アルバイト日誌「「らしさ」に縛られない自分に」(2022.8.2、れい)

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 夏休みに入り、眠い目をこすってWord画面を見つめることも減った。とはいってもしばらく先に提出の課題がいくつかあるので、焦る気持ちは変わらないけれど...明日の発表準備が終わらない!と叫びたくなる感情があふれ出てこないのは素直に嬉しい。

 この前期を振り返ってみると、同じ大学、キャンパスに通うのでも、学部までとはおかれている立場も環境も大きく違うことを実感した日々だった。大学に入学した頃、院生はなんでも知っていて頼れる先輩方のイメージがあり、自分はそうなれているのかと不安になった。そしてこのアルバイト日誌も、いわゆる「院生らしい」日誌にしなければ、と無意識に思っていたところがある。実際に生活の大半は「どうでも良い話」といった類のことも多いのだろうし、学びの多い時間を過ごしていても、それを今すぐに意味付けできる話題というのは少ない。そもそも学ぶという行為自体を、言葉として感情や意見にまとめることはそんな簡単なことではないと思う。

 まったく専門外ではあるものの、ずっと興味を持っているのが時間の概念で、例えば三次元空間で考えれば、地球は丸いのでずっと歩いていれば元の位置に戻ることができるけれど、時間は不可逆的なもので、年月の繰り返しの中にいても元には戻ってくることができないのが、当然のことながら不思議でならない。その上、(物体の運動によって)時間は相対的というのだから更にわけがわからなくなってくる。過去に戻れないといえば、何人かで話したときに、ある友人が何も選択しなくて良かった子どものころに戻りたいと言っていて驚いた。私は、幼稚園の時は20歳になりたかったし、高校生の時は25歳くらいに憧れがあって、今は30代が良いかもと思っている。また、大人になればなるほど、知識や選択肢、表現できる言葉は増えて、人生はより楽しくなっていると考えてきたし、実際そうなっている。私の中で、時間という概念が揺らぎある存在な上、人によって考え方があまりにも異なるが面白く感じた。

 話を戻して、アルバイト日誌が自分の中で何か「らしさ」に縛られてしまっているな、と思う時がある。私は私なりの文学の読み方があるし、それは決して王道でもない気がするけれど、時間に対して思うことがあるのと同じで、すべてが私そのものだと思う。けれども、そう上手く表現できないことにも同時に悩んでいる。

 まだ良い言葉が見つからないけれど、自分の趣味や興味と研究というのは少なからず繋がるものがあるので、日誌でもっとそのような日常の感情を伝えられたらな、と考えている。