横光利一文学会第18回研究集会(2018年 9月 1日(土) 13:30、大信地域市民交流センター二階集会室)

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研究会情報です。

●公式サイトはこちら
http://yokomitsu.jpn.org/program.php

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2018年 9月 1日(土) 13:30
大信地域市民交流センター二階集会室
共催 白河市・白河市教育委員会・中山義秀顕彰会

◇歓迎のあいさつ
白河市長(中山義秀顕彰会会長)  鈴木和夫

◇研究発表
和泉司 中山義秀と横光利一と〈文学賞〉
【本報告は、中山義秀と横光利一との間にあった〈文学賞〉が、どのような存在であったかついて考えるものである。
 中山義秀と横光利一は早稲田大学の同窓で友人であったが、横光が若くして作家として知名度を上げていく一方、中山の雌伏の時代は続き、その名が広く知れ渡ったのは「厚物咲」によって一九三八(昭和一三)年に第七回芥川龍之介賞を受賞してからであった。周知の通り、このとき友人の横光はすでに芥川賞の選考委員になっており、『文藝春秋』一九三八年九月号掲載の選評で、「厚物咲」を高く評価している。このとき、中山は横光に「芥川賞など、いらない」と言い、横光からは「我々の苦労を知らぬのか」と叱られたという(中山「台上の月」)。選考委員の横光が中山を強く推したことがうかがわれるものである。
 さらに、中山と横光の間には、もう一つ別の〈文学賞〉も存在している。戦後、戦争協力によって批判を浴びる中で横光は死去したが、その後『横光利一全集』の出版権を獲得した改造社は、一九四九年に芥川賞と非常によく似た「横光利一賞」を制定した。その選考委員に中山が選ばれたのである。それは、中山が「選ばれる側」から「選ぶ側」の作家となったことを表していた。この後、中山は一九五八(昭和三三)年から直木賞選考委員にもなる。横光利一と〈文学賞〉とが、中山義秀の〈文壇〉的な飛躍において、大きな役割を果たしているのではないか―このような観点から報告したい。 】

◇報告
中山義秀顕彰会事務局長 佐川庄司 中山義秀顕彰会について
中山義秀顕彰会副会長 大須賀一朗 中山義秀とその家族について

◇朗読
蔀英治氏 中山義秀「貧民たちの汽車遊び」「優れた調馬師」/横光利一「蠅」
 蔀英治氏プロフィール
 1955年白河市生まれ。白河高校、慶應義塾大学を卒業後、劇団シェイクスピア・シアターにて約12年間活動。退団後、内外の文芸作品の朗読、朗読劇の演出、上演を始める。主な朗読作家(作品):ディケンズ(クリスマス・キャロル)、ヴォリュフェルト(たんぽぽ)、トルストイ(復活、幼年時代)、宮沢賢治(セロ弾きのゴーシュ)、牧野信一(ゼーロン)、中原中也

◇トークセッション 横光利一と中山義秀――『台上の月』をこえて
講演 佐藤健一 文壇作家中山義秀の修業時代――横光、谷崎、荷風、茂吉など
トーク 和泉司 佐藤健一 蔀英治 司会 松村良

◇閉会の辞
横光利一文学会代表  柳沢孝子

大会終了後、午後六時より大信地域市民交流センター1階四季彩キッチンDenで懇親会を行います。

2日(日)は文学散歩として中山義秀記念文学館をはじめとして、中山義秀ゆかりの地や白河市中心地区の史跡をバスで回ります。