近代文学合同研究会 第18回シンポジウム「演劇化(アダプテーション)する文学 ―新派からミュージカルまで―」(2018年12月16日(日)、立正大学・品川キャンパス9号館3階933教室 予約不要・参加費無料)

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近代文学合同研究会 
第18回シンポジウム「演劇化(アダプテーション)する文学 ―新派からミュージカルまで―」
(2018年12月16日(日)、立正大学・品川キャンパス9号館3階933教室 予約不要・参加費無料)

【【趣旨文】
 文学作品を手に取りページをめくって書かれた文字を読み出せば、誰もが読者です。作品を読み終えたあと、感想を知人に語って感動を共有しようとする人がいます。本文に書き換えがないかを調査したり、文学理論をつかって作品の解析を試みたりする研究者もいます。なかには創作意欲を刺激され、新たな作品制作に取りかかる創作家だっているでしょう。それぞれに立場は違っても、そこには必ず読者としての「読み」が潜んでいるはずです。
 今回テーマとする「演劇化(アダプテーション)」は、文学作品に魅了されて制作された演劇作品に、文学の新たな「読み」を探ってみようと考えて立てられた問題提起です。つまり、レビューや論文にではなく、「演劇化(アダプテーション)」という創作行為のなかに、未踏査の文学解釈を求めたわけです。
 扱う作品は三つ。まずは、それぞれの冒頭をあげてみましょう。

・春琴、ほんとうの名は鵙屋琴、大阪道修町の薬種商の生れで歿年は明治十九年十月十四日、墓は市内下寺町の浄土宗の某寺にある。(『春琴抄』)
・上州伊香保千明の三階の障子開きて、夕景色をながむる婦人。年は十八九。品よき丸髷に結いて、草色の紐つけし小紋縮緬の被布を着たり。(『不如帰』)
・国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。(『雪国』)

 さて、あなたならどのように「演劇化(アダプテーション)」するでしょうか。それには、あなたの「読み」が大きく関わってこないでしょうか。そして、その「読み」を、レビューや論文のように言葉で表現するのではなく、演劇という形式で表現しなくてはなりません。リアリズムにするか、アヴァンギャルドで行くか。伝統芸能に頼るか、最新のメディアを駆使するか。予算や劇場の問題を抱えながら、スポンサーや原作者にも気をつかわなくてはならないかもしれません。あらゆる制約のなかで、それでも表現したくてたまらないことに背中を押されて、演劇作品は生まれたのだと思います。
 3名の登壇者と一緒に、「演劇化(アダプテーション)」するといった眼差しで、文学作品をとらえ直してみませんか。
(コーディネーター 葉名尻竜一)】

嶋田直哉(明治大学) 
文学から演劇へ
――谷崎潤一郎『春琴抄』を中心に
【要旨】
谷崎潤一郎『春琴抄』(1933)はこれまでに何度も演劇化されてきた。その多くは春琴と佐助の〈恋愛〉に焦点を当て、最終的に二人が結ばれる純愛物語を描き出してきた。このような受容の中で注目したいのはサイモン・マクバーニー演出『春琴』(2008)である。この作品は春琴役である深津絵里の好演はもちろんのこと、『春琴抄』の物語内容よりも語りの構造に注目して演劇化した点に大きな特徴がある。その他、宝塚歌劇団雪組公演『殉情』(2002)、極上文学『春琴抄』(2016)などを参照しながら近年における『春琴抄』の演劇化はもちろんのこと、日本近代文学作品と現代演劇の翻案をめぐる様相について考えていきたい。

鈴木彩(慶應義塾大学非常勤講師) 
徳富蘆花「不如帰」上演史からみるアダプテーションの諸相
――宮本研「ほととぎす・ほととぎす」を視座として――
【要旨】
 現代でも小説を原作とした演劇は多く上演されているが、その第一の隆盛期は尾崎紅葉「金色夜叉」、菊池幽芳「己が罪」、柳川春葉「生さぬ仲」などが新派劇を中心に盛んに上演された、明治後期から大正初期といえよう。本発表では、この時期から戦後までの期間を演劇へのアダプテーション(翻案・改作)というキーワードで通覧することを目的とし、徳富蘆花の「不如帰」(1898)とその受容史に着目する。
「不如帰」は小説が新聞に連載され始めてから約2年半後の、1901年に初演された。以後、メロドラマとしての側面を強調されながら繰り返し上演され、新派劇の代表作の位置を得る。また演劇のみならず、浪子と武男の物語は新体詩や流行歌の題材ともなって、人口に膾炙していった。そうした長きにわたる受容史を経た1980年、劇作家・宮本研が発表した戯曲に「ほととぎす・ほととぎす」がある。同作は、主人公・浪子の冷淡な継母のモデルになったとされる大山捨松らを登場させ、小説および新派劇と、モデルになった人物の落差を時にコミカルに描きつつ、大衆に流布する〝不如帰という物語〟を問い直した。
本発表は、小説の演劇化の諸相を「不如帰」という作品を通して概観すると共に、戦後に登場した新たなアダプテーションである戯曲作品が、同作とその受容史に対して、いかなる批評性を有していたかを考察するものである。

赤井紀美(東京文化財研究所客員研究員) 
川端康成『雪国』の劇化について
―戦前・戦後の上演を通して
【要旨】
川端康成『雪国』は1937年に単行本が刊行され、同年新派とよばれる演劇ジャンルによって初めて劇化された。この上演は新派の〈芸者〉表象をめぐる問題と関わっており、また同時代における『雪国』の一つの解釈としても非常に興味深い舞台である。この時期は新派に限らず文学作品を歌舞伎、新劇など複数の演劇ジャンルが横断的に劇化するという現象が起きていた。こうした時代状況を踏まえつつ、『雪国』の初演について考えたい。さらに、『雪国』は戦後も繰り返し上演されており、それぞれの舞台が多様な解釈を提示している。映画やジャーナリズムとの関わりも含め、戦前から戦後における『雪国』の劇化の変遷をたどりたい。