近代文学合同研究会 シンポジウム「反響する〈獄中〉――副田賢二『〈獄中〉の文学史 夢想する近代日本文学』への応答」(2019年3月28日 13:30-18:00、慶應義塾大学 三田キャンパス 南校舎433教室)

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研究会情報です。

●公式サイトはこちら
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日程 2019年3月28日 13:30-18:00
会場 慶應義塾大学 三田キャンパス 南校舎433教室
※キャンパスマップ内の【6】南校舎です。似た名前の棟がありますので御注意下さい。
https://www.keio.ac.jp/ja/maps/mita.html

【開催趣旨
 近代日本において文学は、自らを根拠づけ特権化するための空間を求めた。その一つが〈獄中〉である――副田賢二『〈獄中〉の文学史 夢想する近代日本文学』(笠間書院, 2016年5月刊)は明治初期から1930年代後半のいわゆる〈文芸復興〉期までを中心に、文学に描かれた〈獄中〉、獄中記や報道、娯楽記事、広告までを含めた雑多な〈獄中〉表象を渉猟し、現在に至るまでその想像力のあり方が反復されていることを指摘した。副田によれば、日本近代文学が描いた〈獄中〉には、体制の暴力をダイレクトに告発する声だけではなく、「甘美なまでの自己の感覚性の氾濫、自意識の無制限の拡張、自己超越の夢想、そこでの「書くこと」への快楽」という錯綜するノイズが反響している。
 同時に、「○○の文学史」という収まりのよいフォーマットを連想させる書名とは裏腹に、同書からはルーチン的な研究制度の硬直を厳しく批判する副田の声もまた聴き取ることができる。では、日本近代文学を論じることにとって、〈獄中〉とは何であったのか、何でありうるのか。4名の登壇者を招き、 副田賢二『〈獄中〉の文学史 夢想する近代日本文学』 の問題提起に応答する。】

司会 服部徹也・小澤純
趣旨説明(服部)

コメンテーター
小長井涼 プロレタリア短歌としての獄中短歌
金ヨンロン 法と文学の観点から――中野重治の〈獄中〉
荒木優太 葉山嘉樹はなぜ特異か?
内藤千珠子 共鳴と獄死----金子文子が生きる脱物語化のフレーム

ディスカッション 副田賢二

【副田賢二著『〈獄中〉の文学史:夢想する近代日本文学』(笠間書院, 2016年5月刊)
 近代以降、監獄とは、収監された人間の「意識と身体」が、制度側の意向に沿って管理されるという政治的な暴力性を含有する空間であった。本書には、この監獄をめぐる小説やルポルタージュ、手記、手紙といった多種多様な〈獄中〉言説と、そこにあらわれる主体像や空間のイメージとしての〈獄中〉表象が、明治から平成にいたるまで通時的に取り上げられている。
 第一章では、明治期に、新聞メディアにおける柳北や鉄腸の入獄記や入獄報道といった、読者の好奇心をそそるゴシップとして〈獄中〉言説が浮上し、同時に政治小説や翻訳小説が死や病のイメージをもつ「暗黒」のトポスとしての〈獄中〉表象を生み出したことを明らかにする。
 第二章・三章では、大正期の〈獄中〉言説がこの二つの面を引き継ぎながら、大逆事件の影響と雑誌メディアでの社会主義者たちの活動により、「書くこと」と「自己変容」の場として新たな意味性を獲得してゆくことが論じられる。特に大杉栄の『獄中記』を契機に、監獄は高次の自己を再構築し得る特別な場所とされ、そこで書かれる言葉も特権的なものとして認識されるようになるという。このことは、現実から疎外された場に存在し、自己の内面を探求し描出することを目的としてきた近代日本文学の営みと呼応するものであるとする。
 第四章から第五章では、大正末期から昭和期において、〈獄中〉言説および表象が、文学を生成するイデオロギーとより強く結びついてゆく様子が述べられる。特に、自己の収監経験に基づく林房雄の著作が、亀井勝一郎をはじめ同時代の文学者に非常に高く評価されたことが特に象徴的な例として挙げられている。収監者の精神と身体を監視し管理する監獄の暴力性が、普遍的な文学を生み出すための「肯定性と特権性」として反転されて認識されていった過程を論じている。第六章では、現代における大正期以降の自己超越・自己変革としての〈獄中〉表象の再生産と大衆化についての言及がなされている。
 多様な〈獄中〉言説・表象のもつダイナミックな「想像力」が、近代文学のイデオロギーや営為とどのように相関したのか。その歴史的意義を問い、日本近代文学における〈獄中〉言説の重要性を明らかにしたのが本書である。(村山麗)】