古代文学会六月例会(第735回)(2021年6月5日(土)午後2時〜5時、Zoom)※要申し込み

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研究会情報です。

●公式サイトはこちら
http://kodaibungakukai.sakura.ne.jp/wp/kenkyuuhappyoukai/reikai
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※申し込みは上記サイトをご確認ください。


日 時:2021年6月5日(土)午後2時〜5時
場 所:Zoom(登録後、参加用URLを含むメールがZoomより送信されます)

発表者:奥田和広 氏
題 目:讃岐国守菅原道真の仁和四年仏名懺悔会

要 旨:
 菅原道真『菅家文草』巻四・二七九「懺悔会作」は、仁和四年(八八八)十二月に讃岐の国庁で催された仏名懺悔会に関連した作で、道真は国守としてこの法会を行う立場にあった。詩は、太政官符や仏名経(十六巻本)などの先行テクストの言説を取り込みながら詠まれている(二〇一八年三月例会報告)。詩中では、自身のことを「忠臣」「菩薩弟子」といい、讃岐は「辺地」で領民は「無暁悟」であるという。これらの自己認識と世界認識はどのような知・文脈によってもたらされているのだろうか。
 仁和四年は、都では阿衡事件・阿衡の紛議などと呼ばれる一連の騒動があり、それが一応の決着を見たのは十一月頃といわれ、中央から離れた讃岐の地の国守として赴任していた道真はこの件についてたびたび言及している(『菅家文草』巻四)。
 また、道真にとって讃岐は、一貫して「客」の地として詩に詠まれる。道真にとって讃岐は旅先の辺境であり、あくまでも「客」の地として詩に詠まれることが多い。
 これらの時空において、先行テクストである太政官符・律令や仏名経・仏教の文脈と向き合うことで、道真という詩の詠み手は、対象と自己をどのように構築しているか。讃岐と自己をどのように発見しているか。先行するテキストや阿衡事件を文脈として設定することで、当詩の詠み手が仁和四年に讃岐で仏名懺悔会と向き合うことについて考えたい。

司 会 :服部剣仁矢 氏