東アジア恠異学会・第125回定例研究会(2019年11月17日(日)13時~、関西学院大学梅田キャンパス中教室)
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http://www.kaiigakkai.jp
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第125回定例研究会】
日時:2019年11月17日(日)13時~
場所:関西学院大学梅田キャンパス中教室1003(10F)
https://www.kwansei.ac.jp/kg_hub/
内容:
〇「平田国学における幽界交渉実在論の系譜」
三ツ松誠氏(佐賀大学)
【要旨】
地上を顕幽に分かち、前者を天皇が治める人間の世界、後者をオオクニヌシが治める神々の世界と位置付けた平田篤胤は、幽界の実在、幽界との交渉の実現可能性を証明するための様々な作品を残している。なかでも「天狗小僧」寅吉からの聞き取りは有名であろう。
折口信夫の議論を出発点にして、こうした篤胤の営為を民俗学の先駆であるかのように評価する傾向は、大きな流れになった。研究者から怪異に関心を持つ読書人に至るまで、寅吉に対する関心は今なお衰えることが無い。
他方、篤胤の影響を受けた復古神道家や、その流れをくむ神道系新宗教においても、幽界交渉の実在が追究されるなかで、寅吉を語る動きが確認できる。
本報告では、かかる平田国学的幽界交渉実在論が篤胤以後いかに展開していくのかを改めて
整理した上で、近年の寅吉ブームに対して一石を投じたい。
〇「流転する明智光秀の首塚」
村上紀夫氏(奈良大学)
【要旨】
京都市東山区梅宮町にある明智光秀の首塚は、もともと粟田口に築かれていたものである。
本報告では、この明智光秀首塚を対象として、近世から近代において首塚を中心的に祀った人に着目しながら、その言説の歴史的変遷と各時代における信仰の担い手の意図を解明したい。
こうした「塚」に対して論じる上で柳田国男の存在は無視できない。柳田は、境界に塚が築かれていたことを主張し、「首塚」についても、実際の合戦や史上の人物を結びつける言説には慎重で、その場所の聖性や信仰のあり方に注目した。一方で歴史学では、多くの首塚が文献
で確認することができないため、研究の俎上にのせられることはなかった。
2015年、首塚を対象とした室井康成の単著が上梓された。厖大な事例から「人々の戦死者に対する思い」を抽出し、近親者によって故郷に運ばれることを理想とされてたことなどを明らかにした点は大きな成果である。しかし、一般化したことで、いつ・誰が何のために霊
的処遇をしたかを個々の事例について問うことへの関心は希薄となった。
こうした「首塚」が一種の史蹟、あるいは由緒として機能している事例もあることを考慮すれば、具体的な事例に即して、いつ・誰によって・どのように祀られたかというプロセスを地域社会のコンテクストなかで歴史的に解明することも重要だろう。
明智光秀の首塚を取りあげるのは二つの理由がある。一つは明智光秀の首塚が、粟田口に築かれていたことが同時代史料から明らかな点である。首塚とされるモノの始原が史料的に明らかにされることは少ないが、明智光秀の首塚については、その成立が確認できる希有な
例である。二つめに、明智光秀の首塚が数度にわたって移動したことである。これは、柳田のいう塚の場所性を重視する議論からすれば、奇妙な現象である。首を埋葬した場所から
「塚」が移動したにもかかわらず、信仰されているとすれば、首塚への信仰とは何に対するものなのか。柳田以来の塚の場所性という議論を相対化し、首塚信仰について迫りうる可能性があろう。
なお、2019年の研究会は11月例会が最後となり、次回は2020年1月26日(日)に、東京での
開催を予定しております。こちらもよろしくお願いいたします。
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