アルバイト日誌「大原寂光院へ」(2022.8.25、れい)

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 先日、約3年ぶりに京都に行ってきました。新幹線から東寺の五重塔を見て、鴨川デルタの優しい風に触れた時、久々の京都という嬉しさとコロナ禍で制限された日々の長さから、深呼吸とともに涙が溢れそうになりました。それほど、京都に行きたい!と思い続けた3年間でした。

 待ち続けた京都旅行なのだから、今回は「前から行ってみたかったけれど、行けなかったところ」を訪れようと思い、計画しました。その一つが大原です。

 小学校の頃京都の本を読んだ際に大原という場所を知ったのですが、その場所や背景をしっかりと認知したのは、高校の授業で『平家物語』「大原御幸」を読んだ時だったと思います。具体的な戦の描写があまり得意でない私は『平家物語』に苦手意識があったのですが、平清盛の娘建礼門院徳子が、壇ノ浦の滅亡後この大原の地で平家一門の菩提を弔ったこと――、戦の裏に女性の物語があったという事実に悲しさと感動を覚え、古典がずっと身近なものになりました。
京都駅から電車とバスを乗り継ぎ、大原へ。中心部の賑わいから洛北の穏やかな自然へ、そして山へと車窓が変化していく様に、当時の人も同じような景色を見ながら大原の地に向かったのだと感慨深くなりました。

 バス停から柴漬けの畑を隣に見ながら徒歩15分ほど、寂光院は自然の中に静かに佇んでいます。敷地の階段をしばらく登った山門の奥に本堂、その周辺には徳子の庵の跡や大原西陵もあり、訪れたことで本当にこの地で閑居していたのだと感じました。境内の青紅葉は西日に透けて苔に柔らかな光を落とし、風はささやかに木々を揺らしていました。そして、遠くには残暑らしい虫の音が響く、その美しく静寂な空間は運命の寂しさを物語っているようで、なんとも言えない気持ちになりました。お参りをした時の静けさは、これからもずっと忘れることがないと思います。

 私の研究領域は、徳子が生きた時代と比較的近いのですが、約800年も離れた時代を研究していると、本当にこの人物たちが生きていたのか実感が湧かなくなる時があります。当然、寂光院をはじめ、人物たちのゆかりの場所の写真は何度も見ているのですが、やはり自分の足でその地を歩き、そして五感で感じるのは、違うものがあります。確かに生きていたという感触は、すぐに研究に生かされるものではないですが、私の世界をずっと豊かに深くしてくれる、素敵な経験です。そんな素敵を、これからも見つけていきたいと思います。

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