古代文学会 9月例会(第717回)(2019年9月7日(土) 午後2時より5時まで、共立女子大学 神田一ツ橋キャンパス 本館 823教室)

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研究会情報です。


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日時 2019年9月7日(土) 午後2時より5時まで

場所 共立女子大学 神田一ツ橋キャンパス 本館 823教室

東京都千代田区一ツ橋2-2-1

東京メトロ「神保町」駅下車 A8出口から徒歩1分

https://www.kyoritsu-wu.ac.jp/access/

発表 生駒桃子 氏

題目 流されるウガヤフキアヘズ

要旨

鵜葺草葺不合命は、アメノオシホミミ以降神武まで続く穀物に関する名を持たない点から極めて異質の存在であるとされてきた。「産屋が未完成のまま生まれる」という説話内容に即した神名について、谷口雅博は「初代天皇たるには未だ不完全な存在であることを示している」と述べる。

一方、『日本書紀』神代下第十段正文において鵜葺草葺不合命は、母トヨタマビメに「草を以ちて児を裹み海辺に棄て」られる存在として描かれる。ここで「棄て」られたと記されるのはなぜか。

ここには、完全な存在を語るためには「不完全な存在」を語らねばならないという神話的な語りの構造があると考える。即ち、神武という完全な存在を語るために、鵜葺草葺不合命という未熟で境界的な存在は語られねばならないということだ。こうした語りの構造は、記上巻冒頭で大八島国生成の前に生まれ、葦船で流されたヒルコにも通じる。ヒルコもまた神代紀第五段正文、一書第二において「棄て」られたと記される。また中国少数民族サニ族などの、始祖兄妹が最初に産み落とした肉塊を切り刻むことによってさまざまな民族の始祖が生まれたというような出産神話にも当てはまるだろう。

こうした神話的な語り口に則りつつも、神武に連なる皇統の正統性を保証する存在として鵜葺草葺不合命は語られねばならない。そこにヒルコのように流されず、姨である玉依毘売と子を成す鵜葺草葺不合命の姿があると考える。

司会 岡部隆志 氏