アルバイト日誌「「書く」ということ」(2020.9.11、れい)

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 この夏休み、新しく棚を買って自分の部屋の書類を整理しました。私は、中学校の頃の教科書やノートはすでにほとんど捨ててしまったのですが、自分が作った作品やレポート、作文や感想文は見返すかもしれないと取っておいたらしく、時を経て今回発見されました。

 私の通っていた中学校は、作者調べや新聞記事からの考察、国語の授業内での発表など、「書く」ことを大切にしています。中学校を卒業してから5年以上経っているので、記憶も曖昧になり、今の私は当時「書く」機会の多さにあまり積極的な気持ちで取り組んでいなかった気がしていました。宿題だから、提出しなければならないから、と。けれども今回見返してみて、その時々で自分の気持ちと向き合ったり、小説や詩を何度も読み返して考察を行ったりと、思ったよりも自分が一生懸命に取り組んでいたことを知りました。そして、想像していたよりきちんとした文章を書いていたんだなと少しだけ自分に感心しました。

 人は、自分の思いを書き留めておかないと、そのほとんどを忘れてしまうと思います。だからこそ、人は辛い経験をしても立ち直ることができるのですが、その時その時に体験したことや感情がどんどんと上書きされていって、いつしか忘れてしまうのはあまりにも寂しいことです。そして、同じものを見て、同じ経験をしても、その時々によって受け止め方は違うはずです。今回私は、中学生の頃の自分の文章を読み直してみることで、こんな風に考えていたのか、ということを再発見することができました。考えてみれば、1000年以上前から「日記」がつけられ、それを今の私たちは読んでいます。「書く」「記す」という行為は、文字を通してその人自身がその時にしか感じ得ないものを、誰もが読み、経験できるようにする、ということです。私自身、作文や感想文等「書く」ことに悩まされてきた一方で、「書く」ことで自分を助けてきた面も多いです。中学生の時にたくさん「書く」経験をできたことは、自分にとって本当に大きなことだと今になって実感します。

 私はアルバイト日誌を発信する側なので、読んでいる皆さんがどんな感想を持っているのか、正直分かりません。話題が少ないな(同じ人が書いていればどうしても内容が似る時もあるので)とか、これだったら私も書けるとか、色々お思いかと思いますが、書いた私自身は、今までのアルバイト日誌を見返すとまるで自分じゃないみたいと感じる一文もあったりします。

 「書く」ことは自分を知ることだと思います。きっと私は、これからもずっと書き続けています。