若衆関連、私の一推しグッズ?ネタ?(6) 森上亜希子

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ジンジンこと増田甚之介
(『男色大鑑』巻1-4「玉章は鱸に通はす」の若衆)
森上亜希子

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(大竹直子画「甚之介と権九郎」、『全訳 男色大鑑(武士編)』の表紙を飾りました)

『男色大鑑』には様々な美少年が登場しますが、私の推し若衆・松江藩の増田甚之介(16歳)は、出雲大社に集まる神様も噂をする程の美しさ!!
さらに、顔だけではなく文武の諸芸にも通じている若衆です。

そんな甚之介の心を射止めたのは、同じ家中の森脇権九郎(28歳)です。
念者・権九郎は松江の(宍道)湖で捕れる鱸の口に手紙を入れ長年の思いを伝えます。甚之介は権九郎の思いを受け止め、「わづかのうちも恋路はやるせなきに、この事しらせてよ」とすぐに返事を送ります。相手を思いやる甚之介の行動は優しさを感じ、彼の情け深さも魅力の1つです。

ある日、甚之介は半沢伊兵衛に横恋慕を仕掛けられます。甚之介は権九郎に相談したところ、権九郎は「満足のいく返事をしなさい」と不甲斐ない返答をします。(私ならショックを受けて落ち込みますが...)甚之介は血眼になって「深く契約の上は、たとえば殿様の御意にてもしたがひ申すべきや...まづ伊兵衛を武運にまかせ首尾よくしまひ、かへる太刀(たち)にて安穏(あんをん)には置くまじき物を(伊兵衛を討った後、権九郎も返す刀で討つ)」と考えます。
命をかけて自分の信念を貫く、いわゆる意気地をしっかりと持った甚之介の性格にも心惹かれます。

さて、甚之介は伊兵衛との果たし合いを決意した後、権九郎へ日々の不満を書いた長文の遺書を送ります。
例えば、「殿様の御前で乗馬をした時、私の後袴に土が付いてましたが、権九郎様は小沢九郎次郎殿と目配せして笑っていましたね。」のように、全部で5つの不満を書き連ねています。この遺書の内容一つ一つが、少し子供っぽくていじらしいです。読み進めると、私も甚之介に同情してしまいます。
しかし、甚之介は手紙の最後に「あれこれお恨みはありますが、これほど慕わしいのは、並々ならぬめぐり合わせであろうと思い、涙より他ありません。」と締めくくります。
この場面の甚之介の言葉は、私が甚之介の念者になって彼を幸せにしたい!と思わせますね。

甚之介は武家の若衆として凜とした性格を持ちながらも所々に健気さや子供っぽい可愛らしさが垣間みえて、私の中では武家若衆の理想形のような子です。

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(『男色大鑑』の挿絵より、2段目右が甚之介、その上の段右が権九郎、「西鶴浮世草子全挿絵画像CD」から引用)

*若衆研スタッフ注
森上さんは現在大学院修士課程に在籍中、この四月から博士課程に進まれます。修士論文は、このお話の通り「玉章は鱸に通はす」論です。
いままで使われなかった新出の資料二つを使っての新しい甚之介論です。次回(っていつになるかな)の若衆研で発表していただく予定です。
みなさん、その時はぜひ聞きにきてくださいませ。(染谷)