アルバイト日誌「無の世界にはない「言葉」」(2020.11.27、れい)

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 こんにちは、最近は目の前の課題に追われています...。もう11月も終わりだなんて。2020年は今までの中でも一番過ぎるのがあっという間だった気がします。

 さて、私の大学生活について、今までこのアルバイト日誌で書いてきましたが、今日は少し専門外のことについてお話ししようかな、と思います。他大学のカリキュラムはよく分かりませんが、私が通っている大学を含め、多くの大学で学部、学科の専門外についても学べる機会はあるはずです。実際私も、理系の物理学や天文学といった方面の授業を受けたことがあり、とても楽しかった覚えがあります。

 現在、大体宇宙の年齢は138億光年というふうに言われています。ビックバン(インフレーション)が起きてからとてつもない時間が経っていますが、人間の歴史は本当に浅く、138億光年から比べればほんの一瞬のできことです。皆さんも一度は宇宙カレンダーを見たことがあると思いますが、宇宙の誕生から現在を一年に換算すると、人類の誕生は12月31日の夜23時50分くらいなんですよね。幼いころそれを知った時、なんだかとても怖くなった思い出があります。私の背後には、私の今までの人生をはるかに超えた世界があるのと同時に、一年が終わった先の未来には何が待っているのか、自分の想像もしないことが宇宙で起きるのではないか...という不安。今改めて宇宙カレンダーを見ると、その時ほどの恐怖は持たないものの、(少なからず私たちから見て)言葉も何もない無の世界が長い間続いてきたのかと思うと、不思議な気分になります。

 言葉が人間にどのような作用をもたらしているのか、私には詳しく分かりませんが、中学校の国語の教科書に、言葉というものはそのモノの名前を表すだけではなく、現実の世界を概念の区別し切り分ける意味を持つ、というようなことが書かれていたことを覚えています。確かに、言葉がなければ私たちは目の前の物を認識できず、また感情を表す手段もありません。この宇宙の膨大なスケールを表すことができないのはもちろん、どんな事象も、時の流れも全てただそこに存在しているだけで意味を持つことはないのです。温かさも冷たさもない、ここにいる自分の存在をも知ることのできない無機質な世界。小さな頃の私は、この「無」の世界に漠然とした恐怖を抱いていたのだと気が付きました。けれども今、言葉で表現できることはつくづく幸せだなと思う一方で、常に私たちは言葉によって制限されているのではないかと感じる時があります。人間は芸術という表現の方法はあるものの、具体的事象について表現しようと思うと、やはり言葉しかありません。皆さんどこかで経験があると思いますが、どうしても上手く言葉に表せなかったり、言葉がこんがらがってがんじがらめになる時があります。意味を持たない無の世界であればこんなこともないはずです。

 だいぶ話が飛躍してしまいましたが、時々自分の受けた授業を思い出しながら、言葉で表しきれないこと、言葉の限界はあるかもしれないと悔しく感じることがあります。しかし、時に美しい言葉に感動し、ハッとさせられる時があります。そして語彙が増えて新しい世界を切り開く時、やっぱり私は言葉が好きなんだと、気が付きます。少しでも豊かに、色々な表現ができるように、たくさんの言葉を持つ人でありたいと思っています。