岡崎市美術博物館:本多家シンポジウム「徳川四天王本多家と家臣たち―忠節を守るを侍と申す也―」(令和2年2月16日(日)、岡崎信用金庫本店2階大ホール)

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研究会情報です。

●公式サイトはこちら
https://www.city.okazaki.lg.jp/museum/event/p025351.html

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開催概要
日時:令和2年2月16日(日) 午後1時~5時(午後0時30分開場)
会場:岡崎信用金庫本店2階大ホール
   会場に駐車場はございません。公共交通機関のご利用にご協力ください。
定員:200名(事前申込み不要、当日先着順)

基調講演
小宮山敏和氏(国立公文書館)
「徳川四天王と家臣たち」

報告
水野伍貴氏(株式会社歴史と文化の研究所)
「関ヶ原合戦における本多家」
石神教親氏(桑名市役所ブランド推進課)
「桑名時代の本多家」
湯谷翔悟(岡崎市美術博物館)
「本多家の家臣団」

パネルディスカッション 
司会:堀江登志実(岡崎市美術博物館)

 明和6年(1769)、本多家が岡崎藩主として就任しました。それから250年の節目を記念して、本多家の歴史と事跡を辿るシンポジウムを開催します。
 岡崎藩主本多家の祖である本多忠勝は、生涯57回の戦で一つの傷も負わず、「家康に過ぎたるもの」と称されました。徳川四天王の一人にも数えられる忠勝の武功の裏には、彼を支えた家臣たちの活躍があったことは間違いないでしょう。当初はわずかな家臣しか抱えていなかった忠勝ですが、家康から附属された「御附人」を筆頭として、徐々に家臣団を拡大していきます。もとは家康の家臣という特別な由緒をもつ「御附人」を中心とした本多家の家臣団編成は、徳川四天王としての忠勝を支え、その後の藩政にも影響を与えていきました。
 本シンポジウムでは、同じ徳川四天王に挙げられる榊原・井伊氏の事例を踏まえつつ、忠勝からはじまる本多家について家臣団にスポットを当てて考えていきます。