アルバイト日誌「「若者」という言葉への違和感」(2021.04.23、れい)

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 大学が始まって早半月も過ぎ、バタバタしながらも通常授業がスタートしました。私が通う大学では、対面授業とオンライン授業の併用を行っています。高学年なので、履修する授業は少ないのですが、それでも最初はこの授業は対面?オンライン?と戸惑うことがありました。まだ生活リズムが作れていませんが、これも慣れてくれば解決することなのでしょう。何より、いろいろな制約はありつつも対面授業ができることはとても嬉しいです。ゼミの友人と「また来週ね」と言葉を交わせることが幸せです。一方で、受講人数の多い授業は感染の不安を感じるため、オンラインで受けられることが安心感に繋がっています。対面、オンライン、ハイブリット授業、模索だらけの新年度ですが、これからの1年間がとても楽しみです。

 しかしながら、新型コロナウイルスの感染者は確実に増加しています。最近ニュースを見ると、「若者への周知」というテーマが組まれていることがあり、色々な意味で印象的でした。大学生の私たちは、まさに「若者」ど真ん中です。確かに、私たち若い世代が出歩くことで、感染者が増加しているのも一つ事実ですし、広い世代へ「周知」することは大切なことです。ただ、私の周辺を見ると、それぞれ考え方が違っていて、例えば、家が遠方のため電車通学が怖く、オンライン授業が良いという人もいれば、家のWi-Fi環境が良くないために大学に行きたい、という人もいます。感染対策をしながら、どこまでなら大丈夫かというのは、みんな線引きが違うのではないかと思うのです。そのため、どうしても私は「若者」と一括りにされるのには違和感があります。あくまで私が見た範囲ですが、感染への恐怖や行動の在り方について、世代よりも個人差の方が大きいのではないでしょうか。私自身、感染対策と自分の行動範囲のバランスをどのように取るか、迷うことがあります。私の考え方、行動も、時に誤っていることがあるはずです。ただ、私を含めて皆、何も考えていないということはないので、それだけはお伝えしたいと思います。

 事態は刻々と変化しています。また大学の授業も全面オンラインになってしまう可能性もあります。ただ、昨年度からの大学生活、失ったものばかりではないと思っています。失ったものを嘆くなら、自分が新たに得たことを活かしていきたいです。

 新年度の疲れも出てくるころです。適度に休みながら、一つずつ着実に進んでいきたいと思っています。