若衆関連、私の一推しグッズ?ネタ?(3) 泊瀬光延

このエントリーをはてなブックマークに追加 Share on Tumblr

泊瀬光延「私のこだわり」 
一、若衆を文学する
二、一途に契に生きる美少年

トーマス1.png

一、 若衆を文学する
 ワカシュケンに参加させて頂き、今まで物書きとしてぼうっとしていた文学への憧憬がはっきりとしたクリエイションとして見えてきました。「男色(だんしょく)」と呼ばれサブカルチャーとして息づいていたテーマが、ジェンダーの壁を超えた人類普遍の「文学」としての復権が予感されたのです。そのきっかけが井原西鶴先生の「男色大鑑」でした。令和元年の染谷教授の青山学院での「大鑑」の講義はそういう意味でエポック・メイキングだったのではないでしょうか?私には印象的だった講義がありました。「大鑑」の一話、「夢路の月代」で若衆をナンパしようとした勘右衛門が、三之丞という「素面が美しく情けが深い」若衆の心を射ようと、彼が吐いた唾が川面に流れてきたのをわざと掬って飲み干すという情景があります。ここで講義中にこの行為は「だめ」、「受け入れられない」との声が上がりました。染谷先生は「受け入れられる」側だったらしく話は大いに盛り上がったわけです。ここで私は「どうしたら受けいれられないと言っている人たちに納得できるストーリができるのだろう?」と考えました。こんなに大部分の人にとっては論外の情景を語った西鶴先生の沽券に関わる危機であります。この他人の唾を飲む大芝居をうった勘右衛門はどういう侍だったのだろう?と考えた結果がオンラインで発表した論考「『夢路の月代』の固唾の「命」論」であります。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054893435045

 この中で西鶴先生が敢えて書かなかった部分を補填したつもりですが、それであの方々を納得させたかはわかりません。ただ、受講した学生さん達は面白い感想をたくさん表明してくれたのですが、残念なことに勘右衛門の姿形に触れた人はいませんでした。それで私は古武道の研究もしておりますので、厳(いかめ)しい武士が美しい若衆を射止めるためにどういう格好で唾を掬って飲んだか、をビジュアル描写してみたのであります。私の文学へのこだわりということでここに載せて頂きました。
注意点)
・音に聞こえた腕の立つ武士なので宮本武蔵の「五輪書」から武士の姿を想像しました。つまり、腰・背・首は自然に伸ばし、曲げたりスキを作ってはならない。首を伸ばし敵となる相手をいつも上から見てます。唾を掬うには足下の水面まで手を落とさねばなりませんが、腰を曲げてしゃがむと斬りつけられたときにすぐに反応できません。武士は油断で背中に傷を受けるのは最大の恥となります。大小は当時流行りの「よしや風」に刺しているので刀の反りが上になっています。頭ですが、やはり流行の髷を極端に後ろに下げて結ってますのでつるつるのてっぺんがよく見えたことでしょう。衣服は黒ずくめなので絵のような一風変わった怪異な姿ではなかったでしょうか。

二、 一途に生きる美少年
私が最初の書籍を刊行したのは2004年の「前田慶次郎異聞~りんと小吉の物語」という小説でした。技術者として働いていた私ですが、若い頃に読んだ萩尾望都先生の「11月のギムナジウム」などに深い感銘を受け、憧れていた女性が実は男の子で、自分が死地に行くときも一緒に付いてきてくれたら、などという誰にも話せなかった妄想を一気に書いたものでした。そのころは「やおい」というジャンルがあったのは知っていましたが、稲垣足穂先生がいう「少年愛」の世界に近いのではと思っていました。ところがひょんなことで知り合った大竹直子先生が「衆道小説家」という触れ込みで私を染谷先生に紹介してくれた時、自分でも驚いたものです。そんな小説ジャンルがあるなど知らなかったのです。私がその頃、描いたのは若衆ではありません。女性の心を持ちながら戦国時代に非情の刺客として育てられた美しい少年、りんという生き物を創造したのです。敵に対しては鬼神となり殺戮を繰り返しますが、心の奥底には常に庇護してくれる人を求めている。りんの念者となる古武士、小吉は、天から降りてきた興福寺の阿修羅を地に留めてしまったと考えるほど愛しいと思う。天人との契。そんな人物像です。ワカシュケンとしては少し趣が異なると思いますが、私のこだわりの一つのキャラクターなのです。

トーマス2.png

泊瀬光延著「前田慶次郎異聞」(2004、文芸社)より「阿修羅降臨」
阿修羅はインド地方の地神で月と太陽を司る神である。
コピーは「刺客に惚れた!」
*「異聞」は絶版ですが、古本で購入可能です。オンラインで後編と別話を発表しています。