田中祐介編『無数のひとりが紡ぐ歴史 日記文化から近現代日本を照射する』(文学通信)

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4月中旬刊行予定です。

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田中祐介編『無数のひとりが紡ぐ歴史 日記文化から近現代日本を照射する』
ISBN978-4-909658-75-3 C0021
A5判・並製・カバー装・456頁
定価:本体2,800円(税別)

人間の書くことの歴史と文化を考え、過去を生きた、無数の人々が紡いだ歴史の意味を問う。
過去を生きた未知の人々の小さな歴史に向きあい、書かれた言葉の向こう側に想像力を働かせながら、より大きな歴史との異なりや繋がりを実践的に検証していく書。

全体を、「モノとしての日記・家計簿・手帳の文化史」、「読者を意識した自己の真実性」、「自己を語り直す--日記・私小説・自伝・回想録」、「無数のひとりに出会う」の四部で構成する。

本来ならば絶対に関わらない他者の日記を時代を超えて読むことには、一体どういう意味があるのか。書かれた内容を鵜呑みにできず、一筋縄ではいかない日記という史料にいかに向き合うべきなのか。モノ・行為・史料の視座から掘り下げ、人はなぜ日記を綴るのかという根源的な問いへの向きあい方をも考えていく、最先端の「日記文化」研究。

執筆は、田中祐介/柿本真代/河内聡子/鬼頭篤史/志良堂正史/竹内瑞穂/堤ひろゆき/徳山倫子/大木志門/西田昌之/大岡響子/大川史織/吉見義明/山田鮎美/島利栄子。

【日記は読み手に都合の良い論証の材料ではなく、未知の他者との出会いであり、新鮮な問いが様々に生まれる磁場である。書き手の人格と人生に敬意を払いながら、紙面に留められた言葉のひとつひとつに向きあい、予見を排して慎重に読み解く。そうすることで過去の言葉は再び生彩を放ち、現在の読者の言葉と思考を揺るがし、再考を促すであろう。すなわち日記の読み解きを通じて出会うのは、社会的属性や特定の歴史経験に還元され得ない個別的な他者、換言すれば無数のひとりにほかならない。】......「総論 「日記文化」を掘り下げ、歴史を照射する」より





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【編者紹介】

田中祐介(たなか・ゆうすけ)
Tanaka Yusuke

明治学院大学教養教育センター専任講師(日本近代文学・思想史)
著書・論文に、「制度化された近代日記の読み解き方 近代日本の「日記文化」を探究する」(『REKIHAKU』第3号、国立歴史民俗博物館、2021年6月)、「真摯な自己語りに介入する他者たちの声 第二高等学校『忠愛寮日誌』にみるキリスト教主義学生の「読み書きのモード」」(井原あや・梅澤亜由美・大木志門・大原祐治・尾形大・小澤純・河野龍也・小林洋介編『「私」から考える文学史 私小説という視座』勉誠出版、2018年)、『日記文化から近代日本を問う』(編著、笠間書院、2017年)など。

【執筆者】
田中祐介/柿本真代/河内聡子/鬼頭篤史/志良堂正史/竹内瑞穂/堤ひろゆき/徳山倫子/大木志門/西田昌之/大岡響子/大川史織/吉見義明/山田鮎美/島利栄子


【目次】

総論 「日記文化」を掘り下げ、歴史を照射する(田中祐介)
1 はじめに
2 モノとしての日記・家計簿・手帳の文化史を紐解く
3 行為としての日記─虚飾のない自己を綴るという制度
4 自己表象に働く規範化と逸脱の力学
5 史料としての日記にいかに向きあうか
6 おわりに─無数のひとりに出会うために

Ⅰ モノとしての日記・家計簿・手帳の文化史

1章 夏休みの日記の成立と展開
―「夏季休暇日誌」から「なつやすみの友」へ(柿本真代)

1 はじめに
2 夏季休暇をめぐって
3 市販の夏季休暇日誌
4 謄写版から共同購入へ
5 夏季休暇日誌の役割
6 おわりに

2章 家計簿と女性の近代―モノとしての成立と展開に見る(河内聡子)
1 はじめに
2 近代における家計簿の展開─行為からモノへ
3 「中流家庭」の必需品としての家計簿─羽仁もと子編纂『家計簿』に見る
4 女性のモノとしての家計簿─『婦人之友』の記事に見る効能
5 おわりに

3章 昭和戦後期のサラリーマンの手帳文化
―一九六〇年代末から一九八〇年代の手帳をめぐる言説を中心に(鬼頭篤史)

1 はじめに
2 サラリーマン向けの言説への手帳文化の登場
3 情報整理の文脈における手帳文化
4 「知的○○」の文脈における手帳文化
5 おわりに

4章 手帳類プロジェクトの設計と実践
―私的なプレイヤーのためのプラットフォームへ向けて(志良堂正史)

1 はじめに
2 手帳類というプロジェクト
3 手帳類というモノ
4 手帳類というプラットフォーム
5 おわりに

Ⅱ 読者を意識した自己の真実性

5章 自己を書き綴り、自己を〈調律〉する
―中村古峡史料群の「日記」「相談書簡」「療養日誌」(竹内瑞穂)

1 はじめに
2 変容する古峡日記
3 自己を書き綴る書簡
4 療養日誌のメカニズム
5 おわりに

6章 戦場に行かない兵士としての経験を綴る
―大正期師範学校卒業教員の「六週間現役兵日誌」における伝えるべき軍隊像の模索
(堤ひろゆき)

1 はじめに
2 大正期の六週間現役兵教育における日誌指導の内容
3 兵営における六週間現役兵へのまなざし
4 学校・地域に伝えるべき軍隊像を模索する場としての日誌
5 おわりに

7章 飢える戦場の自己を綴りぬく
―佐藤冨五郎日記における書くことの意思(田中祐介)

1 問題設定
2 軍人の文体を貫き通す─佐藤冨五郎の日記から
3 軍人の文体を脱ぎ捨てる─佐藤正太郎日記における文体の変遷
4 冨五郎の「書くことの意思」に接近する
5 結論

8章 昭和初期農村の「模範処女」たちの自己語り
―県農会立女学校の生徒・卒業生作文に見る規範意識と「少女文化」(徳山倫子)

1 はじめに─近代日本における農村の未婚女性の書記行為をめぐって
2 学校・生徒・読者を媒介する県農会報
3 農村の「模範処女」としての自己語り
4 県農会報を彩る「少女」たち
5 おわりに

Ⅲ 自己を語り直す――日記・私小説・自伝・回想録

9章 水上勉文学における自己語りの諸相
―「私小説」のプロトタイプ的理解の一例として(大木志門)
1 はじめに─「私小説」のプロトタイプ論的理解を目指して
2 「私小説」における「自己語り」─「虚構」と「真実」の手法
3 社会派推理小説・中間小説における「自己語り」─「接続」と「分身」の手法
4 評伝文学における「自己語り」─「同一化」と「偽書」の手法
5 おわりに─「日記」と「歴史」

10章 物語化する自己記述―漆芸家生駒弘のタイ滞在日記と自伝の比較から(西田昌之)
1 はじめに
2 自己記述の物語化─日記と自伝の違い
3 自伝─自己を形成する物語
4 日記との比較─語りえなかった出来事
5 変容する事実─真摯なる虚構
6 おわりに─物語が紡ぐ自己の物語

11章 芦田恵之助の回想録と日記の比較から見る台湾表象と「国語」教育観(大岡響子)
1 はじめに
2 芦田恵之助の台湾訪問と二つのテクスト
3 回想録における原住民族表象と「国語」教育観
4 教壇日記にみる台湾経験と回想録との比較
5 おわりに

Ⅳ 無数のひとりに出会う

12章 映画『タリナイ』上映から一年(講演記録)(大川史織)
1 制作背景
2 残された手帳とノート
3 映画と書籍のつくりかた
4 誰のために日記を書いた?
5 日記をめぐる歴史実践
6 マーシャル諸島を再訪

13章−1 吉見義明氏インタビュー(聞き手▼田中祐介・大川史織)
1 史料としての日記との出会い
2 ある女性の日記を追い求めて
3 「女性の日記から学ぶ会」の四原則
4 青木祥子日記との出会い
5 書かれなかったことをどう想像するか
6 日記に書かれている体験をたどる
7 コロナ禍における日記研究
8 今後の日記研究の展望

13章−2 戦争体験から高度成長期体験へ―「青木祥子日記」の検討から(吉見義明)
1 はじめに
2 青木祥子における戦争体験と敗戦の意味
3 青木祥子と安保闘争
4 青木祥子と高度成長期体験
5 おわりに

14章 特別展示 花の日記に私注をつける(山田鮎美)

15章 個人の記録を未来へ継承する(対談記録)(島利栄子・志良堂正史・田中祐介(司会))
1 それぞれの活動紹介
2 お互いの印象
3 活動の共通点・ちがい
4 活動のこれから

シンポジウム開催記録
執筆者一覧
あとがき


【執筆者プロフィール】

❶所属(専門)❷著作 ❸日記習慣

田中祐介(たなか・ゆうすけ)

❶❷明治学院大学教養教育センター専任講師(日本近代文学・思想史)
著書・論文に、「制度化された近代日記の読み解き方 近代日本の「日記文化」を探究する」(『REKIHAKU』第3号、文学通信、2021年6月)、「真摯な自己語りに介入する他者たちの声 第二高等学校『忠愛寮日誌』にみるキリスト教主義学生の「読み書きのモード」」(井原あや・梅澤亜由美・大木志門・大原祐治・尾形大・小澤純・河野龍也・小林洋介編『「私」から考える文学史 私小説という視座』勉誠出版、2018年)、『日記文化から近代日本を問う』(編著、笠間書院、2017年)など。
❸二〇一六年開催のシンポジウムの打ち上げで贈られた一〇年日記。その存在感と重みをひしひしと感じながら、立派な習慣には至っていません。「なぜ」自分は綴らないのか、書くことの意思と欲望が弱いのか、などと自問しながら、悶々とした日々を送っています。

柿本真代(かきもと・まよ)
❶京都華頂大学准教授(近代児童文化史)
❷「少年少女雑誌と日記帳─博文館・金港堂・実業之日本社を中心に」(『大阪国際児童文学振興財団研究紀要』三四号、二〇二一年三月)、「近代日本におけるキリスト教児童文学の受容─Peep of Dayシリーズの翻訳をめぐって」(『キリスト教社会問題研究』六八号、二〇一九年一二月)、「教育手段としての日記が定着するまで─明治期少年の『日誌』にみる指導と規範」(田中祐介編『日記文化から近代日本を問う』笠間書院、二〇一七年)
❸原画展で購入したリサとガスパールの三年連用日記をたまに書きます。おそらく使い始めて三年以上経っていますが、気が向いたときしか書かないので中身はすかすかです。

河内聡子(かわち・さとこ)
❶東北工業大学講師(日本近代文学・雑誌メディア研究)
❷「如来寺蔵『雑誌抜粋』に見る近代メディアの受容と利用─明治期における仏教知の再編をめぐって─」(『リテラシー史研究』一三号、二〇二〇年一月)、「農民日記を綴るということ─近代農村における日記行為の表象をめぐって─」(田中祐介編『日記文化から近代日本を問う』笠間書院、二〇一七年一二月)
❸日記を綴る習慣はありません。家計簿をつける習慣もありません。レシートを撮影すればデータ化されるという家計簿アプリを使用しようと思いましたが、それすら続けることができませんでした。

鬼頭篤史(きとう・あつし)
❶京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程研究指導認定退学(近現代日本のサラリーマンの歴史)
❷「『サラリマン物語』出版以前の「サラリーマン」は何者として語られ把握されたか」(『風俗史学』第六四号、二〇一七年三月)、「大正末期〜昭和初期の店員像─雑誌『商店界』を中心に─」(『風俗史学』第六〇号、二〇一五年三月)、「大正末期〜昭和初期のサラリーマンの模範像─『実業之日本』における「サラリーメンの頁」を中心に」(『人間・環境学』第二三号、二〇一四年一二月)
❸小学校の課題として書かされたグループ交換日記など、義務教育の一環で日記を綴ったことはありますが、自発的に書いたことは一度もありません。
 手帳は、高校入学時に親からシステム手帳を使うように勧められてから、小さなメモ帳や小判のノートなどと、システム手帳とを並行して使用してきました。常時携帯するのはメモ帳や小判のノートで、スケジュールをメモしたり、思いついたことや疑問を整理する目的で書いたりしています。一方、システム手帳は失くさないようにするために自宅に置いておき、住所録や名刺入れとして使っています。

志良堂正史(しらどう・まさふみ)
❶ゲームプログラマー/手帳類プロジェクト
❸個人事業主になったのを機にSlackというウェブサービスに書くようになりました。主に個人プロジェクトと向き合い作業感覚を維持する意図があります。もちろん本業の忙しさに比例して文字数は減るのが実情です。それでも続けることで仕事以外の取り組みを細々と継続する力になってくれればと願っています。

竹内瑞穂(たけうち・みずほ)
❶愛知淑徳大学文学部教授(日本近代文学・文化史)
❷「『若草』の波紋─読者投稿欄の論争を読む」(『文芸雑誌『若草』』翰林書房、二〇一八年)、『〈変態〉二十面相─もうひとつの近代日本精神史』(六花出版、二〇一六年)、『「変態」という文化─近代日本の〈小さな革命〉』(ひつじ書房、二〇一四年)
❸夏休みの宿題として強制的に書かされた日記がトラウマとなり、それ以降全く綴ることもなく人生を歩んで参りました。おそらく日記に対するそうした怠惰な態度が祟ったのでしょう、あと数年は中村古峡の(非常に読みづらい)日記の読解をし続けなければならないようです。

堤ひろゆき(つつみ・ひろゆき)
❶上武大学ビジネス情報学部講師(日本教育史・学校文化史)
❷「大正期の教育実習日誌におけるまなざしの往還─師範学校生徒はいかにして教員となったか─」(田中祐介編著『日記文化から近代日本を問う』笠間書院、二〇一七年)、「旧制中学校における「校友」概念の形成─1890年代の長野県尋常中学校の校内雑誌『校友』を手がかりとして─」(『東京大学大学院教育学研究科紀要』第五四巻、二〇一五年三月)、「学校報国団による生徒の「自治」の変化─長野県松本中学校の「自治機関」に注目して─」(東京大学大学院教育学研究科基礎教育学研究室『研究室紀要』第四一号、二〇一五年七月)
❸大学四年生の頃、一年間にわたって大学ノート四冊分の日記をつけていましたが、①一日あたりの記述がなぜかどんどん長くなり負担に感じたこと、②振り返ってみたときにふと一抹のむなしさを感じたこと、などからつけなくなりました。ほどよい頃合いの日記はつけたいと思っています。

徳山倫子(とくやま・りんこ)
❶日本学術振興会特別研究員(PD)(農村女性史・女子教育史(近代日本))
❷「1920─30年代における県農会立女学校の指導理念と教育内容」(『農業史研究』第五四号、二〇二〇年三月)、「書記行為から〈女学生〉イメージを再考する─白河高等補習女学校生の日記帳と佐野高等実践女学校校友会誌を題材に─」(田中祐介編『日記文化から近代日本を問う』笠間書院、二〇一七年)、「1930年代の公立職業学校における女子教育─大阪府立佐野高等実践女学校を中心に─」(『日本の教育史学』第五九集、二〇一六年一〇月)
❸前回の論集で「かつて綴った〈内面の日記〉はすでに燃やし、以後は綴っていない」と答え、今も変化はありません。ただ、最近になって、もう一度読み返してみたいと思う瞬間があったことが心境の変化でしょうか。「燃やさなくても良かった」と思う自分になるためには、「燃やさなければ先に進めない」自分を越えなければならない─日記を綴り、読み返し、処分し、それを悔いるという一連のサイクルもまた、日記文化を形成している─ということを体感するにつけ、過去を葬り去りたくならないような人生を送ることの大切さを噛み締めてしまいます。

山田鮎美(やまだ・あゆみ)
❶デザイナー
❸一六歳の頃から小さいノートに日記を書くことを続けています。頻度は毎日書くときもあれば半年ほど空けるときもあり、気まぐれです。長い独り言のようなノリでいつも書いています。

大木志門(おおき・しもん)
❶東海大学文学部教授(日本近現代文学)
❷『徳田秋聲と「文学」─可能性としての小説家』(鼎書房、二〇二一年)、『水上勉の時代』(共編著、田畑書店、二〇一九年)、『「私」から考える文学史─私小説という視座』(共編著、勉誠出版、二〇一八年)、『徳田秋聲の昭和』(立教大学出版会、二〇一六年)
❸酷いものぐさなのと自分のことに関心が薄いので夏休みの宿題以外で日記を付けたことはありません。他人の人生の物語を読む方が好きなのです。ただし、娘が生まれてから夫婦で毎日のように娘の写真を撮るようになったので、事実上それが日記の役割を果たしています。

西田昌之(にしだ・まさゆき)
❶チェンマイ大学人文学部日本研究センター客員助教授・国際基督教大学アジア文化研究所研究員(文化人類学・地域研究(東南アジア))
❷「チェンマイ漆器の復興と産業化─1957-1961年漆芸家生駒弘による技術移転をめぐって─」(『年報 タイ研究』 二〇号、二〇二〇年八月)、「近現代タイの日記文化─国民教導としての読ませる日記から民主化の黎明へ─」(田中祐介編『日記文化から近代日本を問う』笠間書院、二〇一七年)、"The Emergence of a Nature Conservation Ritual: Local Negotiations with Environmentalism in Northern Thailand."(『アジア文化研究』三九号、二〇一三年三月)
❸日記ではないかもしれませんが、調査時にフィールドノートをつけています。またFacebookの投稿がほぼご近所探検と旅の日記になっています。この研究会に感化され、そろそろ三年日記をつけてみようかなとも思っていますが、三年間なにも変わっていない事実を知ることになるのが怖くてまだ手を出せていません。

大岡響子(おおおか・きょうこ)
❶国際基督教大学アジア文化研究所研究員(文化人類学、台湾史研究)
❷「飲食文化」(赤松美和子・若松大祐編『台湾を知るための七二章』、明石書店、二〇二二年三月刊行予定)、「植民地台湾における内地刊行雑誌の受容に関する一考察 『赤い鳥』読者会員名簿を手掛かりに」(『リテラシー史研究』一四号、二〇二一年一月)、「植民地台湾における綴方教育の展開と教員 『台湾教育』と『第一教育』を中心に 」(『天理台湾学報』二九、二〇二〇年七月)
❸あいかわらず日記を綴る習慣はありませんが、コロナ禍の蟄居生活の息抜きによく散歩をするようになり、写真を撮るようになりました。写真に一言添えて、月一くらいで簡単なアルバムを作っています。ただ写真は見返せても、内面を綴った日記などは恐ろしくて見返せないとの感を新たにしたこの頃です。

吉見義明(よしみ・よしあき)
❶中央大学名誉教授(日本近現代史)
❷『買春する帝国』(岩波書店、二〇一九年)、Grassroots Fascism: The War Experience of the Japanese People, Columbia University Press, New York, 2015.、『焼跡からのデモクラシー』全二巻(岩波書店、二〇一四年)
❸中学生時代に担任の先生に全員が日記を書いて出す制度があり、毎日書いていましたが、卒業と共に書かなくなりました。二年生の時の日記がでてきたので、読み返したのですが、今でも記憶に残っていることの多くが日記には書いてなく、また、記憶にまったくないことが日記に書いてあることを知って愕然としました。定年退職後、手帳に一行でも記録しようと思いながら続きません。

大川史織(おおかわ・しおり)
❶国立公文書館アジア歴史資料センター調査員(歴史実践)
❷『なぜ戦争をえがくのか─戦争を知らない表現者たちの歴史実践』(編著、二〇二一年、みずき書林)、『マーシャル、父の戦場─ある日本兵の日記をめぐる歴史実践』(編著、二〇一八年、みずき書林)
❸コロナ禍で日記映画の制作をスタートし、プロデューサーの藤岡みなみさんと一日交代で日記を綴る習慣ができました。

島利栄子(しま・りえこ)
❶「女性の日記から学ぶ会」代表(庶民の日記の蒐集・保存・研究)
❷『時代を駆けるⅡ吉田得子日記 戦後編 1946-1974』(二〇一八年)、『親なき家の片づけ日記 信州坂北にて』(二〇一五年)、『手紙が語る戦争』(二〇〇九年)。三冊ともみずのわ出版。
❸小学2年生で先生に褒められて以来六七年間、書き続けている(飛び飛びの個所もあり)。