若衆関連、私の一推しグッズ?ネタ?(10) ハ・ゴンウ

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「唾」=「命」なんです。それこそ若衆美の極上エキスだ!
ハ・ゴンウ

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(あんどうれいさんが描いた三之丞と勘右衛門。至高の逸品)

私の若衆関連一推しネタは、ずばり「唾」です。唾ですでに思い当たるところがある方も多いのではないでしょうか。今回は『男色大鑑』巻二の三に登場する唾ネタについて少し紹介したいと思います。(すでに作品を読まれていることを前提として話を致します)

1.「唾」=「命」なのに......

本話のなかで三之丞の唾を飲んだ勘右衛門の台詞「只今の御つばき、行く水につれて泡の間もなく消ゆる命と惜しみ、すくひあげて呑みつる物を」の現代語訳は今まで大きな問題がありました。それは「命」という表現が抜けていたことです。

  「流れる水につれて泡と消えてしまうのが惜しくて」
                       -日本古典文学全集
  「流れる水につれて間もなく泡と消えてしまうのを惜しく思い」
                     -明治書院『男色大鑑』
「The truth is, I so hated to see your precious saliva disperse and disappear in the water's flow that I scooped it up and swallowed it 」
          -ポール・ゴードン・シャロウ訳  

このように、既存の訳では「命」という表現が抜けてありました。それを見直し新しく現代語訳したのが、文学通信で刊行された『全訳 男色大鑑 武士編』であったのです。

西鶴先生はなぜわざわざなぜ命としたのでしょうか。それがこの話を楽しく読む大きなヒントになると私は予想しています。

2.衆道は口の清潔が第一

さて、唾を飲んだ勘右衛門ですが、三之丞の唾に対して「甘露」という表現をします。甘露とはご存じの通り不老不死の妙薬であります。勘右衛門は三之丞の唾を汚いとは一切考えていないのでしょうか。染谷智幸先生は三之丞の唾について「勘右衛門が三之丞の唾を飲むことによって、勘右衛門の三之丞への深い情愛と三之丞の口中の清らかさを描写したと見るべきである」と説明しておられました。なぜ唾を飲んだことが口の清潔とつながるのか。以下の資料で見てみましょう。

『男色大鑑』と同じ年(一六八七)に刊行された『男色十寸鏡』には若衆に対し「第一口中清らに有べし」とあり、またさらに三〇年前に刊行されている衆道のハウツー本『催情記』(一六五七)では以下のようなものをかたく禁ずるようにしています。

一、 くさい物の類
一、 山椒
一、 箸を舐める事
一、 右の手で御椀をとる事
一、 肉を食うこと
一、 芋
一、 イワシ
一、 くり
一、 ショウガ
一、 あずき
一、 口の中に物があるときしゃべる事
一、 焼き鳥の串食べたあとそのくしをなめる事
一、 湯水の飲むこと
一、 納豆汁
一、 あらめ
(『催情記』の二六丁裏、二七丁表より筆者訳)

また、同じく『催情記』の「口中のこと」と「楊枝のこと」では、

「楊枝を口にくわえて、磨き砂を利用し、ゆるゆるとみがきます。たばこは飲むと腹中によく通じるものでございます。鏡をみながら、水晶のように磨くことが大事です。奉公する身であるなら、暇が入ることがあれば、その都度、昼であっても磨くべきでしょう。」
(『催情記』の三〇丁裏、三一丁表より筆者訳)

「(楊枝は)できるだけきれいにして、二本ずつたしなむべきです。一本は普段使うため、もう一本はそのまま嗜んでください。人間、要らないと思うとふと必要になることもございます。常に心掛けつつ、度々取り換えることが大事です。」
(『催情記』の三二丁裏、三三丁表より筆者訳)

とあるように、若衆にとって口を清潔にすることはとても大事なことでした。そして、勘右衛門が三之丞の唾を飲んだことによってその清潔さが証明されるということですね。

そして、こうした口をきれいにするのは若衆だけではありませんでした。『男色十寸鏡』では念者に対しても「なりふり諸具衣装なんどにいかほど気をとをしても口中清らならぬは若衆大きにきらへり」とあり、いくら飾り付けをしても口の中の清潔が第一であるということが書かれています。

つまり、口を清潔にたもつことは衆道においてもっとも大事なことの一つであったのです。

3.これからの唾が熱い!

以上、唾について少しお話したのですが、私は最初「西鶴が唾にしようとした考えの典拠」を探そうとしましたが、今はそれよりも「当時の人はどう思ったのだろう」「なにが面白いんだろうこの話」などと読者の立場になって考えることにしています。

唾に関連するネタは国内外を問わずにたくさんあります。私たちに身近なネタだと映画「君の名は」で登場した「口噛み酒」から、『日本書紀』に登場する唾の神様「速玉之男」もあり、唾に呪力があるという説など、さまざまな切り口はあります。西鶴は「知る人は知るぞかし」の文を書きますから、「唾」について深く調べることで、この話の真の面白さは自ずと垂れてくるであろうと私は考えています。(じゅるり)

付記
本文は青山学院大学日本文学科会報雑誌五十三号に載せられた私の既出研究レポート「江戸時代のボーイズラブ?―『男色大鑑』の韓国語訳に向けて」に加筆・修正をしたものです。

参考文献
暉峻康隆ほか校注・訳『井原西鶴集 二』(小学館、一九九六)

冨士昭雄訳注『男色大鑑 決定版 対訳西鶴全集六』(明治書院、一九九二)

Paul Gordon Schalow『The Great Mirror of Male Love』(Stanford University Press, 1990)

染谷智幸『西鶴小説論―対照的構造と<東アジア>への視界』(翰林書房、二〇〇五)

早稲田大学古典籍総合データーベース『男色十寸鏡』貞享四年(一六八七)序
https://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/wo06/wo06_01542/index.html

京都大学貴重資料デジタルアーカイブ『催情記』明暦三年(一六五七)刊
https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00013183#?c=0&m=0&s=0&cv=33&r=0&xywh=-2538%2C-116%2C8146%2C2275

*(染谷より) ゴンウ君が指摘されたように、この短編に付随するかたちで、若衆に口中の清らかさが求められたと指摘したのは、ゴンウ君があげてくれた私の本が早いものだと思います。しかし、若衆だけでなく兄分たる念者にもそれが求められていたこと、さらにはそれが「命」に関わる問題であったことは、ゴンウ君が西鶴の研究史上、初めて指摘したことです。ゴンウ君が韓国からの留学生であることを考えると、これは驚き以外のなにものでもありません。何かと問題になる日韓ですが、ここまで日本を理解できる韓国の若者が育っていること、頼もしい限りです。