3刷記念★「はじめに――勉強をしていて何が快感か」を期間限定全文公開○前田雅之『なぜ古典を勉強するのか 近代を古典で読み解くために』(文学通信)

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前田雅之『なぜ古典を勉強するのか 近代を古典で読み解くために』(文学通信)から、原稿を一部紹介していきます。3刷(2019.3.30第1版第3刷)刊行記念です!

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前田雅之
『なぜ古典を勉強するのか 近代を古典で読み解くために』
ISBN978-4-909658-00-5
C0095
四六判・上製・336頁
定価:本体3,200円(税別)

●本書の詳細はこちらから。絶賛発売中です。
https://bungaku-report.com/blog/2018/05/post-167.html

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はじめに

勉強をしていて何が快感か


1―研究者としての生き方から

 最近、学問について襟を正さねばならない文章に出会った。寺田浩明氏(一九五三〜)の『中国法制史』(東京大学出版会、二〇一八年一月)である。目次をめくり、まずは「あとがき」からと読み始め少し進むと、突如、敬愛を遥かに凌駕する畏怖心で全身が固まってしまった。そこにはこうあった。

講義をしている時には教科書がなく、講義を止めた後に教科書が出るというのは余り合理的ではない(むしろ随分と間の抜けた)話なのかもしれないが、日本の法学部の一部にある不思議な伝統である。講義を担当しているなら講義内容を毎年毎年より良きものに改訂しなければならない(教科書など書いて一箇所に停滞している場合ではないだろう)。そして最後にその最終到達点を体系書の形で世に示すべきである(教室の学生だけを相手にしていてはいけない)。その教えに従ってこの数年間この書物の完成に努めて来た。そしてそれは自ずと、相互の関連についてなお曖昧さを残す私の主系列の論文全体の筋道を立て直す作業、最終確定版を作る作業でもあった。

 ここでは、まず、日々の態度として、毎年の講義=授業を改訂し続ける、即ち、自己の学問を日々彫琢していくことがごく当たり前のこととして要請されている。そして、そうする行為の最終目標として、講義の義務がなくなる定年年齢に向け、自己の学問の「最終確定版」を完成し、学生のみならず、主として法学者たちが作る「世」に問うことが設定されているのだ。言い換えれば、毎年毎年改訂され続ける真剣勝負の講義の「最終到達点」と、それに合わせて「立て直」されていく研究(「主系列の論文」群)の「最終確定版」との融合が開示する、高度に完成された学問の実現である。言うまでもなく、そこに「道楽」などは入り込む余地はない。あるのは、余人をもって到達しえない境位に至った学的達成だけである。
 私は、この件を読んで、これまでの研究者としての生き方まで深く反省させられるはめに陥った。私を含めた国文学研究者はここまでの学的使命感をもって学問あるいは講義に向かっているのか、また、講義・学問の「最終到達点」=「最終確定版」を一体何人の国文学研究者が目指し実践しているのか、そうではなく、まださして他の研究者が目をつけていない対象を見出してそこに手を突っ込んでいくという研究スタイルをとっている人が私以外にもいるのではないか、などといった学および方法を含めた学的態度、もっといえば、研究者としての生き方に関する深刻な内省であるが、彼我の違いに愕然するどころか溜息しか出てこないというのがショックの実態に近いだろうか。
 寺田氏の専門領域は、書名の通り、中国法制史である。氏は、中国法制史を研究するに際して、上記に先立って、その原初的な立ち位置を以下のように明らかにしていた。これも、古典研究者としては、引かざるをえない。

私の場合、それ(中国法制史の目指すべき体系)はそこにある法秩序の全体を自立的・内部無矛盾的に再構成することに置かれた。何処の世界であれ、一方の端には個々に生きる人々の生活感覚があり、他方の極には国家大での政治秩序がある。伝統中国におけるその照応関係を、我々が現代世界について持っている照応関係についての理解と同じ程度にとっくりと理解したい、と何故かこの学問を始めた最初から考えていた。

 学生時代、かくいう私は、専攻である国文学をほぼ放り出して、インドに二度(三ヶ月と一ヶ月)も足を運び、夢想の域を出なかったものの、可能であれば、宗教人類学のような立場で、インドの人々が普段行っている宗教生活とヒンドゥー教の聖典や教義に示される公式の宗教との差異や類似関係を考察してみたいと願っていた。実際に村に一週間ほど滞在したこともある。幸か不幸か、この願望は空しく挫折し、私は国文学研究者になったのだが、そういう思いをもったことがあるだけに、上記の文章も前のと同様にいたく胸を打つ。改めて述べるまでもなく、学問とはおのが対象とする世界を「自立的・無矛盾的に再構成」、即ち、十全に把握していく営為である。私自身が学問に対する愛情をもち、そこに幾分かの価値があると確信しているのは、カール・シュミット(一八八八〜一九八五)が語った「知的廉直さに価値があるとすれば、幻想の破壊は最大の収穫である」とある「幻想の破壊」、私なりにそれを言い換えれば、新しい世界認識の呈示があるからである。そして、それはどんな小さな対象からも可能であり、微細な対象の延長線上には新たに更新すべく世界が控えている。そのように信じているからこそ、個別研究も可能となり、十二分に意味ある行為となるのである。
 そこで、寺田氏の立ち位置に戻ると、氏には「法秩序の全体を自立的・内部無矛盾的に再構築する」というあるべき学問の姿がある。これが氏が把握しようとする世界に他ならない。だが、寺田氏は万事納得済みだろうが、これを実践することは尋常ならざる困難を伴う作業となる。というのも、現在の学問が概念・方法等がおおよそ西洋起源だからである。要するに、西洋論理に乗れない学問は妖術あるいは、まじない、最後は迷信扱いされてしまう可能性があるということだ。

2―西洋的思考と論理では歯が立たない世界

 そうした中で、氏の研究対象は伝統中国(清代までの中国)の法体系である。それは、契約社会、市場社会が機能し、一見、西欧近代社会と類似していると見えながら、およそ西洋法を産み出した西洋近代社会とは異次元の社会であり、西洋的思考に慣らされ、その観点で世界を捉えている我々が、伝統中国の「人々の生活感覚」と「国家大の政治秩序」の照応関係を、「現代世界について持っている照応関係についての理解を同じ程度」にもっていくのは、平安時代史の泰斗土田直鎮(一九二四〜一九九三)の遺した三教訓

一、現代人の心で古代のことを考えてはならない。
二、古代のことは、古代の人の心にかえって考えなくてはならない。
三、俺は長い間、そうしようと思ってやってきたが、結局駄目だった。お前らにできるわけがない。ざまぁみろ。     
(倉本一宏「土田直鎮『王朝の貴族』、中公文庫、二〇〇四年、解説」)

と同様に、事実上、「結局駄目だった」と諦めるしかないような、峡谷の上を綱渡りで渡っていくような困難な学的営為となる。しかし、寺田氏は敢然とそれに挑戦し、法秩序の全体が把握できる中国法制史の「教科書」を出された。その志と学的能力の高さと強さには何も言えない、ただただ圧倒され頭を垂れるばかりである。
 だが、この時、私の所属する国文学古典部門も、実のところ、寺田氏の困難な営為と近似した問題を抱えていることが諒解されるはずである。なぜなら、日本の古典とされるテクスト群や古典を支えた前近代社会は、どうにもこうにも西洋的思考と論理では歯が立たない代物だからに他ならない。それに気づかず、もしくは知らずに、テクストさえあれば大丈夫などというのは、言ってみれば、聖書さえあれば済むとする宗教的原理主義とほとんど変わらないだろう。しかしながら、こんなに厄介な古典のしかも「全体を自立的・内部無矛盾的に再構築する」(しようとした)人は、過去にごく少数はいたようだが、現在はほぼいないと言った方がよいのが現状である。他方、おもしろおかしく現代と比較して照応関係めいたことで笑い話にする人はいるかもしれないが(もはやいないか)、対象とするテクストとその時代・秩序・権力などどとの照応関係に分け入って当時の人たちの認識を我が物とするに至る人は、土田直鎮の嘆き同様、ほとんどいないのではあるまいか。
 そうした中で、我々国文学古典部門に希望がないわけではない。たとえば、工藤重矩氏(一九四六〜)の『源氏物語の結婚』(中公新書、二〇一二年)が出るまで、平安期は一夫多妻の世界だと信じていた方が多かったのではないか。一夫多妻を前提にして『源氏物語』や平安期の作品を読むのと、一夫一婦多妾制を前提にして読むとでは、まるっきり得られる像が異なるだろう。むろん後者で読まない限り、正妻女三宮の登場後の紫上の不安など読めないことになるだろう。こうした研究こそ、国文学における照応関係をより密にするものである。
 また、加藤昌嘉氏(一九七一〜)が発した提言は、古典研究の現状に対するまっとうな批判である。

 「作者の死」を標榜するテクスト論者であれば、新編日本古典文学全集や新潮古典集成が提供する本文や解釈や巻順や巻数を白紙に戻し、複数の写本を自由に行き来して、ゼロベースから己の「読み」を呈示することで、はじめて、テクスト論の真価を顕揚できるはずである。
(『揺れ動く『源氏物語』』「あとがき」、勉誠出版、二〇一一年)

 この提言通りに、加藤氏が同著および他の論文や著書で実践していることは、寺田氏ほど体系性には拘りはないものの、ほとんど同様な思考にもとづく学的営為ではなかろうか。古典の世界を古典の固有性(諸本の異同や形態そして、固有かつ自在の論理などなど)を通して把握しようとしていると思われるからである。むろん、これが単純に古き(権威か)、もしくは、国文学的規範(実証主義か)に従えではないことは、所謂「テクスト論者」ではない土方洋一氏(一九五四〜)の「〈テクスト論〉と〈読み〉の問題―『河海抄』のことなど―」(『日本文学』、二〇一八年一月)が示すように、『河海抄』のごとき古注であっても、「梅枝巻」に一度だけ登場する「大弐」になんと藤原道雅であると比定して『樹下集』にある道雅詠「末の世に(とイ)なれはなりけり橘の昔の香にはにるへきもあらす」を引いて「「中関白家全盛の時代とは異なり、今は「末の世」とはなりはてたものよ」と、道長―頼道時代を当てこする詠というように読みなされる」可能性を示すこともあるのである。古典は古典の制約や制度派経済学がいう「制度」に縛られながらも、その中ではかなり自由自在な展開をするものなのだ。それは古典注釈をちらっとでも眺めれば納得されるはずである。

3―どうして非近代的=非論理的な古典世界を勉強するのか

 こうした希望の芽をさらに期待しつつ、敢えて問うてみたい。伝統中国の法に紛うどころかそれ以上に非近代的=非論理的な古典テクストおよび古典世界を、どうして我々は「勉強=研究」するのだろうか。
 この問いは、古典と古典を表現する書記言語をもつ前近代文明社会に存在するあまたの古典テクストを研究対象とする世界中の研究者から離れることができないものである。いわば、根源的な問いと言ってよい。
 おそらく様々な解が用意されるだろう。
 まずは素朴なものとして、マイナー愛好家のごとく単純に「好きだから」がある。なぜ好きかは問わないにしても、学的志向において純粋であり、対象に対して眼を輝かせながら熱く語っている姿まで想像できようか(かなりの部分のオタク系研究者はここに属するだろう)。
 次に、やや固いアプローチとして、ナショナリズムに基づいて我が国の来歴を確定したいというのもあるだろう。これが、近代国家の教育体系において古典が歴史と並んでなくならなかった最大の理由である(なぜか日本では脳天気な学習指導要領に基づいているが)。自国および自国が所属する文化圏の古典と歴史を学ぶことを通して自己のアイデンティティーを確立させていくということである。文部大臣として漢文・古文教育廃止を提唱した井上毅(一八四三〜一八九五)が実は皇典講究所(現國學院大學)の設立に深く関わり、大日本国憲法制定のために、国学者小中村(池辺)義象(一八六一〜一九二三)に制度研究をさせていたのは、まさに古典と今を繋いで日本の骨組みを確立したかったからに違いない(本書Part.5で詳しく論じている)。とはいえ、現在の研究者でかかる志を持つのは、国語教育と古典研究の狭間でもがいている少数の研究者ではあるまいか。
 第三に、上記と似ているが、やや異なるものとして、そして、日本ではほぼ喪われているもののエリートとしての嗜みとして古典を学び場合によっては研究をするというのもあるだろう。たとえば、パブリックスクール時代、数学とラテン語が学年トップだったというジョン・メイナード・ケインズ(一八八三〜一九四六)のごとき立派な紳士(顔貌はたしかに立派だが、振舞いは男女九人の愛人をもつなどそれほど立派ではない)である。経済学者としてのありようを「ハーヴェイロードの僭見」と評し、所詮エリートとしての限界があったと本人与り知らない後年に宇沢弘文(一九二八〜二〇一四)が批判したものの、恐るべき少年がパブリックスクール時代になぜラテン語を好きになったのか(大嫌いな生徒が多かったことは『チップス先生、さようなら』を、ギリシャ語については、フェリーニの名作『アマルコルド』を参照されたい)。はっきりとは分からないものの、上流階級出身の秀才にままある余裕派感覚に加えて、凡俗なナショナリズムとはいささか異なる、古きよきヨーロッパが湛えていたものの、もはや喪われてしまっている精神世界への深い憧憬、加えて、一家の系図を作るのが好きだったという趣向とも連動する、古きよきヨーロッパの精神を継承するのが自分だというある種のエリート意識ではなかったかと思われる。この系統で古典に向かった人に、おそらく江戸後期の松平定信(一七五八〜一八二九)、島津久光(一八一七〜一八八七)、近代では入江相政(一九〇五〜八五)などが入るのではないだろうか。現在の日本では、まずお目にかかることができないタイプであろう。
 それ以外の大部分の古典研究者はなんだろうか。国文学の場合は、たまたま国文学科に入ってとか、やっていると面白くなってというのが大方の答ではあるまいか。簡単に言えば、学問同様、人畜無害な答えである。だからといって、誰かに迷惑をかけたりしているわけではないから、批判できるものでもない。皆それ相応に出会った古典テクストとまじめに対峙しているのであるから。

4―勉強をしていて何が快感か

 それでは、お前はどうなのだと質されたら、私はこのように答えることにしている。

  近代を相対しうる最も強力な装置が古典である。

 我々が生きる時代は、古典的教養など単なるオタク趣味(=道楽である)を超えない、以前書いた拙著(『記憶の帝国』)のサブタイトルの一部を借りれば、既に「終わった時代」である。ナショナリズムは周辺諸国のおかげで、時折、一部ながら間歇泉のごとく噴出しているが、こちらも永遠に古典とは重なってこない。せいぜい『源氏物語』は千年前にできたのだ、偉いだろうといった低レベルきわまりない主張があるかないかである(もうないか)。
 そんな時代に生きる私たちにとって、古典を「勉強=研究」する意味は、第一義には、上記に掲げた寺田・加藤・土方氏のように古典および古典世界そのものの探究と可能性を追うことは言うまでないけれども、それと同時に、とりわけ近代日本のごとく、古典を「一種の美術」(井上毅の言葉)のように脇にやって、事実上、潰してきた国に生まれ合わせた身としては、古典を殺してきた日本近代を相対化しておきたいのである。むろん、思考の過程で近代と同時に古典もまた相対化されていくが、近代の相対化が「昔はよかった」といったこれまた低レベルな感想に落ち着いてしまったら、これで話はおしまいだが、「そんな時代」であれ、我々は近代社会に生きている。そこから逃れることはできない。だから、当たり前だが、永遠に古典的世界にも古典が輝いていた古典日本にも戻ることはできない。
 しかし、前言をひっくり返すように聞えるかもしれないが、大きく断絶しているとはいえ、我々の言葉は過去と繋がっているといった意味で、古典的世界=前近代社会の延長にある現在に生きていることも否定できない事実としてある。古典と近代を相互批判しながら、古典的世界を破壊した近代を批判し評価していくことを通して、より新鮮な気持ちで古典的世界、と同時に近代的世界と対峙することが可能となるのではないか。その先にはまだ見たことのない世界像が立ち現れるのではないか、勉強をしていて何が快感か。世界像なるものが見えるような線がうっすらと浮かんで来る時である。そんな線が現れることを胸に描きながら、本書に所収されたエッセイを書いていた。

     *

 本書はPart.1からPart.5の全5部より成る。

 全体的には、「古典入門」(その1)(その2)、「古典で今を読み解く」(その1)(その2)、「古典と近代の歴史を知る」に大きく区分される。だが、それらはそれぞれに関係し合っている。また、誠に恐縮ながらやや重複する箇所がある。これもそれぞれの連関性を重視した結果ということで諒とされたい。それでは、以下、Partごとに内容を簡略に説明しておこう。

 Part.1「古典入門 その1...教養と伝統の世界を知る」は、四本のエッセイからなり、本書の世界に入っていくのに相応しい内容となっている。1「昔の人は教養があったのか」は、教養をめぐる今と昔の問題を扱っている。内容は読んでのお楽しみだが、若い諸君は、無知だからといって、へこんだり恥じたりする必要はまったくない。2「注釈学事始め」は、古典に必ず付帯する古典注釈の問題を扱っている。注釈なき古典がないように、古典なき注釈もないのだ。3「古典的公共圏とは何か」は、私の捉える古典世界像である古典的公共圏を論じている。言うまでもなく、2と3は深く絡み合っている。最後の、4「伝統の作られ方」は、伝統をありがたがるのは自由だが、伝統そのものが作られていることに注意を向けてみた。人間が作り出すもの・文化で天然自然なものなどないのだ。古典も伝統も同様である。作られたからこそ伝統は素晴らしいと言えるのである。

 Part.2「古典で今を読み解く その1...歴史・伝統・古典」は、他に比べて多い、計八本のエッセイからなる。1「「日本共産党」の古典的意義」、そんなものあるのか、という意見も多かろうが、日本共産党はしっかり古典的世界の一部を受けついでいるのである。2「アメリカ、「新大陸」における伝統とは何か」はアメリカの伝統を探ってみた。あれだけ銃撃事件が跡を絶たないのに、銃を自由にもて、健康保険がない唯一の先進国の閉ざされた伝統をキリスト教から探ってみたのである。3「天皇制度を永続させるために」は、二〇一九年は世代わりとなるが、日本そのものとも言える天皇制度を永続させるための前提として前近代における譲位と譲位を拒絶した近代の天皇制度のありようを考えてみた。4と5は、日本が今度どのような国になったらよいか、歴史・伝統の面から考えてみた。4「品格ある二等国になること」は、品格ある二等国になるための条件と可能性を探り、5「日本における国・国民・国民主義」は、諸外国との優劣比較を超えた国民主義を提唱している。そして、6「日本人論を終わらせるために」と7「日本・日本人はどこにも行かないだろう」は、日本人論をめぐっての議論である。日本ほど日本人論が好きな国民もないようだ。いつもアイデンティティー不安に苛まれているか、我身の根元を考えず、時折、ふと思い出すからだろう。とまれ、そろそろ日本人論などはおしまいにすべきではないか。言っても無駄なのである。それならば、古典に帰れというのはやや言い過ぎだろうか。最後の8「成績という文化」は、近代と前近代の違いを学校という制度の存在と成績の果たした役割で論じてみた。成績などたいしたことがないという意見の人は是非熟読してもらいたい。自由・平等・職業選択の自由と成績は固くリンクしているのである。

 Part.3「古典入門 その2...和歌と文化の厚みを知る」は、和歌にからむエッセイ四本を収載した。1「和文にスタンダードはあったのか」は古典に用いられた文体の中で和文にスタンダードはあったのかを論じたものである。現在の文章語は、明治の末にほぼ完成し今日に至っているが、和文の場合はどうやらなかったようなのだ、とすれば、何がスタンダードだったのか。これを考えてみたのである。2「藤原俊成の古典意識」は、Pat.1の2と3にも絡むが、日本における古典意識および古典概念の形成者としての藤原俊成を考えてみたものである。俊成はなぜ「源氏見ざる歌詠みは遺恨のこと也」と言い放ったのか。そこには俊成の周到な狙いが隠されていたのだ。3「アヴァンギャルドと伝統」は、源仲正という武士歌人が用いた「ゑごゑご」という特異な歌語を追ってみたものである。平安後期にはこのようなけったいな言葉を和歌に使うことができたが、その後、使えなくなる。これも、俊成・定家の古典化と深く関連しているのである。4「文化の厚みを知る方法」は、勤務先が所蔵する正広自筆『正広自歌合』がどのような人々によって写されていったかを探ったものである。ここから、和歌や古典をめぐる近世初期の大名間ネットワークがうっすらながら立ち会われてくることを見出すだろう。前代の歌人や和歌を愛する大名たちも江戸時代の古典を支えたのだ。

 Part.4「古典で今を読み解く その2...戦乱・和歌・古典」は、三本からなるが、これまでなんとなく思われている「文学は平和の産物だ」というイメージを徹底的に批判したものを集めている。1「古典・和歌は平和の産物ではない」は、戦乱と文学(古典作品)がいかに関係深いかを論じたものであり、2「乱世到来、いよいよルネサンスだ」は、今後、予想される乱世は、1で主張したように、ルネサンスと捉えるべきと論じたものである。3「破局・古典・復興」は東日本大震災を踏まえて、1と同様に、戦乱と文学の関係を取り上げ、精神的危機を乗り越えるものとして古典を挙げている。むろん、妄論として斥けられるかもしれないが、自身敗北した南軍の末裔と称するウィリアム・フォークナー(一八九七〜一九六二)が戦後来日して、今後日本には素晴らしい文学作品が出ると語ったように、そろそろ戦争・戦乱と文学・古典を切り離す脳天気な振舞をやめようではないか。ここでは、戦争・戦乱と文学・古典の緊張感覚を味わっていただきたい。

 最後のPart.5「古典と近代の歴史を知る」は、Part.1〜Part.4とは異なり、三本の論文(含解説)である。いずれも近代と古典の関係を論じたものだ。1「国文学始動元年、明治二十三年の夢と幻滅」は、国文学が生まれた明治二十三年の意味するものを、井上毅・国学者・国文学者の三竦みで考えてみた。国文学は自然に生まれたのではない。明治二十三年に作られたのである。だが、スタートからして、二派に別れ、そのまま並行して進み、国学系と親しかった井上毅は、文部大臣になってから古文・漢文廃止論を主張するに至るのである。生みの苦しみと喜びを堪能して戴きたい。2「古典と出会う、戦時・戦中という時空」は、戦前、『コギト』とならぶ国粋主義的な文芸雑誌であった『文藝文化』グループの中心にいた清水文雄の『戦中日記』の解説である。実に面白い日記であり、清水の人となり、交友関係、時局に対する対応などを論じてみた。私は『戦中日記』を読んで清水なる篤実な国文学研究者が大好きになった。3は、「研究者共同体と大衆文化」というけったいなタイトルだが、これは編集者から与えられたもので、それを改めないでそのまま使うことにした。内容は、1の続きである。国文学系と国学系のその後の展開を主軸としながら、国文学の世界が共同体性を漸次消失していく過程、また、大衆文化とほぼ無縁となっていく過程、すなわち、国文学が人畜無害化していく道程を論じた。大衆文化と対比する意味で依田学海(一八三三〜一九〇九)の『源氏物語』享受にも触れたが、こうしてみると、国文学が生まれた明治はまだまだ江戸の香りが漂っていたことが分かる。国文学なる学問を知るためにも、1〜3の論考はそれなりのヒントを与えてくれるだろう。
 読者諸氏の厳しいご批判をお待ちしている。