日本近代文学会東海支部2020年度シンポジウム・第67回研究会「高等学校国語科・新学習指導要領」をめぐるシンポジウム 「文学国語」を使い倒す―文学研究と国語教育との架橋を目指して―(2020年1月24日(日) 14:00~18:00、オンライン開催(Zoomウェビナーを使用)、要参加登録)

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研究会情報です。

●公式サイトはこちら
http://nihonkindaibungakukai-tokai.blog.jp/archives/8079989.html

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日本近代文学会東海支部2020年度シンポジウム・第67回研究会を
オンライン(Zoomウェビナー)にて下記のとおり開催いたします。
昨年度3月に予定しており、延期となった「高等学校国語科・新学習指導要領」をめぐるシンポジウムの開催でございます。
ご参加いただける場合は、お手数をおかけいたしますが、参加人数把握のため
以下のURLより参加登録をお願いいたします。
https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSeF6bUhiPypa_xjceMZvWEaFSVgcWMoSXid9SgnDH0N92kuBw/viewform
後日、zoomのURLや資料、質問の仕方などを記したメールを登録者の方にご送付申し上げます。

【日 時】2020年1月24日(日) 14:00~18:00
【開催形態】オンライン開催(Zoomウェビナーを使用)
【テーマ】 
「高等学校国語科・新学習指導要領」をめぐるシンポジウム
「文学国語」を使い倒す―文学研究と国語教育との架橋を目指して―

 「「文学国語」を使い倒す」は、本シンポジウムのパネリストでもある日比嘉高さんが「高校国語科の曲がり角」(『現代思想』2019年5月)で「このあと続くべき論考の道筋」のキー・ワードとされた言葉である。一昨年公示された標記指導要領(以下、「新指導要領」と記す)が呼び起こした多くの議論を追跡する中で、文学研究の営みと高校教育の現場とをつなぐ端的なスローガンとして、この言葉に最も強く心を惹かれた。例えば近年の日本近代文学会の大会で国語教育の特集が組まれたことはなく、双方がお互いの成果や問題意識を共有する機会は稀だったと言えよう。
 一方、昨年8月の日本近代文学会を含む16学会による新指導要領に対する「見解」では、教科書検定に、「「人文知」の軽視されることのない、柔軟な運用を行うことを強く求め」たが、その教科書検定がこの4月から開始される。その直前に当たる3月例会は、新指導要領をテーマとする拡大シンポジウムを開催して課題を共有・深化させ、将来への展望を開くには絶好のタイミングであろう。
とは言え、新指導要領をめぐる事態は刻々と変化している。英語の民間試験・国語の記述式問題導入の相次ぐ見送りに象徴されるように、強調されてきた「一体的な改革」の足並みが大きく乱れ、言わば新指導要領だけが取り残された格好になっているのだ。国語教育の危機について、いち早く著書を公にした紅野謙介さんの近著『国語教育 混迷する改革』(ちくま新書、2020年1月)のタイトルそのまま、私たちは「混迷する」状況のただ中に立っていると言えよう。それは裏返せば、新指導要領を現代社会を豊かに生きる上で必要な力を養うために活かす方法を、既定の枠組みに捕われずに創り出す自由を手にしていることでもある。
本シンポジウムでは、研究者として新指導要領について発言を続けてこられた方、そして国語教育の現場で新指導要領と直接向き合っておられる方、4名にパネリストを務めていただく。フロアとの質疑応答・討論も含めて、学界・教育界それぞれに閉じない、ラディカルで生産的な議論の場となることを期待したい。加えて、前身の東海近代文学会時代に比べて教育現場の方の参加が減っている支部例会を、より開かれた場とする契機にもなれば幸いである。

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 新型コロナウィルス流行のため延期されていた標記シンポジウムが、10か月ほど遅れて、ようやく開催される。そのコロナ関連のニュースなどに押されて、報道される機会は減ったが、問題は何ら解決していない。学術会議の任命拒否問題や医療従事者に対する対応を見ても、学問や現場を蔑ろにする空気は、むしろ強まっていると言えよう。それは文学研究と国語教育にとっても同様である。舞台を『日本文学』特集号に移した日本文学協会の大会テーマが「国語・文学教育のこれから―学びの場をつなぐ」であることにも、関心の高まりがうかがえよう。そんな状況において、本シンポジウムの意義はさらに高まったと考える。幸い、永井聖剛さんにも司会者として新たに加わっていただけた。上記の趣旨に加えて、新学習指導要領の下で使用される教科書の問題にも目配りしつつ、充実した議論が展開する開かれた場となることを切に願う。

【シンポジスト】
亀田篤(愛知県教育委員会) 平成30年告示高等学校学習指導要領の実施に向けて
岩田祐希(知立東高等学校) 文学教材を扱った授業実践ーー新学習指導要領に向けて
日比嘉高(名古屋大学)  「国語」における「資質・能力」とは何かーー「文学/国語」の検討からーー
五味渕典嗣(早稲田大学)  文学国語を使用/止揚する
【司会】永井聖剛(愛知淑徳大学)

【タイムスケジュール】
14:00‐14:15 開会挨拶・趣旨説明など(15分)
14:15‐14:45 発表①亀田篤(愛知県教育委員会)
        平成30年告示高等学校学習指導要領の実施に向けて
14:45-15:15 発表②岩田祐希(知立東高等学校)
         文学教材を扱った授業実践ーー新学習指導要領に向けて
15:15-15:25 休憩(10分)質問受付①
15:25-15:55 発表③日比嘉高(名古屋大学)
        「国語」における「資質・能力」とは何か
         ー「文学/国語」の検討からー
15:55-16:25 発表④五味渕典嗣(早稲田大学)
         文学国語を使用/止揚する
16:25-16:50 休憩(25分)質問受付②
16:50‐17:50 フロアとの質疑応答&ディスカッション
17:50‐18:00 閉会の挨拶

【発表要旨】

亀田篤「平成30年告示高等学校学習指導要領の実施に向けて」

「平成30年告示高等学校学習指導要領」の実施に向けた愛知県教育委員会としての取組を紹介するとともに、今回の学習指導要領の趣旨及び内容をお伝えします。
 今回の改訂では、学校教育がこれまでも育成を目指してきた「生きる力」を、「生きて働く『知識・技能』の習得」、「未知の状況にも対応できる『思考力・判断力・表現力等』の育成」、「『学びに向かう力・人間性等』の涵養」の三つの柱に整理しました。これにより、全ての教科等の目標が「知識及び技能」、「思考力、判断力、表現力等」、「学びに向かう力、人間性等」に再整理されたことが今回の改訂の大きな特徴と言えます。
 国語科については、育成を目指す資質・能力が「国語で的確に理解し効果的に表現する資質・能力」と規定され、「言葉による見方・考え方」を働かせる必要性が示されるとともに、科目構成が大きく見直されました。
今後、高等学校学習指導要領(国語科)を実施していく際の課題として、(1)「教材を教える」から「教材で教える」授業への転換、(2)「読むこと」「話すこと・聞くこと」「書くこと」のバランスの取れた力の育成、(3)主体的な言語活動を取り入れた生徒の学習意欲を高める授業の実践、の3点を提示したいと考えます。「言語文化の担い手の育成」という共通課題の実現に向けて、議論が深まることを期待しています。

岩田祐希「文学教材を扱った授業実践──新学習指導要領に向けて」

大学入試改革と一体となって行われたはずの今回の学習指導要領の改訂であるが、前者にブレーキがかかっているにもかかわらず、後者だけがアクセルを踏み続ける事態に、現場は混乱を極めている。国語については、既に多くの人が指摘している通り、文学軽視の傾向がはなはだしく、その裏には「実社会コンプレックス」が存在している。しかし、本当に文学は実社会に役に立たないのだろうか。役に立つのだとしたら、それはどのような場面だろうか。そこで、今回は、国語の目標の一つとして「多様な読みを可能にし、間違ったものを排除し、妥当な読みを選択する力を身に着けさせること」を掲げ、中原中也の詩「一つのメルヘン」における授業実践をもとに、新学習指導要領の中での文学作品の有効な活用の一端を示していくと同時に、文学が「生徒たちが生きている現実世界」を豊かにする可能性を考えていきたい。同時に、主体的に情報を読み解いていく力は、説明文やデータを扱うよりも、むしろ文学教材を扱った方が育つのではないか、という仮説を検証していく。

日比嘉高「「国語」における「資質・能力」とは何か──「文学/国語」の検討から──」

 新学習指導要領の高校国語科では、「国語科で育成を目指す資質・能力を「国語で的確に理解し効果的に表現する資質・能力」と規定する」とし、それを「知識及び技能」「思考力、判断力、表現力等」「学びに向かう力、人間性等」の3つに整理する。新学習指導要領は要素分解的であり、「国語科で育成を目指す資質・能力」を細かく分類し、各「力」を育成しようとし、その姿勢は「論理国語」「文学国語」という新しい「科目」さえ生み出した。もっともらしく細分化され整然と配置された「資質」や「能力」についての理解は、だが果たしてどこまで妥当なのだろうか。
 この報告では文学をめぐる最近の理論的展開を追いかけ、人の認知能力や、情動、身体をめぐる議論を参照する。その上で、言語の間主体性、虚構の役割、共感・想像の力などに着目しつつ、「国語」における「資質・能力」とは何かを問い直したい。


五味渕典嗣「文学国語を使用/止揚する」

 高等学校用学習指導要領と同「解説」が志向する「新しい国語科」をめぐっては、紅野謙介氏の著書『国語教育の危機 大学入学共通テストと新学習指導要領』(ちくま新書、2018年9月)を皮切りに、各種メディアやシンポジウム等で多くの批判的コメントが積み上げられてきた。「新しい国語科」の中身や依拠するイデオロギーに対する問題提起は今後も継続されるべきと思うが、一方では、新学習指導要領の本格実施を見すえて、議論のフェイズを更新していくことも必要だ。とりわけ、新設される選択科目「文学国語」を、実際の教室で「使える」ものとしてどのようにデザインしていくかは、学知としての日本近代文学研究それ自体が問われる事態だといってよい。

そこで本報告では、これまでの高校国語での蓄積を活かすかたちで、新科目「文学国語」では何ができるのか、わたしなりに検討してみたい。もとより、与えられた科目の枠組みを無批判に受容するわけではない。「論理」と「文学」とを切り分けていく思考と厳しく対峙しながら、「文学国語」を内側から開くようなプログラムをいかに作り上げていくか。当日参加してくださる方々といっしょに議論したいと考えている。

【お問い合わせ】
skaskagoto☆shikon.meiji.ac.jp(加島 正浩)
(☆を@にご変更ののち、ご連絡ください)