第四十七回 西鶴研究会(2018年8月28日(火)午後2時~6時、清泉女子大学 本館(旧島津公爵邸)の2階大会議室)

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研究会情報です。

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日時:2018年8月28日(火)午後2時~6時(午後1時20分、散策希望者集合)

場所:清泉女子大学
   本館(旧島津公爵邸)の2階大会議室

研究発表、題目ならびに要旨
◆『西鶴名残の友』「人にすぐれての早道」と狐飛脚伝承
 東京大学大学院 博士課程 梁 誠允(やん・そんゆん)

 西鶴の最後の遺稿集である元禄十二年刊『西鶴名残の友』は、西鶴のはなしの姿勢がよく表れる短編集であり、総じて明るい滑稽譚と評される。しかし、巻三之七「人にすぐれての早道」は、主人公の比丘尼が両親を失い草庵に入る経緯を告白するなど、悲哀に満ちた話となっている。
 話の中心は、北国のある家中で起った狐にまつわる怪異談である。御前能が行われる直前に、役者が能面を家に置き忘れてしまったという危機的状況を、主君の側近の侍が超人的な足の速さで救う。だが、実は侍は狐の化け物であって、その活躍によって、正体が不審がられ、結局、侍は妻によって殺される。
 従来、この奇談は殆ど顧みられてこなかった。本話について、まず、飛脚として活躍する狐を、西鶴は志一稲荷伝説から着想し、それを巧みに変形することで、一話を武士の忠義譚としていることを確認した。一方、本話の、狐の正体が疑われ、殺される羽目になるという結末は、与次郎狐伝説の影響を受けている。西鶴の話は、狐飛脚伝承の中でも、妖獣と見做され、狐の忠義心を知らない人間によって殺害される型をふまえていた。しかも、通例の狐飛脚伝承の狐が、主君から忠義を認められ死後も顕彰される狐忠義譚・狐褒賞譚であったのに対し、西鶴の方は、狐が主君や朋輩から疎外され、その忠心は報われない。さらに、妻が狐の夫を殺し、自害してしまうという結末は、西鶴が、子別れ・夫婦別れという悲劇的な要素をもつ異類婚姻譚を持ち込んだものである。狐飛脚伝承に取材しながら、独特の悲劇として仕立て直しているところに、西鶴のすぐれた創作手腕が見られるのである。

※発表者は、「国語と国文学」(平成三十年六月号)で、以上の内容を報告した。だが、論稿で言い果てぬところを含めて、本話の性格・特徴について、研究会の皆様と改めて共有したいと思う。

◆名所絵本『東国名勝志』と元禄地誌
――『一目玉鉾』・『東海道分間絵図』の利用をめぐって ――
成城大学(非)真島望

 大坂の書肆吉文字屋市兵衛編・刊の『東国名勝志』(月岡雪鼎画、大本五巻五冊、自序、無跋、宝暦 12〈1762〉刊)は、魅力的な鳥瞰的絵図を主体とした、松前から琵琶湖に至る地域についての名所絵本・地誌である。
 その体裁や図様から、本書は、上方から勃興する近世民撰地誌の到達点とも言うべき「名所図会シリーズ」 へと連続する、近世地誌史上重要な位置を占めるが、実は絵・文ともに元禄期の地誌・絵図に、その多くを依 拠していることが判明する。
 本発表では、その中でも特に重要な役割を果たしている、西鶴の『一目玉鉾』(元禄2〈1689〉刊)・菱川師宣の絵を用いた『東海道分間絵図』(同3序刊)との関係を中心に、『東国名勝志』における利用実態を明らかにし、近世中期の元禄地誌の転生と、その背景を考察する。また、それに関連して、『一目玉鉾』の後印本・改題本についても言及したい。

*なお司会は前回発表者にお願いする予定です。