アルバイト日誌「卒論執筆記② 私の弱点と、卒論と」(2021.07.03、れい)

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 私は、澄んだ綺麗さに憧れを持っている。例えば、夜明け前、紺碧色から少し明るさを帯びて澄んだ水色の空や、寒い冬に見るイルミネーションの澱みのない光、太陽の柔らかい光を浴びて清々しく揺れる木々。それらを見る度に、はっとさせられる。こんな美しく、まぶしいものがこの世の中にあるなんて、と。

 今年に入ってから読んだ本の一冊に、柳美里の『JR品川駅高輪口』がある。電車の中の音と、家族や友人との会話、外部から来る全てのノイズが主人公百音に響き、それが感情となって現れる。女子高校生の混沌というものが、一つ文字が違ったら全て崩れてしまいそうな絶妙なバランスで書かれている。主人公の「分からない」感情を繊細に表現する文章に、私は心を動かされ、そして心が痛んだ。

 何かを生み出すのには、常に痛みが伴う。私の良くないところは、繊細で精緻な文章が好きで、そしてそれを求めすぎて、時に完璧主義に陥ってしまうところだ。その力が上手く働けば、それなりに満足できるものに仕上がるが、一つ欠陥があると他の部分も一緒に崩れてしまうところがある。そうすると、文章に昇華できないもやもやとした感情が勝ってしまい苦しくなってくる。そして余計に世界が閉ざされていってしまい、悪循環になる。

 卒論を書いていると、自分の弱点と出会う。ダメだ、ダメだと感じる連続で、作品と向き合うのと同じくらいに自分と対話している。感情同士が上手くバランスを取って、あまり悩まないで進めたいけれど、そう上手くはいかない。それも自分らしさと思って、少しずつ乗り越えていきたいと思う。けれども、痛みに正面から向き合いすぎる癖は辞めたい。それが私の良いところでもあるけれど、自分で自分が保てなくなる時があるから...。

 卒論というより自分語りになってしまったが、私たちは平穏な毎日の積み重ねで、大きなこと―卒論もその中に含まれると思うけれども―、が初めてできるのだと思っている。今、その毎日が風のように過ぎ去ってしまっていることに不安がある。人間はきっと、いつもの日々を過ごしているんだと願って、騙して生きているのだと思うけれど、戻ってこれないところまで既に行ってしまった時に、やっと取り戻せない時間に気がつく。そうならないように、向き合った「フリ」は絶対したくない。自分の弱点を良い方向に持っていきながら、どこまでも私らしく生きていきたいと思っています。

 p.s.なんだか暗い内容になりましたが、私はとても元気です...!文章化したら、沈んだ感じになってしまいました。