西鶴研究会(四十八回)(2019年3月27日(水) 午後2時より6時まで、清泉女子大学1号館3階132教室、要申し込み)

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研究会情報です。


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※出欠については、染谷智幸氏まで、要問い合わせ。

日時    3月27日(水) 午後2時より6時まで
場所    清泉女子大学  1号館3階 132教室
(今回は本館の大会議室ではありません。キャンパスへの道順、並びにキャンパス内の地図はファイルを添付しました)

内容    研究発表、合評並びに質疑応答・討議

発表題目および要旨

◆追悼作品としての『独吟一日千句』と『好色一代男』: 序説
クリス ドレイク(ハーバード大学大学院PhD)

 西鶴の俳諧『独吟一日千句』(1675)と浮世草子の『好色一代男』(1682)はいろいろな面で違う作品ですが、両方とも「追悼」というテーマを抱えている可能性があると仮定して発表します。
『独吟一日千句』は,西鶴の最愛の妻が亡くなった延宝三年四月三日のすぐあとの四月八日に一日の内に一人の執筆とともに詠まれた作品ですが、その八日という日は初七日であったかもしれない。あるいは 釈迦牟尼の誕生日で花祭りだから八日を選んだ可能性もある。又、別に九日に初七日の法要があった可能性もある。いずれにしても、作品全体があきらかに西鶴の亡き妻の魂へ捧げる作品だといっても過言ではあるまい。もちろん西鶴の脳裏には文学的計画も俳壇意識もあったろうが、それよりも、やはり予測できなかった若い妻の死亡によるショックと、激しい悲しみと妻の魂の行く末に対する不安が、追善一日千句を作る動機の主な部分ではないかと思われる。この千句から何句かをとりあげて解釈してみます。
 その反面、『好色一代男』には亡き妻の追悼や追善の表現は一つもないし、アイロニー、大笑い、ブラック・ユ-モア、背信的行為やエロチックな場面などが溢れている。けれども、神あるいは悪魔は細部にあるとよくいわれるように、『好色一代男』の目立たないあちらこちらをよく注意して見ると、追悼の作意の痕跡がある可能性がかなりあると思われる。もしかしたら西鶴は亡き妻を長く深く悼んで七回忌のつぎの年(天和二年)に浮世草子の形で『独吟一日千句』よりも大きな追悼作品を世に著したのではないかと思われる。証拠を追跡するために以下のところを取り上げる。
1 世之介=西鶴説がむかしからあるが、それはある程度あたっている説だがあくまでも間接的な相互関係だ。例えば4:7(火雷鳴の雲がくれ)には世之介が三十四歳になって、世之介=西鶴説では西鶴も三十四歳になっている。いうまでもなく、三十四歳の西鶴は男やもめになってしまった。このように、数ヶ所をとりあげて、西鶴の亡き妻の痕跡があるかないかを見てみる。
2 世之介のアイデンティティをすこしはっきりさせる。世之介は単数か複数かなど。
3 なぜ二重身(doubles)やドッペルゲンガーのような登場人物が時々出てくるだろうか。具体例をとりあげます。
4 西鶴の『好色一代男』における数字の使い方はなにを語るか。
5 西鶴の挿絵には時々不思議なイメージが出てくる。又挿絵とテキストとは時々ちょっと食い違っているのは傾向があるか。
6 巻六の世之介の年齢重複問題をとりあげて、追悼作意と関係がありうるという仮設をたてる。ほかの「矛盾」もちょっと見る。しかし、これらのいわゆる矛盾の文学的効果はもしかしたら西鶴流の「匂い付け」に当たるかも知れない。これは芭蕉さまのご意見を乞いたいところです。
7 全体として『好色一代男』の準俳文的かつ引用的な文体では、セリフや作家の説明や語り口とは別に、いわば言外伝達のような微妙なイメージの配置、配列が非常にデリケートにおこなわれている。ある沈黙とか雰囲気とかの中にはっきりした描写のむこうにある何かが読者に伝わってくると思う。短時間で仮設の一部しか紹介できないが、今後全部を文章化して、豊富な用例を加えてもっと丁寧な仮説を出したいと思っているところです。
 

◆ 合評 井上・木越・浜田編『武家義理物語』(三弥井書店、2018年6月刊)
井上泰至(防衛大学校)
木越俊介(国文学研究資料館)
浜田泰彦(佛教大学)

今回は我々が校注の『武家義理物語』の合評会の機会を頂き御礼申し上げます。
武家物再評価の一点で集約、あとは三者三様のアプローチをしております。御意見・御批正を頂く前に、3人からそれぞれ簡単に「意図」や「使用例」をコメントさせて頂きます。

(井上)
今日の武家物への評価の低さは暉峻康隆あたりからだが、終戦直後の彼らの視野には、戦前・戦中に武家物を傾向的に取り上げた藤村作の存在が大きかったはずである。藤村の立場を確認することから、戦後の武家物へのバイアスを浮き彫りにし、そこから今後の武家物再評価の視点(武家物の読者、男色等)を提示したい。主に巻2の4、4の3を取り上げる予定。

(木越)
当該テキストの担当分のうち、とりわけ、①2-3「松風ばかりや残るらん脇差」の末尾をどう読むべきか、②5-1「大工が拾ふ曙のかね」について、翌年刊行の『本朝桜陰比事』を視野に入れながら私案を示したが、解釈も含めどの程度妥当か、などを中心にご批正をいただきたい。

(浜田)
当該テキストを用いた授業を行った結果報告を簡略に述べる。特に受講生に人気のあった章段とその理由、レポート課題等の回答を紹介する。


◆ 西鶴研究会 第50回記念事業について
染谷智幸・有働裕

 前回の西鶴研究会にて、お知らせしたように、西鶴研究会は第50回を持ちまして一応の区切りをつけたいと考えております。
と同時に、これも前回お話し申し上げたように、50回目を記念するかたちで、幾つかの企画・事業を考えております。その内容について提案をさせていただき、皆さまのご意見をうかがいたいと存じます。