アルバイト日誌「先輩からのアドバイスに」(2022.7.22、れい)

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 大学院という研究の場に飛び込んで気づいたことの一つに、文学研究は一人でするものではない、という点があります。卒論の時からゼミでは発表や意見交換を活発にしており、当然分かっていたことではあったのですが、院進してより強く感じました。

 先日ある授業で和歌を読んでいた時のこと。先生、先輩方からこの歌の句切れはここだから現代語訳する時は切らないと、とご指摘を受けました。以前から、私は文法や文(和歌であれば句ですが)の切れ目への意識が足りないと思っていたのですが、その時、改めて自分の不得意な部分を認識しました。私の興味の根源は、和歌・散文に限らず「言葉」そのものであり、それらが含意する意味や概念に関心があるので、(これは古典に限らずですが)読んでいると先に言葉からイメージが膨らんでしまい、しばしば文の構造への注意力が散漫になってしまうのです。そのことを後ほど先輩に相談したところ、「私は先に文法に目がいってしまって作品へのイメージが湧いてこないから、それ(イメージが形成されること)は大事にした方が良いよ」とアドバイスを受けました。私は、苦手な部分を克服しなければということばかりに目がいっていたのですが、先輩から言葉をいただいて、良い部分も認めて伸ばしていくことも必要だと気づきました。さらに、同じ本文と向き合っていても、その捉え方や注目するポイントというものは本当に人それぞれなのですよね。当然、人は自分の思考回路以外のものを持ち合わせていないので、見え方の違いというものは新鮮に感じます。

 このように、自分の長所や苦手や部分に気づくのは、先生、先輩や同輩がいるからです。一人で黙々と作品に没頭していく時間も必要ではあるのですが、意見やご指摘、助言をいただくことで、自分にはないものを知ることができ、そして対照的に自分の考えをも明確に浮かび上がってきます。作品やテーマを皆で深められるというのは素敵で豊かな営みですし、そのような貴重な時間を大切にしたいと思います。