古代文学会2月例会(第758回)(2023年2月4日(土)午後2時〜5時、Zoom)※要申し込み

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研究会情報です。

●公式サイトはこちら
http://kodaibungakukai.sakura.ne.jp/wp/kenkyuuhappyoukai/reikai

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※詳細は上記サイトをご確認ください。


日時:2023年2月4日(土) 

午後2時より5時まで(例会終了後委員会を開きます)
※Zoom開始時刻は発表開始の30分前となっています。

場所:Zoom(登録後、参加用URLを含むメールがZoomより送信されます)

発表者 : 村上倫子氏

題目 : 神の意思を歌うイスケヨリヒメ

要旨 : 本発表では、『古事記』神武天皇条において、タギシミミの謀反時にイスケヨリヒメがカムヌナカハミミらに向けて歌う場面と、その際に歌った歌二首を扱う。

 当該二首は、「雲立ち渡り」や「木の葉騒ぎぬ」「風吹かむとす」など、自然描写が歌われる点が特徴的である。ゆえに歌のみを取り出し、自然が何を示すかを検討のうえ、「叙景歌」「抒情歌」等の歌のジャンル分けをし、物語とどう結びつくか等の解釈がされてきた。だが確固たるジャンル分けをすることは難しい。また歌のジャンル分けは、『古事記』の中で歌を扱うこととは別問題であろう。ここでは歌や物語を『古事記』がどのように記述しているかという視点が重要であると考える。

 先行論では、歌の中の自然の表現を解釈できることが、結局はカムヌナカハミミの皇位継承の保証になるといった、言及が多くされる。しかしながらそれらの論は、「誰がどのように歌を聞き取るか」に着地点が置かれているということであり、「誰がどのような歌を歌うことを記述しているのか」に関しては深く言及されていないということでもある。

「誰が何を歌うか」という視点に立つと、問題点が3つある。それは①「御祖」イスケヨリヒメが「患苦」で歌うこと、②自然描写を含んだ歌が置かれること、③一首ではなく二首歌われること、である。①~③に関し以下のように論じる。①においては、「御祖」イスケヨリヒメが「患苦」ことを用例から確認しイスケヨリヒメが母だけでなく、巫女としての能力を持ちあわせること、②では、自然描写の表現は、神の意思を表すものとして扱われていること、③に関しては、同じ素材の言葉を使った歌が2つ並べられることが、祭祀的な歌構造と似ることに言及する。

 ①~③を通して発表者は、当該場面において「御祖」イスケヨリヒメという巫女的な存在が、「雲立つ」や「風」に示された自然描写に顕れた神の意思を得、その意思を歌っているということを述べたい。

(司会:小野諒巳氏)