【国際読書会】明治大学国際共同研究プロジェクト「辺見庸『1★9★3★7』を国際的に読む ー世界から見た日本における加害の記憶ー」(2022年2月27日(日)オンライン・一部会場参加あり)※要申込

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国際読書会のイベント情報です。
公式サイト・参加申込はこちら。
https://bungakureport.wixsite.com/1937

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■開催日時
2022年2月27日(日)
16:00 - 19:30 [日本時間]

■場所
オンライン会場
ZOOM Webinar
[15:45開場]

明治大学駿河台キャンパス
グローバルフロント 1F多目的室
​[15:30開場]
※会場参加は明治大学の学生や教職員に限ります。
​※感染状況によっては、会場参加が難しくなる可能性もあります。

■スケジュール
16:00-16:10 趣旨説明
16:10-17:10 第1部 発表者による報告5名
17:10-17:30 休憩
17:30-18:30 第2部 フリートーク(発表者相互の討論)
18:30-18:35 休憩
18:35-19:30 第3部 フリートーク(参加者を含めた討論)

■発表者
スタレツカ・カタジナ(ポーランド ワルシャワ大学)
1967年生まれ。日本近現代史研究。『昭和時代の日本 - 文化と社会状況』(編著、Wydział Orientalistyczny UW, 2019),「日本側による戦争責任自主裁判構想」 (Analecta Nipponica, 7/2017)、「日本・韓国・中国 - 近現代史の共同記計画」 (Przegląd Orientalistyczny, 1-2/2017)、「東京裁判の判断をめぐる日本の反応」,『罪悪感と罰 - 1939年から1956年の全体主義政権により侵された犯罪の解決に向き合う世界の諸社会 (共著、IPN 2015),『二十世紀の日本』(共著, Trio 2004)など。

趙秀一(韓国 東国大学校)
1982年生まれ。専門は在日朝鮮人文学(主に金石範文学)。論文に「格闘することばの世界―金石範「万徳幽霊奇譚」を中心に―」(『言語態』15号、言語態研究会、2016年)、「金石範『火山島』論―重層する語りの相互作用を中心に―」(『社会文学』47号、日本社会文学会、2018年)など。

セバスティアン・マスロー(ドイツ 仙台白百合女子大学)
1983年生まれ。専門は現代日本政治外交。Crisis Narratives, Institutional Change, and the Transformation of the Japanese State(編者、State University of New York Press, 2021)、Risk State: Japan's Foreign Policy in an Age of Uncertainty(編者、Routledge、2015)、ソフスキー『安全の原理』(共訳、法政大学出版局、2013)。

ギヨーム・ミュレール(フランス ボルドーモンテーニュ大学)
1987年生まれ。日本近代文学。戦時下の文学、特に戦争文学や外地文学について研究している。フランス語で「戦時下の日本戦争文学ー政府が注文できなかったテキスト」(仏語、論文、2020)、「林房雄の「戦争の横顔」ー作家の見た戦争」(仏語、論文、2018)。

王中忱(中国 清華大学)
1954年生まれ。専門は比較文学・中日近代文学比較研究。著書に『出来事としての歴史と文学の叙述』(台北:人間出版社2016年)、『走読記―中国と日本の狭間で:文学雑記』(北京:中央編訳出版社2007年)、論文に「詩の遠近法と表象としての植民地都市―安西冬衛、北川冬彦の詩法とアバンギャルドの画法との関連について―」(東京:『植民地文化研究』第13期,2014年7月)など。

■討議者
岡本和子(OKAMOTO Kazuko)
1974年生まれ。専門はドイツ近代文学。「住むことのできない街ベルリン―近代ドイツ文学を手がかりに」(論文、2021)、『ドイツ文学の道しるべ』(共編著、ミネルヴァ書房、2021)、「異質なものが作り出す磁場ーナポレオン軍による占領前後のベルリン文学風景ー」(論文、尾関幸編『ベルリン─砂上のメトロポール』所収、竹林舎、2015)、『ベンヤミン・コレクション4~7』(共訳、ちくま学芸文庫、2007-14)。

竹内栄美子(TAKEUCHI Emiko)
1960年生まれ。日本近代文学。1920年代から30年代のプロレタリア文化運動や、戦後の文化運動について戦争、植民地、ジェンダーの観点から研究している。著書に『中野重治と戦後文化運動』(論創社、2015年)、『新編日本女性文学全集』第9巻(編著、六花出版、2019年)、『中野重治・堀田善衞往復書簡1953−1979』(編著、影書房、2018年)など。

谷口亜沙子(TANIGUCHI Asako)
1977年生まれ。フランス文学研究・翻訳。著書に『ジョゼフ・シマ 無音の光』、『ルネ・ドーマル 根源的な体験』(共に水声社)。訳書にドーマル『大いなる酒宴』(風濤社)、フローベール『三つの物語』(光文社古典新訳文庫/第25回日仏翻訳文学賞)。論文に「ユベール・マンガレリ『冬の食事』――ホロコーストにおける草の根の執行者たち」「シャルロット・デルボ アウシュヴィッツを〈聴く〉証人」など。近年は、強制収容所と詩(ポエジー)をめぐる問題に関心がある。

​根本美作子(NEMOTO Misako)
1967年生まれ。フランス文学。「近さと遠さと新型コロナウィルス」、『コロナ後の世界を生きる―私たちの提言』、岩波新書、2020、ピエール・パシェ『母の前で』翻訳、岩波書店、2018、『眠りと文学----プルースト、カフカ、谷崎は何を描いたか』中公新書、2004。


■『1★9★3★7』作者
辺見庸(HEMMI Yo)
1944年宮城県石巻市生まれ。早稲田大学文学部卒。70年、共同通信社入社。北京特派員、 ハノイ支局長、編集委員などを経て96年、退社。この間、78年、中国報道で日本新聞協会 賞、91年、『自動起床装置』で芥川賞、94年、『もの食う人びと』で講談社ノンフィクシ ョン賞受賞。2011年『生首』で中原中也賞、翌年『眼の海』で高見順賞、16年『増補版 1★9★3★7』で城山三郎賞を受賞。 そのほかの著書に『赤い橋の下のぬるい水』『ゆで卵』『永遠の不服従のために』『死と滅亡のパンセ』 『いま語りえぬことのために 死刑と新しいファシズム』『水の透視画法』『青い花』『霧の犬』『月』 『純粋な幸福』『コロナ時代のパンセ』など。

■開催の主旨
 戦後70年を経て、世界の右傾化が進むなか、日本における戦争の記憶はますます歪められています。そのような状況のなかで、もっとも切実に日本の戦争問題に向き合おうとした作品、辺見庸の『1★9★3★7』(2015年)は、その重要性に比してこれまで言及されることが少なすぎました。ドイツにおけるナチズムの徹底的な反省や、フランスにおける対独協力の反省、ポーランドにおいて難航しつつも確実に進められている反ユダヤ主義の反省など、第二次世界大戦の記憶の検証が世界的に進むなかで、日本における記憶の問題は深まるどころか、漸次はぐらかされていっています。戦争の記憶といえば、被害の面ばかりが取り上げられ、加害の記憶に関するものが極めて不十分であるように思われます。原爆の被害はいうまでもなく、空襲の体験、銃後の生活などについて語り伝えることが重要であることは言を俟ちません。

 しかし、日本が相手国にもたらした被害の実態、すなわち日本の加害の記憶、責任の問題についても、アカデミズムなどの一部の議論にとどまらず、国民レベルでの共有が必要であり、それなくしては、現在の歪みを糺すことはできないのではないでしょうか。わたしたちはこれまで約三年半にわたって20世紀の戦争を描いた文学作品を読む研究会を重ねてきましたが、このたび、より広い読者とともに日本の戦争の現実とその歪んだ記憶を根底から問い直し、新たな出発点を模索するために、各国の日本研究者と『1★9★3★7』を読み直す「国際読書会」を開催することにしました。

 「シンポジウム」ではなく「国際読書会」という形をとる本企画では、発表者が、研究者としての立場からだけではなく、「市民読者」として、お互いの立場(国/地域)から、そしてそれを超えて「世界市民」としての視点も交えながら、『1★9★3★7』の「読み」を語ります。そしてわたしたちは、それぞれの「読み」を通じて、たがいに問いを投げかけ合い、激しく意見交換をしながら、『1★9★3★7』という作品がもつ重要性やその戦後的意味、国際的意味を探り、そこからどのようにして日本の戦争の記憶、加害の記憶を構成することができるのかを、各国/各地域の例との比較を交えながら考察する―この「国際読書会」が、そうした開かれた思考・議論の場/時間になることを願っています。以下に、わたしたちから発表者にお送りした呼びかけの文章(本国際読書会の主旨文)も掲載いたしますので、ぜひご一読ください。

​明治大学文学部
岡本和子(ドイツ文学)
竹内栄美子(日本文学)
谷口亜沙子(フランス文学)
根本美作子(フランス文学)
(順不同)

■発表者への呼びかけ文
 わたしたち四人は日本の戦後処理と戦争の記憶の仕方を考えなおす目的で2018年にこの研究会を発足させました。安倍政権が長期化するなかで、ひときわ勢力を増していた歴史修正主義への強い危機感を覚えながら、日本、ドイツ、フランス、オーストリア、韓国といった国々の文学作品を読み、議論してゆくなかで、日本文学専門の竹内栄美子さんの提案で『1★9★3★7』を読むことになったのも、当然の成り行きでした。

 2019年の2月の研究会でこの本を読みましたが、わたしたちは辺見庸の仕事に圧倒されました。わたしたちが憤りを覚えている日本の現状を決して見失うことなく、戦争責任の問題を現代のわたしたち日本人に「なぜ」とつきつけてくるその果敢さ、明晰さ、そしてなによりも情熱に深く動かされました。『1★9★3★7』は、日本でどんどん忘れられていく歴史的事象や文学作品(堀田善衞の『時間』、武田泰淳の「審判」など)にたいする日本の読者の記憶を刷新させる点においても、わたしたちの研究会のテーマそのものを体現しているといえます。

 今回の国際読書会を企画したのはこうした経緯からです。最初に研究会で読んでから二年半後に、あらためて四人でこの作品を振り返ってみました。すると当初の読解で見えてこなかった側面が浮かび上がってきました。パンデミックという世界的な現象を、世界と同時に経験することによって、「日本」というコンテキストの問題があらためて浮上してきました。『1★9★3★7』には「自己像とは、自己認識と自己申告が主観的にきめるものではなく、他者によって自己がどうみられるかによってより確定的に輪郭づけられる」と書かれていますが、日本の外からこの作品を読んだとき、この作品のすべての言葉を内側から支え、衝き動かしている日本の現状にたいする激しい憤りと絶望が、むしろこの本の射程を狭めている可能性がないかどうか、そこを皆さんにまずお聞きしたいと思いました。

 作品のなかには日本固有の歴史的問題という側面を超えて、丸山眞男や神島二郎の言葉を引用した日本の特有性に関する記述もしばしば見られます。と同時に、日本的な特性にたいする憎悪が赤裸々に綴られ、その憎悪は「私」と父の関係の底辺にも通底し、テキストそのものを侵食しているように思われます。たとえば、国民精神総動員運動を盛り上げたとされる「海ゆかば」について書かれている箇所では、「ニッポンジンのからだに無意識に生理的に通底する、不安で怖ろしい、異議申し立てのすべてを非論理的に無効にしてしまう、いや、論理という論理、合理性のいっさいをみとめない、静かでとてつもなくセレモニアスな、「死の賛歌」......。[...] それは天皇―戦争―死―無私......の幻想を体内にそびきだし、大君のための死を美化して、そこにひとをみちびいてゆく、あらかじめの「弔歌」でもあった」と日本人の特性に言及します。耳障りなカタカナ使いで日本語を傷つけながら、父親もこれを南京で合唱した事実に触れ、「きっと胸のおくからわきおこる感動で目をうるませ、直立不動でうたったにちがいない」と父親を愚弄することを忘れない。憎悪に駆り立てられて「わたし」が日本を、皇軍を、その皇軍で働いた父、その父に問いを投げかけられなかった自分を追い詰めていきます。

 このような作品において、自己嫌悪は文体そのものにも及んでいるように見えます。異様なひらがなやカタカナ使い、引用文の太字、同じく太字で数字を冠に頂いた多くの副題、そしてタイトルに散らされた★たちは、テキストを、日本語そのものを腐乱させようとしているかのようです。こうした文章を翻訳することの難しさを想像しながら、研究会のわたしたちはぜひとも皆さんに、このいわば内に向かって働いていく侵食力が、外から見たときにどのように見えるのか、感じられるのか、まずそこをスタート地点として語っていただければと思います。

岡本和子 竹内栄美子 谷口亜沙子 根本美作子