南方熊楠顕彰館・南方熊楠翁生誕150周年記念 宮武外骨展(2018年2月3日(土)~3月11日(日))
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http://www.minakata.org/cnts/news/index.cgi?c=i180203
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会期:2018年2月3日(土)~3月11日(日)
展示説明会:2/18川島昭夫氏(京都大学名誉教授)、3/3郷間秀夫氏(栃木県立那須拓陽高等学校教諭)
【「熊楠とゆかりの人々」の第32回目として、宮武外骨(1867~1955)を取り上げます。 2017年度は熊楠生誕150年という節目を迎え、「ゆかりの人々」でも同年生まれの正岡子規、夏目漱石を取り上げてきました。外骨もまた同じ1867年の生まれです。
子規が34歳、漱石が49歳で早く亡くなっているのに比して、外骨は熊楠の死んだ1941年(74歳)を越えて、日本の敗戦を見届け、88歳まで生きながらえました。
宮武外骨の足跡は、近年になって広く知られるようになりました。 2006年にはいわき市立草野心平記念文学館で郷土の図書館運営に寄与の大きかった諸橋元三郎(1897~1989)と絡めての展示、2008年と2015年には伊丹市立美術館でそれぞれ開館20周年、没後60周年を記念する充実した展覧会が開催されました。2009年にはNHK で「歴史秘話ヒストリア さわるな危険!宮武外骨~反骨の闘士 時代と格闘す~」も放映されています。
外骨の履歴や著作については、甥にあたる吉野孝雄氏が積極的に紹介されてきましたが、70年代に太田書房から、80年代後半には河出書房新社から著作集が出され、90年代に入ってゆまに書房から雑誌集成(全26巻)が出版されて、その全体像が手近に参照できるようになりました。昨年4月には生誕150年を記念して、平凡社から『別冊太陽 日本のこころ250 宮武外骨-頓智と反骨のジャーナリスト』も刊行されました。
恥ずかしがり屋で知られる熊楠としては、例外的ともいうべく、外骨には熊楠の方から接近したらしく、大阪住吉公園の外骨邸には三泊の長逗留をしてもいます。
熊楠と外骨は、
(1)熊楠の人格形成が、和歌山一中~東京大学予備門~米英留学とその初期にあってはむしろ最高学府に学ぶエリートコースだったのに比して、外骨は郷里の小学校を卒業した後は、高等小学校にさえ進学せず、高松の「高松栄義塾」、東京本郷の「進文学舎橘香塾」といった漢学者の私塾に学んだにすぎない。
(2)後半生の熊楠が基本的にここ田辺の地にあってほぼ外部へと出ることがなかったのに比して、外骨は東京大阪を往還し、台湾にまで住居を移していること。
(3)熊楠が生涯松枝さんという一人の伴侶と暮らし、熊弥さんの病気という状況はあったものの、一男一女に恵まれたのに比して、外骨は実に5人の配偶者を持ちながら、実子の天民は生後1歳3ヶ月で亡くし、後に迎えた養女も20歳に達せずして早世するなど、家庭生活に恵まれなかったことなど、かなり対照的ともいえる生涯を送っています。両者は学会やアカデミズムとの「付き合い方」もずいぶん違っています。
宮武外骨の足跡を追いながら、明治~大正~昭和を生きた、「知」のあり方を考えてみたいと思います。】
■展示内容
はじめに
宮武外骨 略年表
宮武外骨と『團團珍聞』
宮武外骨をめぐる人々(5人の妻、実子天民、養女三千代、兄南海)
南方熊楠との出会い 雑誌『此花』
「月下氷人」事件 -「むすぶのかみ」で離れていった熊楠と外骨
廃姓外骨と半狂堂の出版物
宮武外骨と明治新聞雑誌文庫
■展示資料
熊楠宛宮武外骨来簡
大阪区裁判所判決文
『月刊不二』『有名無名』『奇』『此花』『ザックバラン』等、熊楠蔵書
熊楠日記
半狂堂の出版物
その他
■展示説明会(申込不要、無料)
2月18日(土)
川島昭夫氏(京都大学名誉教授)
3月3日(日)
郷間秀夫氏(栃木県立那須拓陽高等学校教諭)
両日とも14時から30分程度