思いますし、それは優れた成果に繋がると思うので、楽観的になるイコール手を抜くということではなく、駄目なときでも、積極的に自分を肯定できるメンタルを持ってるといいかなということでしょうかね。例えば過度にストイックな性格によって行き詰まってしまっているような時は、そういう考え方を持つのも重要なのかと思います。

これから目指したいもの──点と点をつなげて一つの柱を打ち立てたい

文学通信:最後に、これからどういった研究をやっていこうと思っているのか、今後の展望をおうかがいできれば。
舘野:『中世の「歌学知」の史的展開』というタイトルの著書を書いたんですけど、結局、鎌倉時代のあれと、南北朝期のあれとっていうような、断片的な問題で論じることしかできなかったので、点と点をつなげて一つの柱を打ち立てたいとは考えています。本当の意味で、このまえ出した著書のタイトルにふさわしい研究成果を目指したいと思っています。
松本:舘野さんの意気込みが伝わってきました。
舘野:言うだけになってしまうとあれなんですけど。
松本:いやいや、それが言えるだけの実力と思いがあるから、言えるのですよ。そういったことを言えるということが素晴らしいと思います。
舘野:「口だけじゃないか」って言われるのがあれなんで、あんまり言いたくなかったんですけれども(笑)。
岡田:でも、見通しをちゃんと持っておられるということですよね。その場で思い付いてやるんじゃなくて、最初から一本筋の通ったところにいずれたどり着きたいっていう、将来の大きい展望ですよね。
舘野:結局、そのときの関心に応じて研究発表をしたり、論文を書いたりしてるんですけれど、最初からそういった展望があったというよりも、ある程度進めていくうちに、自分の研究はこういうものなんだって見えてくるってことでしょうかね。
松本:ありがとうございます。大変有意義なお話でした。
岡田:だいぶん前から舘野さんとお付き合いさせていただいてますけれども、しっかりうかがったことはありませんでしたので、大変面白かったです。ありがとうございました。
舘野:どうもありがとうございました。


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