アルバイト日誌「卒論執筆記⑤「卒論」を通して」(2021.10.23、れい)

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 大学生としての4年間が、あと半年もしない内に終わろうとしています。

 大学に通って良かったと感じることの一つに、形成してきた価値観や概念を越えることが出来る、という点があります。高校生の時に「学ぶ」ことがいかに有機的なものであるかを知り、この先も学び続けたいと強く感じました。大学の授業は、心から楽しいと思うものばかりで、日本文学を中心に色々な分野の講義を履修しました。その中には、将来直接には役立たないであろう学問もあります。しかし、多様な概念に触れることで、「正しさ」などないこの社会で生きる時に、どんな意見を持ち、どんな判断を下すのか、という思考力が鍛えられます。高校までも自己を反芻する機会は何度もありましたが、大学で専門的な目線から捉え直すことでより自分自身をより客観的に見られるようになりました。

 卒論は、単に研究したいことを研究するだけではないのだと最近感じます。テーマや視点、研究の方法というものは様々で、個人の興味や価値観、それぞれ培ってきたものによって形作られています。また、調査したものを他者に理解できるように論を組み立て、文章化していく作業を通し足りない部分を自覚しました。その足りない部分というのは、能力だけではなく、性格や生い立ち、経験など全てのことが絡んでいます。学問と実生活は密接しているのだと改めて感じました。更に、発表や提出までのスケジュールを逆算してできることを探っていくのは、将来どんな職に就こうとも必要な力です。卒論そのものだけではなく、卒論を通して学ぶことの大きさに気づかされる毎日です。

 日々風のように過ぎ去り、刻々と提出の日が近づいていることに不安を感じますが、私のこれからに繋がるような卒論が書けたらと感じています。