世田谷文学館「林芙美子 貧乏コンチクショウ ―あなたのための人生処方箋―」【原稿・書簡・絵画など約250点の資料でご紹介】(2018年4月28日(土)~7月1日(日))

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展示会情報です。

●公式サイトはこちら
http://www.setabun.or.jp/exhibition/exhibition.html

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[会場]
世田谷文学館2階展示室
[休館日]
月曜日
※ただし4月30日は開館し、翌5月1日休館
[料金]
一般=800(640)円
65歳以上、高校・大学生=600(480)円
障害者手帳をお持ちの方=400(320)円
小・中学生=300(240)円

【隣人とか/肉親とか/恋人とか/それが何であろう。 

生活の中の食うと言う事が満足でなかったら/描いた愛らしい花はしぼんでしまう/快活に働きたいものだと思っても/悪口雑言の中に/私はいじらしい程小さくしゃがんでいる。(中略)
    
陳列箱に/ふかしたてのパンがあるが/私の知らない世間は何とまあ/ピアノのように軽やかに美しいのでしょう。

そこで始めて/神様コンチクショウと吐鳴りたくなります。(「苦しい唄」『蒼馬を見たり』より)

幼少期の行商生活を経て、職を転々としながらも詩や童話を書き続けた林芙美子(1903~1951)は、自らの貧困生活へ立ち向かうように、生きる苦しみを吐露し、血みどろの人生を奔放な文体で表現しました。とりわけ『放浪記』は映画や舞台などに姿を変え、ひたむきに力強く生きる女性を描いた名作として、戦前・戦後を通じて多くの読者を魅了し続けています。
芙美子は1925年、世田谷区太子堂の二軒長屋で詩人・野村吉哉と暮らしました。肺を患った野村は暴力的で争いが絶えない辛い生活でしたが、近隣には壷井繁治・栄夫妻、平林たい子等が暮らしており、作家仲間に支えられた時期でもありました。しかし、翌年には野村と別れ世田谷を離れます。新宿区中井に自宅を構えるまで、住まいを転々とし旅を愛した林芙美子。その作品は作者自身の前向きな人生観に裏打ちされており、労苦の多かった人生経験がその奥行を形作っています。本展では宿命的放浪の作家・林芙美子のことばを、現代の私たちへのメッセージ《幸福に生きるための処方箋》と捉え、原稿・書簡・絵画など約250点の資料でご紹介します。】