アルバイト日誌「日常にある非日常の世界に」(2020.4.24、れい)

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 こんにちは、れいです。皆さまいかがお過ごしでしょうか。

 そこまでアウトドア派ではない私でさえ、段々この生活が辛くなってきました。テレビをつければコロナのことばかりで、無性に緊張します。あまり現実に目を背けるのも良くないですが、心が深刻になりすぎても良くないので、最近は専ら録画かラジオにシフトしています。まだ家の中でできる趣味を持っていたことが救いです。一方私の友人は16日ぶりに太陽の光を浴びたと言っていて、驚愕しました。

 先日ジブリ映画「思い出のマーニー」が地上波で流れていたので観ました。もともとジブリ映画の世界観や描かれ方、色彩が素敵だなと感じていたのですが、「思い出のマーニー」も例外なく感動しました。この作品は主人公の杏奈という女の子が、本当は実の祖母である少女マーニーに出会うことで、心を開いていくお話ですが、日常にある非日常がきれいに描かれているように私は感じました。舞台は北海道の湿地をモデルにした、ごくありふれた田舎町です。杏奈には特別な事情があったとはいえ、夏休みに親戚の家に行くというのは日本人だったら多くの人が経験するものだと思います。けれども、そんな私たちとは変わらない舞台設定の先に、夢かうつつかマーニーが現れて、杏奈の心は大きく変化していきます。物語には色々な面白さがありますが、一つには起こりそうで起こり得ないことが物語内では実現するという点があるのかなと思います。もちろん全く現実と離れた空想の世界を考えることもありますが、例えば夜寝ようとしたらぬいぐるみが話しかけてきた、みたいな想像は皆どこかでしているはずです。日常と非日常のすれすれの所を行き来するこの感じに、私たちは惹かれるのではないでしょうか。

 読み継がれる物語作品は多くありますが、その中でも『源氏物語』は断トツだと思います。私たちは原文や現代語訳、更には『あさきゆめみし』といった漫画など、色々な媒体で『源氏物語』の世界を楽しむことができますが、やはり当時や百年後に読んだ人とは感想が変わってくると思います。というのも、『源氏物語』成立から時を近くして読んだ人々は、おそらく自分たちの日常と照らし合わせたり、文化や流行りなど、学ばなくても理解できるものが多くあっただろうと考えるからです。私たちは『源氏物語』が平安貴族の日常のように思ってしまうことがありますが、物語である以上虚構です。日常の中にある、臣下に下りながらも盛りを極めた光源氏を中心とした非日常があったからこそ、当時の人も楽しめたのだと思います。

 外に出られない今、物語や映画などしばし現実を忘れられるものがあるというのは、本当に素晴らしいことです。皆さまもぜひ、家にいる時間を楽しいものにしてくださいね。