AAS2018見聞録―国文学とJapanese literatureの間―○梅田 径

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しばらく実験的に、各学会大会等で開催されたシンポジウムのレポートを掲載していきます。
ここに掲載されたテキストは、2018年秋から刊行する雑誌『文学通信』に再掲載いたします。

※改行等はweb用に適宜改変しています。ご了承下さい。

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AAS2018見聞録
―国文学とJapanese literatureの間―


梅田 径

AAS
http://www.asian-studies.org
AAS Conference Archives
http://www.asian-studies.org/Conferences/AAS-Annual-Conference/Conference-Menu/-Home/Past-Conferences
AAS 2018 Print Program (PDF)
http://www.asian-studies.org/Portals/55/Conference/2018%20AAS%20Conference%20Program%20-inserts.pdf?ver=2018-02-07-090040-103

 二〇一八年三月二十一日。トランジット込み十七時間のフライトを終え、夜十時半のワシントンD.C.の地下鉄、イエローラインの電車を降りた僕は途方に暮れていた。

 リュックがない。

 コンクリート打ちの瀟洒な地下鉄の固めのシートで、うたた寝から目覚めると、三つ持ってきた鞄の一つが無くなっていた。タブレットパソコンと愛用のペンケースと愛用のカメラケースとメガネを失った。夜十二時を回ろうとしていた。とにかくホテルに向かった。ツインベッドの部屋であった。道理でやたら高いと思った。滂沱の涙を流しつつ、泥のように眠った。翌日からは五日間にわたる長い長いカンファレンスが始まるのだから。

 「AAS」とは、「Association for Asian Studies」という北米で最大のアジア研究の学会である。一年に一度、世界中からアジア地域の研究者たちが訪れる例会を開いている。五日間の間に日本(東)からインド(西)、中国北端からインドネシアまでのあらゆるアジア地域における、あらゆる研究領域のパネルが五百近く開かれる。さらに多数のラウンドテーブル、キーノート、映像上映、多数の関連学会も併催されるお祭りである。発表者は千三百人以上、来場者の総数は三千人を越える。近年ではアジア地域でも学会を開いている。

 かくいう僕もその発表者の一人。パネルの主催者であるハワイ大学マノア校のゴーシャさんに誘われ、パネリストの一人として参加することになった。AASでは企画者がパネル企画をメンバーのアブストラクトと共に提出し、厳格極まる審査を受けることになる。それに合格するとAASで発表する権利が与えられる。そこから、各種会計(登録料や会費、入会金など。AAS会員でない場合には三万円ほど見積もっておこう)を済ませれば、パネル発表ができる。

 一パネルにつき、一時間三十分を与えられる。その時間の使い方は各パネルに委ねられる。一応基本的なパッケージとしては、チェア(主席)、パネラー(発表者)とディスカッサント(コメンテーター)が立つ形式が多いようだ。発表は二十五分ずつで三人程度。ディスカッサントは五分から十五分ほどの問題提起を行い、四十分ほどが質疑応答に費やされる。総じて、日本の学会に比べて質疑の時間を長く取る傾向が強い。他にも、ディスカッサントのみ六名でラウンドテーブルスタイルを取るとか、映像上映を組み合わせるケースもあり、各パネルの企画力が試される。

 パネル採択の審査は、パネル全体のアブストラクトによるところが大きい。どれだけ人文知に奉仕する普遍的なテーマを取り上げているか、先鋭的な議論が展開されるか、パネル全体のバランスがとれているかどうか、いろいろな基準がある。これらの基準を満たす適切な要旨を書くためには高度な人文学の知識と感性が必要となる。ゴーシャさんが提出したキーワードは「流動性」だった。ただ単に特定の作品を取り上げるとか、ある既存の概念を再検討するといったパネルはまず見ることがない。丸谷才一的に言えば「ちょっと気取って」タイトルを付け、複数の発表を意義あるパネルに構築しなければならず、それには現代的な人文学の諸動向に精通している必要がある。

 AASでは原則英語で発表・質疑をすることになっているが、今回はディスカッサントであったクリスティーナ・ラフィン先生の提案で、僕の場合は日本語での発表で構わないことになった。パネルを聞きに来るのはほぼ専門家に限られるし、苦手な言語で無理に話す必要はないとのことであった。ただ、日本語の配布資料とPPTは英語版を用意することにした。配布物はないのが普通である。英訳をしてくださったロバート・ヒューイ先生は大変な苦労だったと思う。もうハワイに足を向けて眠ることはできなさそうだ。

 AASは、多数の会議室をもつホテルの会議スペースを借り切って行われる。同時並行で二十あまりのパネルが開かれ、他にも様々なイベントが開かれているので、どのパネルを見にいくのかは、事前に決めておかなければならない。しかも、なぜか毎年近い地域・時代のパネルがほぼ同じ時間に配されるので、興味があるパネルを全部見ることは絶対にできない。今回、日本の前近代は三日目の午前中に集中していた。

 時間割を決める際に極めて便利なのが、スマートフォンアプリだ。AASでは年度毎にパネルのアブストラクトと開催場所・時間を整理したアプリを配布しており、地域や時代でソートをかけることもできる。会場も地図で表示されるため、便利である。

 午前七時三十分から始まるカンファレンスも、夜になるとホテルラウンジやバーで、レセプションやら個人的な飲み会などがたくさん開かれる。AASは顔見知りの同窓会といった色合いも強く、久しぶりに会う人々との交流や、議論を提示してくれた質問者と接することもできる。公的なレセプションとしてはAASが主宰するものの他、各国の研究機関や大学が提供するレセプションもある。自由に出入り可能だ。

 さて、肝心の僕らの発表「Manuscripts and Transmission of Knowledge: Textual Instability in Premodern Japan and the Ryukyu Kingdom(PANEL 266)」は無事に終えることが出来た。すべてはチェアのロバート・ヒューイ先生の差配とラフィン先生の優れた問題提起、ゴーシャさんの巧みな質疑応答によるものである。わたくしは盆暗な日本語でのたのた質問を返すので精一杯である。質疑に参加してくれた先生方に改めて深く御礼申上げたい。嬉しかったのは英語で質問をしてくださったことで、恐らく「半分日本語、半分英語」という形の発表はうまくいくかもしれないという手応えをもった。この形式は中庸的で好まれないかもしれないが、もっと積極的に行われてもよいのではないか。

 僕が発表資料を作るときに、注意されたことと、気を付けたことがある。僕は「索引」というジャンルの書物を調査して『類標』(ゆまに書房より影印が刊行中)という叢書を扱ったのだが(発表タイトルは「From "Reading" to "Searching": Changes in Information Processing and Indexing in the Late Edo Period」)、実証的で緻密な資料報告をすることは控え、次の4点をポイントとした。

 1 研究対象の研究する価値を明確に述べる。 
 2 この資料が文化的な位置を示すのかを論点とする。
 3 一次資料の解説に時間を取らない。
 4 画像資料を多めに使う。

 いかにも盆暗な方針であるが、こうした指針を立てたのは、パネル発表が決まった初期に、メンバーからいろいろなアドバイスをいただいたからである。僕は、索引という資料群から見る当時の文化的な転換がどのようにして起こったのか(中世から近世への変容)、それが書物観をどのように変えたのか(人々の古典観の変化)を論点の中心に据えることにした。こうした抽象度の高い論点の設定は日本人研究者の多くが特に不得手なようで、そこをうまく処理できたのが無事に終えることが出来た秘訣......なのだと思う。

 いろいろな発表を半端な英語力で聞いた感想に過ぎないが、AASの傾向として「ある事象や書物の性質を正確に伝える」ことよりも「ある現象が何を指し示すのかを考える」素材を提示するといった傾向が強い。地域や時代によって作法は大きく異なるが、普遍性・汎用性のある、優れた問題提起をできるかが大きなポイントになる。自身の研究に直接関わらないような素材でも、関心をもって接することができるように問題を設定することは本当に難しいが、まずそれが求められる。二十五分の発表では、一次資料や真偽にまつわる情報をその場ではすぐに確認できない点に、個人的には不安があったが、細かい点は論文にしたときに記すということなのだろう。その両方のバランスを取ろうとする必要はない。もしあなたが北米での発表を控えているならば、こうした北米流のやり方をかっちりと踏み、大きな問題に切り込んでいくことにしてほしい。

 僕の発表が終わった後、飲み会の場やメールで「日本の国文学」と「海外のJapanese literature」を埋める研究をしてほしいという話をされた。されたけれども、僕にその能力はなかった。また、正直に言えば、この二つの間は多くの研究者が思うよりも、遙かに大きな溝、あるいは崖を挟んだ違う二つの道であるように感じた。それは研究者に対する評価軸や研究手法の違いといったことだけではなく、その二つの目的はあまりにも違うし、その成立の基盤もまったく異なる。昨今の国際化圧力への反発もあるのか、もはやお互いに交流をしないほうがよい、という風向きすら感じることがあった。

 この崖にあるのは知識や技能の違いやネイティブ・スピーカーか否かといった問題以上に、「人文学」に対する意識の違いがある。現状でこの溝を埋めるのは単なる日本文学研究の英訳輸出といったことでは絶対になさそうだ。日本の研究が、新しい「人文学的な問い」と成果を次々に生み出し、世界中のあらゆる領域へ波及するような思想の震源地になっていけば、それは変わるかもしれない。だが、これは僕の勝手な思い込みにすぎず、世界的な新しい仕事に取り組んでいる諸先生方もいると存じた上で言えば――当分はそうならないだろうという感が強くある。そうしたステージにあがるための「基礎」すら日本のそれと北米のそれは大きく違うからだ。恥をしのんで一つ個人的な経験をかたると、あるときに「重要な書物」という間抜けな一文を書いたことを非常に強く叱責されたことがある。重要さを訴えることはそれはそれは重要であるが、しかし「重要」というフレーズを使うことは間抜けで事物の価値を決める権利を自身が握っているに違いないと思い込んでいる中心主義的な愚か者の思い上がりだということだ。用語選択の背景にある相対主義的な思想を僕はちゃんと内面化できていなかったのだ。

 こうした「違い」について、これ以上具体的に記す紙幅はないのだが、それを知るための手っ取り早い手段はある。それは連日開かれる飲み会(ホテルのラウンジが多い)でいろいろな話を聞くことだ。シエラネヴァダのビールを飲みながら、もし研究における国際交流が行われるならば、それはただ単に「同じテーブルを囲んでいる」ことを指しはしないのだ、と何度も言われた。そして、それでもとにかくテーブルにいないと話にならない。テーブルについて虚心坦懐に話を聞いているうちに、いまは遠くにある「Japanese literature」のことも一つずつ理解していけるだろう。

 といった蕪雑極まるアドバイスで本稿を終えることを許していただきたい。クレジットカードは作っておけ、海外で使えるWi-Fiは契約しておくこと、保険は入っておくこと、セキュリティポーチは必須、胃薬・睡眠薬・痛み止めも必須、蕎麦が食べたくなるから水で流せばすぐに食べられる流水麺をもっていくと良い、寝間着と折りたたみスリッパも忘れずに、出国時にトランクに鍵はかけるな(シカゴ空港の税関でしこたま怒られた)、ホテルと航空機の予約は代理店に頼むのがよい、Google tripアプリは入れておけ、荷物から目を放すな......といった些細な豆知識であればいくらでも言えるが、こんなものを積み重ねても最終的には、「英語勉強しろ」に尽きてしまう。そう、北米に行くならやっぱり英語はよくよく勉強した方がよい。とはいえ、日本語ができる人もたくさんいるし、日本人の発表者も珍しくはない。過度に恐れず、飛び込んでみるべきだ。

 『和漢朗詠集』を研究しているという大学院生の方から「なぜ日本人はAASにこないのか」と言われた。卒業式シーズンで忙しいからだが、同時にAASという存在自体がほとんど知られていないからだろう。かかる費用は泣きたくなるほどだが、もし助成を受けられるのであれば、AASに遊びに行ってみると、あなたの人生に、そしてこの世界にとって、よい経験になるはずである。