三重大学附属図書館 所蔵資料展示「津阪東陽の文事」【展示の企画・制作、吉丸雄哉氏】(2018年6月14日(木)~8月10日(金) 、三重大学附属図書館1階 玄関ホール)

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展示会情報です。

●公式サイトはこちら
http://www.mie-u.ac.jp/topics/events/2018/06/post-310.html

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2018年6月14日-8月10日
目録PDFはこちら。
http://www.mie-u.ac.jp/topics/events/item/20180614_tenji180613.pdf

【三重大学附属図書館は館蔵貴重資料のうち津藩藩校有造館の督学(校長) であった津阪東陽に関する書籍を10点選び、所蔵資料展示「津阪東陽の文事」 として公開することにいたしました。
先行きの暗い現代の日本を江戸末期にたとえる言説をときおり目にしま すが、たしかに似た状況であるようです。1806 年に津藩十代藩主藤堂高兌(た かさわ)が久居藩主から津藩主になったときに津藩は借金 86 万両(8600 億円) で、さらに年に 2 万両(20 億円ずつ)の赤字の状態だったと聞きます。高兌 は英明な藩主で質素倹約を率先して行い歳出を切り詰め、その一方で灌漑用水 を整備し産業の育成にも積極的でした。高兌は 1825 年に亡くなりますが、津 藩の財政再建に成功したそうで、名君だったといえるでしょう。
三重大学の遠い前身ともいえる藩校有造館も高兌の時代の 1820 年に開設 されました。伊賀に残る分校崇広堂も翌 1821 年に開設されています。藩校の 企画を命じられ、初代の督学になったのが津阪東陽でした。津阪東陽は 63 歳 で督学になってから 68 歳で致仕し、翌年に没しますが、その後も有造館は石 川之褧や斎藤拙堂などを督学にむかえ、優秀な人材を輩出し続けます。
東陽は艱難辛苦、紆余曲折の前半生を送り、成功までの道のりが長かった 人物です。尖った人物で敵も多かったためとは聞きますが、その一方で今回の 展示の書籍をみると、入門的な書物も多く、また理解させるためにさまざまな 工夫を凝らしており、気の細やかな人物だったようにも思えます。津阪東陽の 著述としてはほんの一部になりますが、優れた教育者・文筆家であった津阪東 陽の魅力を書籍から感じとってもらえればと思います。】