若衆関連、私の一推しグッズ?ネタ?(9) 秋葉翔太
Tweet浸透する、ミステリアスな小輪とオープンゲイの短歌
秋葉翔太
(大竹直子画、小輪と殿)
はじめまして、秋葉といいます。ピーマンが食べられない大学生です。若衆研の皆さんにはいつも大変お世話になっております。今回の企画は「私の一推し若衆」とのことで、僕も僭越ながら筆を執らせていただきました。
早速ですが、僕の推し若衆は「傘持つても濡るる身」の小輪です。僕は、小輪の魅力はミステリアスなところだと思います。
小輪は惣八郎と恋をしましたが、その一方で殿に殺されるのであれば本望だと言い、殿を自分を殺す相手として選んでいます。不義が発覚してから三日の猶予があったわけですから、惣八郎だけを愛しているならその間に惣八郎と共に死ぬなり逃げるなりすれば良いはずです。にもかかわらず小輪は殿の前に現れ、そればかりか自らを殺すように挑発しています。殿の思いを退けていながら、殿に対して特別な思いを抱いていたとしか思えません。
一見矛盾しています。何を考えているのか、読者にはその本意が明確に分かりません。心の中に他者からは窺い知れないブラックボックスを持っている、そういうミステリアスさが小輪の魅力だと僕は思います。
小輪の恋愛感情は、ファリック(男根的)な盲目的直線ではなく、女性のように複雑怪奇です。ある意味、小輪の魅力は女性的だと言っても良いかもしれません。男性からすると、女性の考えていることはほとんど分かりません。しかし、分からないからこそ男性は女性に惹かれます。おそらく僕は小輪に対しても、この分からないが故の魅力を感じています。
それにしても、必要以上に書かないことで小輪を魅力的にした西鶴は流石です。あえて隠すことの粋を良く分かっています。
僕は短歌を趣味にしているのですが、歌を作るときどうしても色々とあからさまにしたくなってしまいます。説明過多の歌は実に陳腐なものです。
イーザー(ドイツの文学者、受容美学の理論家)の「読者反応批評」で指摘されている通り、文学を読むことはテクストと読者の共同作業です。全てが書いてあるテクストでは読者の入り込む余地がありません。読者が想像することのできる、空所があった方が文学は面白いのです。
それは人間でも同じことだと僕は思います。ちょっとくらい分からない部分のある方が、人は面白い。やはり、僕は小輪のように謎のある人間が好きなのです。
最後に、何か男色関連の一推しグッズを紹介できれば良かったのですが、特にこれといったものを持っていません。
その代わりと言ってはなんですが、男色関連の「一推し短歌」を紹介させてください。
開かれるとき男体は爛漫の春に逆らふ器であつた
(小佐野彈『メタリック』)
これはオープンリーゲイの方が作者の歌です。「開かれる」「男体」はまさに男色的なエロスの光景ですが、それを「爛漫の春に逆らふ器」と印象的な比喩で表しています。現代における同性愛者の、マイノリティゆえの美しさや儚さを感じられる歌です。
しかし、現代だけでなく江戸の男色にも通じる部分があると感じます。例えば、小輪が殿の寵愛という「爛漫の春」をまなかいにしながらも、それに逆らい惣八郎と契った姿はこの歌と重なってきます。
木馬の首を抱きて揺れつつ少年は相呼ぶ夜の熱き眼をせり
(春日井建『未成年』)
春日井建は同性愛を題材の一つとした歌人です。木馬で遊ぶくらいですので結構小さな子だと思いますが、その少年が呼び合った夜の熱い目をしたと言うのです。これは作者が木馬の首を抱く少年を見て想像を膨らませただけなのでしょうか。それとも、実際に少年と熱気が匂い立つような一夜を共にしたのでしょうか。
春日井建は『未成年』を刊行したとき二十歳くらいですから、もしこの歌の内容が真実であれば念者と若衆のような感じでしょうか。
僅少な紹介ですが、これで終わります。ほんの少しでも短歌に興味を持っていただけたのなら幸いです。最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
(昨年の若衆研で披露された秋葉くんの武士(念者)姿。この写真自体が若衆研のお宝・一推しグッズと言ってもよい。秋葉くんは現在、大学3年生)