望月昭秀編『土偶を読むを読む』より、「おわりに」を公開

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望月昭秀編『土偶を読むを読む』より、「おわりに」を公開します。ぜひご一読ください。

●本書の詳細は以下より
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望月昭秀編『土偶を読むを読む』(文学通信)
ISBN978-4-86766-006-5 C0021
四六判・上製・432頁
定価:本体2,000円(税別)

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おわりに

著・ 望月昭秀


 『土偶を読む』は面白い本だった。謎解きはサクサクと進み、知的好奇心が刺激され、頑迷固陋で閉じた世界の古い住人を、何にも縛られない独立研究者が軽やかに打ち負かしたように見える様は爽快感もある。

 名のある学芸賞を受賞し、各界の知識人に認められ、ベストセラーとして多くの書評も出た。これを専門知識の持たない読者が疑うことは難しいと思う。だからこそ、本書を読み、なぜ学問としては認められないのかを考えてもらえたら嬉しい。

 一度信じてしまったものを覆すのは難しいことはわかっている。ハート形土偶を見たらオニグルミの断面を思い出してしまう気持ちもわかる。しかし、それこそが『土偶を読む』で再三従来の考古学を批判するために使っていた「認知バイアス」に他ならない。なぜ正しくないのか、その認知バイアスを振り払い、本書を読んでみてほしい。

 そして、願わくば、「なーんだトチノミじゃないのか」と、興味をなくさないでほしい。縄文時代は、土偶は、そんなに単純ではないかもしれない。しかし、いったんかじってしまったその何かの果実(木の実)をもう一度味わってみてほしい。思ったのとは違う味がするかもしれない、複雑怪奇で、「美味い」とは決して言えないかもしれないけれど。

 言い方を変えれば『土偶を読む』を二倍楽しむために、本書を手に取ってもらってもいい。

 『土偶を読む』を読んでいなくても本書は楽しめる。

 縄文研究、考古学の現在位置がわかるインタビューや、現場で実際に土偶に触れている研究者や、植物考古学や土偶の研究史、土偶の形態変化など土偶の理解の解像度をグッと高める仕掛けや章も用意した。ある章では〝専門知〟をパブリック・アーケオロジーの観点から考察もしている。検証以上に読み応えのあるページは多かったと思う。もちろん、より楽しむためには『土偶を読む』を事前に、または事後に読んでおくことをおすすめしたい。多少売り上げに貢献してしまったとしても。

 想像の飛躍が大きいのは『土偶を読む』だけじゃないだろう、ことさらに取り上げる必要があるだろうか、と考える人もいるだろう。

 「こういうものを否定したら、自由な発想が出なくなってしまうじゃないか」、「縄文時代は答えがないのだから何を言ってもいいじゃないか」とは、筆者も何度か言われている。

 「自由な発想」は、もちろんその通りだ。しかし、そこには明確な線引きがある。事実を基にしているか、そうでないかだ。それを一緒くたにしてはいけない。

 「答えがない」時代であっても、これまでの研究で「わかっていること」は一般の方が思っているよりもかなり多いことが本書を読んでいただければわかっていただけたと思う。そして、「わからない」ことがわかることもまた学問だ。

 たとえ正しくなかったとしても、たとえオカルトでも面白い方がいいよね、という考え方があるのもわかる。オカルトは楽しいし魅力的なエンタメだ。しかし、事実に基づかないのであれば、その先は必ず行き止まりになる。入り口がオカルトだとしても、より深くより楽しく知りたい人は、いつかは絶対に正しい情報を選んだ方が良い。より深い方の沼はこちらの沼だ。

 繰り返し、土偶の謎は面白いと言いたい。謎だから面白いだけでなく、できればこれは、という答えを知りたいとも思う。しかし、縄文人はすでにここにいない。悲しいことに自供は絶対に得られない。

 だからこそ今後の研究を注視していきたいと思う。

 三〇八頁からの対談で是川縄文館の小久保さんが言われていたように、「みんなで研究を前に進める」という意識が、多くの埋蔵文化財に関わる人たちの頭のどこかにある。

 考古学の研究は他の学問に比べても下支えしなければならないことが多い。多くの人と協力して遺跡を発掘し、それらの出土状況と出土遺物を細かく記録し遺跡ごとに報告書を出す。発掘された資料は適切に管理し、場合によっては広報の役割も担う。それは各地方、地域で今日も行われ、地権者との交渉も含め、地域のみなさんにも納得をしてもらいながら調査をする。それらは決して簡単な作業ではない。それを元にして、さまざまな集成や論考が出され、より蓋然性の高い論考は頻繁に引用され定説になっていく。

 発掘された遺跡は、何かが建てられる前提での調査発掘でない限り、記録を取り、出土物が取り上げられたのちにはもう一度埋め戻される。これはなるべくなら遺跡は壊さないで保存しようという配慮でもある。また、将来、遺跡調査の今よりもより良い方法が見つかる可能性も考慮して、遺跡の範囲であっても掘らずに保存することも多い。

 重要なのは、遺跡という、国や地域だけでない、人類の財産を未来に残しながら研究は進められているということだ。考古学は壊してしまったら元に戻せないものを相手にしている。

 それは、答えと同等に、いや、それ以上に大切なことでもある。

 『土偶を読む』で、土偶の面白さに目覚めた読者のみなさんには、本書は冷や水だったかもしれない。しかし、これは通過儀礼として受け止めてほしい。

 でも大丈夫、全然大丈夫。歯を抜かれるよりはずいぶんとマシな通過儀礼だ。

編者によるメッセージ
『土偶を読むを読む』という書籍を出します。 - 縄文ZINE_note
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